昨日、Hrくんのボール投げを読んで、書きかけの一節を思い出しました。ちゃんと書きたいと思いながら、つまづいていました。
でも、Hrくんのボール投げを読んで、ちゃんと書けそうな気がしました
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とりあえず、その部分だけ(o|o)
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もう一つの誤解は、「障害児」にはできることはとても限られているうえ、障害のせいで成長や理解には限りがあって、そこはあきらめるしかないという想定からきています。
確かに「障害」のために、できないことはあります。しかし、それは障害のない子どもでも誰でも同じです。子どもはみんな、できることとできないことがあります。本当に大切なことは、障害のある子どもたちにできることはたくさんあるということです。
それを探し出して対応するためにこそ学校があり、私たちに技と知恵が求められます。それは、私たちが大人の手で対応する技ではなく、子ども同士の関係から生まれ来る技を待ち、学び、それを広げていくことです。
障害のある子ども自身のもてる力を使えるように手助けしなければ、障害のあることでできないこと以上に、その子は「できない世界」に閉じ込められることになります。そして、その力を引き出す子ども同士の関係がないままであれば、その能力の可能性まで失われてしまいます。
子どもの脳も神経組織も使用するほど発達するものです。子ども同士の関係も、使用すればするほど発達します。
逆に、「使わないものはだめになってしまう」のです。このことは、子どもより老人の例で私たちははっきりと知っています。
《頭のしっかりした80歳の人でも、ほんの2~3ヶ月ベッドにねたきりにされているとひとりでは歩けなくなってしまうというのは、深刻に受け止めなくてはならない事実です。》
(『認知症介護のために知っておきたい大切なこと』トム・キットウッド 筒井書房)