ワニなつノート

未来への途中

未来への途中


自分はここまで何をしてきたのだろう。
自分はこの先、何ができるのだろう。

治療の間、「残り時間」ということを、頭のどこかでいつも考えていたようです。
病気や寿命はどうにもならないことはあるわけで、その時はその時で、自分が残り時間に何を選ぶのかと。

そうして約1年が過ぎ、とりあえず再発の兆候はないと聞いて、「最悪」は遠ざかった気になりました。
これで、抗がん剤の副作用にしばられず、まとまった時間のことを考えられると思ってみました。

さて、自分にできることは何だろう。
残り時間を短い単位で考えなくてもよくなったけど、有り余る時間や力がある訳じゃない。
そこで、いままでやってきたことを振り返ってみる。
自分は何を願って生きてきたのだったか。

自分の人生のかなりの時間、障害があることで、子どもたちが「分けられ」ない世の中になることを願ってきました。
子どもが殴られたり、分けられたりするのがふつうの「子ども差別」がなくなる時代を願ってきました。
子どもたちが「生まれてきたことが間違いだったのかも」と間違わなくてすむ世の中に向かっていくのだと信じてきました。

それは自分自身のためでもありました。
自分が殴られたり、分けられたのは、自分が悪い子だったからではなく、大人や社会が未熟だったからだと知りました。
だから、確かに私は悪い子だったしクソガキだったけど、それでも殴られず、分けられず、子どもとして大事にされる「時代」や「関係」が当たり前にある未来を願ってきました。

19歳の時に養護学校義務化があって、そのときに「分けられたくない」「友だちといっしょにいたい」という子どもの思いに寄り添う人たちに出会い、きっといつか…50年、100年後には、「子どもを分ける」のが当たり前の野蛮な社会がなくなるだろうと、10代の私は信じました。
だって、人種差別も、女性差別も、障害者差別も、差別は確実に減っていくのが歴史なのだから、分けられる子どもの苦しみも時代とともになくなっていくはずだと。

たとえば100年後の遠い未来には、子どもたちが分けられることなどなくなっている、その未来への「途中」を自分が生きていくのだろうと思ってきました。
10年後、20年後、30年後は、その未来への「途中」なのだろうと思ってきました。

でも、自分が癌になってみて、すでに30年余りが過ぎていることに改めて気づきました。
そして思いました。
あれ? いまはあの頃思い描いた未来の途中なんだろうか?

いまも子どもたちは、障害を理由に分けられ続けている。
そしてその数は減るどころか、どんどん増やされつつある。
「増えている」のではありません、故意に「増やして」いるのです。

また、98%の子どもたちが当たり前に進む高校でも、6歳のころからその成長する姿を見てきた子どもたちが次々と「障害」のせいで切り捨てられています。
この春、会の子どもたち3人が「定員内不合格」のために、行き場を奪われました。

そしてまた、この家(ホーム)には、安心して暮らせる家をなくした子どもたちが次々とやってきます。
今月1日には中学を卒業したばかりの15歳の子が、そして昨日からは16歳の子がここで暮らし始め、仕事を探しています…。

そんな現実の中で、「残り時間」がたとえ1年であれ20年であれ、「未来への途中」であることに変わりはなく…、さて…と思っているうちにあっという間に日々が過ぎていきます。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ワニなつ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事