映画「山逢いのホテル」を映画館で観てきました。
映画「山逢いのホテル」はフランス、スイス合作のスイスの山間部にあるホテルを舞台にした物語だ。原題はLessez moiだ。 主演はフランスのジャンヌ・バリバールでフランス語で会話が展開する。直近で「ボレロ」のダンサー役が趣きがあってよかった。監督・脚本は、ファッションデザイナーであったスイスのマキシム・ラッパズだ。場所はてっきりフランスの山間部かと思ったら、地図を見ると舞台となるグランド・ディクサンス・ダムはスイスのかなり山奥だ。予告編を見るとホテルの部屋に男を誘う売春婦のようだ。
サングラスをした白い服を着た女性が山間部を走る高原列車に乗って大きなダムのある場所に向かう。湖と裏にある山々を望む素敵な景色の中颯爽と歩いてホテルに入る。座った後で、ボーイに宿泊している男性がどのくらいの滞在期間か聞いてチップを渡す。長期滞在の客は避けて、近日中に発つ予定の男性客を確認した後で声をかける。しばらく雑談した後で「あなたの部屋へ」と一緒に向かう。ジャンヌ・バリバールは50代の裸体をあらわにして使い込んだ乳輪のバストを見せる。
1997年、スイスアルプスを望む小さな町で、仕立て屋のクローディーヌ(ジャンヌ・バリバール)は障害のある息子を1人で育てていた。毎週火曜日には、息子を隣人に預けてダムのそばにあるリゾートホテルへ向かう。そこで短期滞在で単身の男性客を誘って情事にふける。
ある時彼女は水力発電の技術者であるハンブルクから来たドイツ人、ミヒャエル(トマス・サーバッハー)と出会う。これまでと違い女に目覚めて情熱的になる。ミヒャエルは次の出張先のアルゼンチンに向かおうとする。クローディーヌはついて行くかどうか迷う。
東電女性社員殺人事件の主人公を思わせる自傷的な女性が女の本性に目覚める。
わかりやすいフランス語で映画にはスッと入っていける。センスのある映像とやさしいピアノの音色でいかにもフランス映画らしいが、熟女AVのような展開だ。熟し切った50代の裸体は若い男性が見ても楽しめないだろう。50代女性の肢体がどんなものかを理解する自分は同窓会で同世代の女としけこむ感覚でとりあえず受け入れる。かなりエロティックで大胆だ。解説には軽い情事のように書いているが、完全に売春婦といっていいだろう。でも、男からお金を受け取らないこともある。
普段は自宅を作業場にして洋服を仕立てている。家には生まれつき障がいのある息子、バティストがいる。ジョニーローガンのファンだ。男たちから得た海外の街の情報を、父親からの手紙として読み聞かせてきた。息子への献身的な愛情の傍で、出会って惹かれたドイツ人男性に心を寄せて息子を置いて飛び出そうかと決断する。
映画館には熟年の女性が数多くいた。ジャンヌ・バリバールを見てどんなことを思うのか興味を覚える。ジャンヌ・バリバールが話すフランス語の響きはファッショナブルな名作「去年マリエンバートで」のデルフィーヌ・セイリグを連想させる。あの時のデルフィーヌはこの映画の題名「Laissez moi」(一人にして)を連発する。作者に何か意図があったのかもしれない。
映画「山逢いのホテル」はフランス、スイス合作のスイスの山間部にあるホテルを舞台にした物語だ。原題はLessez moiだ。 主演はフランスのジャンヌ・バリバールでフランス語で会話が展開する。直近で「ボレロ」のダンサー役が趣きがあってよかった。監督・脚本は、ファッションデザイナーであったスイスのマキシム・ラッパズだ。場所はてっきりフランスの山間部かと思ったら、地図を見ると舞台となるグランド・ディクサンス・ダムはスイスのかなり山奥だ。予告編を見るとホテルの部屋に男を誘う売春婦のようだ。
サングラスをした白い服を着た女性が山間部を走る高原列車に乗って大きなダムのある場所に向かう。湖と裏にある山々を望む素敵な景色の中颯爽と歩いてホテルに入る。座った後で、ボーイに宿泊している男性がどのくらいの滞在期間か聞いてチップを渡す。長期滞在の客は避けて、近日中に発つ予定の男性客を確認した後で声をかける。しばらく雑談した後で「あなたの部屋へ」と一緒に向かう。ジャンヌ・バリバールは50代の裸体をあらわにして使い込んだ乳輪のバストを見せる。
1997年、スイスアルプスを望む小さな町で、仕立て屋のクローディーヌ(ジャンヌ・バリバール)は障害のある息子を1人で育てていた。毎週火曜日には、息子を隣人に預けてダムのそばにあるリゾートホテルへ向かう。そこで短期滞在で単身の男性客を誘って情事にふける。
ある時彼女は水力発電の技術者であるハンブルクから来たドイツ人、ミヒャエル(トマス・サーバッハー)と出会う。これまでと違い女に目覚めて情熱的になる。ミヒャエルは次の出張先のアルゼンチンに向かおうとする。クローディーヌはついて行くかどうか迷う。
東電女性社員殺人事件の主人公を思わせる自傷的な女性が女の本性に目覚める。
わかりやすいフランス語で映画にはスッと入っていける。センスのある映像とやさしいピアノの音色でいかにもフランス映画らしいが、熟女AVのような展開だ。熟し切った50代の裸体は若い男性が見ても楽しめないだろう。50代女性の肢体がどんなものかを理解する自分は同窓会で同世代の女としけこむ感覚でとりあえず受け入れる。かなりエロティックで大胆だ。解説には軽い情事のように書いているが、完全に売春婦といっていいだろう。でも、男からお金を受け取らないこともある。
普段は自宅を作業場にして洋服を仕立てている。家には生まれつき障がいのある息子、バティストがいる。ジョニーローガンのファンだ。男たちから得た海外の街の情報を、父親からの手紙として読み聞かせてきた。息子への献身的な愛情の傍で、出会って惹かれたドイツ人男性に心を寄せて息子を置いて飛び出そうかと決断する。
映画館には熟年の女性が数多くいた。ジャンヌ・バリバールを見てどんなことを思うのか興味を覚える。ジャンヌ・バリバールが話すフランス語の響きはファッショナブルな名作「去年マリエンバートで」のデルフィーヌ・セイリグを連想させる。あの時のデルフィーヌはこの映画の題名「Laissez moi」(一人にして)を連発する。作者に何か意図があったのかもしれない。