《いっしょがいいならなぜ分けた》
北村小夜さんは、中学校の特殊学級の担任として、子どもたちの「分けられた悲哀」を減らすため、先生方に根回しして「交流」を進めました。でも、子どもたちは交流に乗り気ではありませんでした。
「同じ学校の生徒なんだから、一緒に学芸会やろうよ。みんなで一緒にやった方が楽しいよ」
小夜さんがそう言った時、Hくんは言いました。
「一緒がいいんなら何で分けた?」
子どもたちは誰も、分けられることを望んでいません。
【せ】
《先生も落第してきたの?》
北村小夜さんは教師半ばにして学芸大学の特殊教育課程に通い、特殊教育の教員免許状を取得しました。「これで、遅れた子のためにていねいな教育をすることができる」と思い、新しい中学に赴任しました。初めて特殊学級の教壇にたったとき、Hくんが言いました。
「先生も落第してきたの?」
とっさのことに、何と返事をしたらいいか分からずにいると、H君が前に出てきて、小夜さんの肩をたたいて言いました。
「大丈夫だよ、先生ならまた試験受けて、普通学級に戻れるよ」
そう、励ましてくれました。
小夜さんは、そこで気づいたと言います。
ああ、この子たちはここに来たくなかったのかと。
【か】
《かわいい子には ふつう学級を旅させよ》
「かわいい子には旅をさせよ」といいます。
「旅をさせる」のは、見たことのない世界へ行き、たくさんの出会いをしておいで、ということです。それと同時に、「旅をさせる」とは「苦労しておいで」ということでもあります。「かわいい子」にわざわざ苦労をさせるのはなぜか。その苦労を引き受ける力が子どもにあると、信じられるからです。そしてまた、旅の途中には、苦労もあるけれど、困った時には手をかしてくれる人がいると信じることができるからです。そうした出会いを繰り返し、人と人とのつながりのなかで生きていってほしいと願うからです。
でも、この国では長い間、かわいい「障害児」には旅をさせませんでした。「かわいい子」なら手をかしてくれる人も、「障害」があればそうはいかないと…、世間の人を信じられずにきました。結果として「ふつうの子ども時代」を奪われることが、子どもにとって一番の「障害」になりました。
子どもたちは、障害の苦労を心配されるばかりで、「受けとめる力」があるとは信じてはもらえませんでした。子どもたちはみんな、どんな障害があっても、自分の人生を生きていく力を持っています。だから、ここに生まれてきたのです。
かわいい子にはふつう学級を旅させましょう。どんな「障害」があっても、子どもはみんな「ふつうの子ども」です。子どもはみんな、人の手をかりて、成長していくのです。
【と】
《特別な教育には特別な生き方がついてくる》
子どもが、ふつう学級に通うのは、そこが子どもの社会であり、ほとんどの子どもが選ばずに通う場所だからです。
大人になったときに、このふつうの社会で生きていくのなら、ふつうの子ども社会を経験することはどうしても必要なことです。学校で習う国語や算数という教科と同時に、そこには「授業という生活」があります。ひらがなや計算を知らなくていい、というのではありません。子どもが興味をもって、勉強をすることは大事なことだと思います。ただ、子どもたちは授業の中身と同時に、「授業という生活」を生きているのです。だから、結果として、授業の中身が覚えられなかったとしても、大事な生活の体験は残ります。そしてテストで測れるものではない、膨大な量の観察学習の成果も一生の財産として残ります。
生まれ育った地域で出会う仲間と、楽しいことも、イヤなことも、丸ごと体験しながら、この子らしい人生を自分で歩んでいくことを、私たちは望んでいます。私たちは本当に、心の底から、この子たちを「特別」だとは思っていないのです。ひらがなが書けなくても、歩けなくても、うまくしゃべれなくても、一人で食べられなくても、それでも、私たちは心の底から、この子がここにいること、同世代の子どもたちと一緒の教室で生活することを特別だとは思っていないのです。強がりでもなんでもありません。親や兄妹と同じ、ただの子どもです。見えない人にとって、「見えない暮らし」が日常でふつうなように。人工呼吸器をつけて暮らしている人にとっては、それが日常でふつうなように。
「障害」があることが特別な生き方を作るのではありません。「特別な教育」に「特別な生活」がついてくるのです。子供時代のすべての時間を、ふつうの子どもたちと全く別の学校や学級で過ごしてしまったらそれこそが、子どものハンディであり、不利益になります。
【え】
《遠慮・気がねは、
相手の差別に勇気をあたえる》
子どもが当たり前に「ここにいる」ことで、親が遠慮や気兼ねをしていると、先生に、「自分の迷いや苦労は、この子の障害のせい、親がここに入れたせい」という逃げ道に正当性を持たせてしまい、差別する心に勇気を与えてしまうこと。たとえば、障害児の親だけが、子どもの隣に寄りそっていることは、「遠慮・気兼ね」でしかありません。なにより、親のつきそいは、子どもの自立の一番の妨げになります。
※【類語】
→【よ】《よけた石は、子どもにあたる》
親は歩くことも、走ることもできます。飛んでくる石を上手によけることもできます。
でもその石が「障害への差別・偏見」である時、親がよけた石は、子どもにあたるということ。
「プールは遠慮してください」とか、「体育は見学してください」も、親が受け入れてしまったら、子どもは抵抗できません。
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