ワニなつノート

さきちゃんのこと(その6)


さきちゃんのこと(その6) 

  
《さきちゃんのこと・あーちゃんのこと・栞音さんのこと》


     

【千葉】

さきちゃん、今年3度目の受検。
3度同じ高校。同じ校長。
3度とも「定員内不合格」。


1度目は、72人募集、受検生46人。
さきちゃんは「定員内不合格」。

2度目は、77人募集、受検生12人。
さきちゃんは「定員内不合格」。

3度目は、69人募集で、受検生3人。
それでも、さきちゃん一人だけ「定員内不合格」。

     □       


「どうして定員内で不合格なのか?」
校長を訪ねても、出てこない。

代わりに教頭が「校長の総合的判断です」と繰り返した。「在校生に手がかかるんです。限界なんです」ともいう。それは、入試と関係ない。

「定員内不合格は、子どもの教育を受ける権利を奪うこと」だと話しても、「教育を受ける権利を奪っていません」と開き直る。

それでも、2度目の話し合いの時、教頭はさきちゃんに言った。「今度の受検は作文400字です。がんばってください。」

さきちゃんは、その言葉を信じて、作文を書いた。


     □


こんなことはあえて言うことでもないが、さきちゃんは言葉も話せるし、作文も書ける。
何より、ゆうきくんと同じで、学校の勉強が大好きな子だ。
勉強がしたくて、高校に行きたい子だ。

こんなことはあえて言うことでもないが、さきちゃんは暴れたり逃走したり電車を止めたりしないし、教室でたばこも吸わないし酒も飲まない。(もちろん家でも、だが)

私ならさきちゃんが40人いても楽しく授業できる。介助員なんていらない。一人の方が私は楽しめる。40人のさきちゃんにしたら、私以外にもいろいろ大人がいた方が楽しいかもしれない。
どちらにしろ、先生が困るようなことは、何も想像がつかない。

なのに。クラスまるごと40個の席が空いていて、さらに隣のクラスも29個席が空いていて、「不合格」。


この子の何が「不合格」?

「点数」ではない。「面接」も答えた。「調査書」だって中学の先生が高校進学を応援してくれている。

不合格の理由が、どこにある?

校長の「総合的判断」とは何か?


     □


人権意識のかけらもないその校長が、今朝は、満面の笑顔で「おはよーございまーす」と外まで出てきたという。今まで、一度も出てこなかったのに。

「3度の受検は終わった。これでもうこの子の受検はない」という解放感。それが満面の笑顔の挨拶の意味。

さきちゃんは、といえば。

1度目と2度目はちゃんと話し合いに参加し、自分の思いを言葉にして伝えてきた。

「高校でももっと勉強したいなと思いました。」
「もっと勉強して、高校生活がんばりたいと持っているので…。」
「中学がんばったので、高校でも勉強がんばりたいと思います。」
「家庭科も自分でがんばろうかなと思います。」


でも、今日は、学校の中に入らなかった。


     ■


【山形】

そうした話の合間に、メールが入る。山形から。

「・・・期待せずにけど祈るような気持ちで臨みますが、何度この瞬間を迎えても慣れませんね。こんなに定員が空いているのに・・・ポツンと娘の番号だけがない。
社会から切り捨てられた孤独感を感じますね。悔しいです。
帰り道、「今回もダメだったね」と伝えた後も「わたし、学校通いたい」という娘。
来年も挑戦決定です。」

 

     □

15の子が、「私、学校通いたい」と3年も浪人して、がんばって受検し続ける。

毎年、毎年、「定員」が空いているのに、席が空いていて、先生が配置されているのに、入学を拒まれ続け、18になる。

その間に、同級生はこの3月に卒業し、次の道へ歩みだす。

この子だけが、まだ入り口で待たされる。

「わたし、学校通いたい」。



ちなみにあーちゃんは、福島から避難して9年目の3月、でもある。

地震、津波、原発事故で、同級生と別れ、小学校と中学で結びなおした同級生を、今度は「定員内不合格」で奪われた。

「障害」が彼女から、何かを奪ったことは一度もない。

いつも、大切なものを奪うのは、大人の差別と偏見。


     ■


【熊本】

そしてまた、フェイスブックをみると、栞音さんの言葉がある。

「よかった ひつだん できて」

「じぶんのこたえ かけた」

「やりきった」

「くやしくない」


1年目も、2年目も、3年目の今年の最初の受検も、介助者は「県教委」だった。
それは「監督者」「監視者」であって、「介助者」=「意思決定支援」ではない。


その訴えが今月になってようやく届き、栞音さんは、「はじめて」自分の受検ができた。


今までの受検が、不合格よりずっと不本意だったのだ。

自分のせいいっぱいの表現を、奪われ、そして不合格にされてきた。3年も。それを考えれば、「わたしの表現、わたしのことばで、せいいっぱい伝えることのできた」喜び。


その中身、その意味が、たとえ低レベルの校長に理解できないとしても、そんな奴に評価されるために受検しているんじゃない。わたしは、高校生になってまなびたい、だけ。


      □

「高校に入るより大切なことがある」と、いつも子どもに教えられる。

この子たちは、点数や能力の競争の世界で、「選抜」してもらおうとは思ってもいない。

学びの意味、人権の意味も知らない校長に、「評価」してもらうつもりなどない。

ただ、高校でみんなと一緒に学びたいだけだ。


         ■


今月12日、「職業訓練の選考試験」で不合格にされた裁判の判決があった。

裁判長は「不合格は、発達障害を理由とした差別で、合理的ではなく違法というべきだ」とした。

また、その判決の中にこんな言葉がある。

「障害の様態はさまざまでその能力の判定は困難を伴う。公務員といえども、社会に存在する先入観から脱却することは簡単ではなく・・・」


そうなのだ。「校長といえども、社会に存在する先入観から脱却」できていない、差別と偏見のかたまりのような校長があふれているのだ。

東京や、神奈川や大阪なら、絶対に校長にはなれない、人権意識「最低レベル」の校長のために、全国の「定員内不合格」は続いている。



本気で世直ししなきゃ。

このままじゃ、この子たちに申し訳なさすぎて、この子たちに恥ずかしすぎて、死んでも死にきれない。


※(住谷さん、勝手に栞音さんの書をお借りしました。)

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