ワニなつノート

5人のアンパンマンと揺れること


5人のアンパンマンと揺れること


「揺れる」のは、人のこころの自然な姿。
だって、「揺れない」のは、
硬くて頑なで柔軟性がないってことだから…。
「揺れる」のは、心が生き生きと感じて動いているってこと。
心には揺れる幅があり、その幅を揺れながら迷いながら、
自分だけの生き方を歩んでいく。

揺れながら、でも、人それぞれに、
揺れる幅にゆずれない地点があって、
たとえば、5人のアンパンマンが登場したところで、
それ以上揺れたらブランコから落っこちてしまう感じだよね。

そりゃ、そうだよな。
だって、アンパンマンが5人だぜ。
カビルンルンなら、100でも200でもいいけど、
アンパンマンは一人じゃなきゃ。
アンパンマンが5人いたら、少なくとも4人は
バイキンマンが化けているんじゃないか、
偽物じゃないかって…、そっちが気になって、
算数の問題なんか手につかないもんな~(>_<)


揺れないこと、確固たる信念が理想だなんて、
どこからの言い伝えなんだろ。
「揺れない信念」なんて、少しも当てにならない。
それが戦前の日本の教育や社会だったし、
福祉や障害児を取り巻く世界だったんじゃないか。

「理想」の世界に住んでいる訳じゃなし、
ましていまの学校が、普通学級が理想だなんてあり得ないんだから。
この社会で、子どもを守り育てていく途中で、
迷い揺れる場面がないわけがないのだと思う。
この社会で、人を信頼し、委ねていくなかで、
迷い揺れる場面がないわけがないのだと思う。
それでも、子どもたちが希望を持って
信じられる社会を作るには、
わたしたちはどんなに揺れながらでも
希望と信頼をなくすわけにはいかない。
何度失敗しても、言い続けるしかない。

揺れるのが、心の自然のうちであるように、
どんな障害があっても、
生まれ来る自然のうちにあるからこそ、生きて生まれてくる。
生まれきて生きているのだから。

子どもを分けてはいけない。
子どもが傷つかなくてすむ学校を作るために。
歩けないことやしゃべれないこと、できないことがあることは、
人として恥ずかしいことでも、劣っていることでもない。

子どもは、子どものそのままの姿で生まれてきたのだから、
私たちは受けとめるところから出会い始めたいのだと。
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