犬や猫などには、人間に見えないものが見えると言われます。
決してオカルト的な意味ではなく、ロンドン大学の生物学者たちが科学的にそれを説明しています。つまり、人間の網膜では見ることのできない紫外線などを、犬や猫などは視覚としてとらえることができるというのです。
私たちは、目に見えないものは「存在しない」と決めつけがちですが、日本語には「気」という単語があって、
気のせい
気が晴れる
気の迷い
気が合う
気に病む
空気を読む
などなど、挙げればきりがないほど、普段から「気」にまつわる言葉を操っています。無意識に私たちは目に見えない「気」をまとった生き物だと認めているということになるでしょう。
もしかしたら、犬の目になったら、飼い主さんの「気」が見えているのかもしれません。
わんこと一緒に暮らしていると、言葉の意味をきちんと理解してくれている、自分の思いを感じてくれていると思える瞬間が数え切れないほどあります。それは、言葉として理解してくれているのではなくて、その言葉を発する飼い主の思いが、わんこには「気」のようなもので伝わるからなのかもしれませんね。
いずれにしても、愛犬に思いを込めて話しかけることは大切で、それを日々続けていけばいくほど、絆が深まって心が通じていくのは、飼い主さんの誰もが実感することではないでしょうか。
わんこと一緒に暮らしていると、言葉の意味をきちんと理解してくれている、自分の思いを感じてくれていると思える瞬間が数え切れないほどあります。それは、言葉として理解してくれているのではなくて、その言葉を発する飼い主の思いが、わんこには「気」のようなもので伝わるからなのかもしれませんね。
いずれにしても、愛犬に思いを込めて話しかけることは大切で、それを日々続けていけばいくほど、絆が深まって心が通じていくのは、飼い主さんの誰もが実感することではないでしょうか。
ところで、「オカルト的な意味ではない」と言ったものの、私はちょっと不思議な体験をしたことがあります。
以前、隣で飼われていたわんちゃんが亡くなって、その1週間後にお隣さんが遊びに来たことがありました。リビングでコーヒーを飲みながら亡くなったわんちゃんの思い出話をしていたのですが、その中で「お宅は玄関に靴を出しておけるのね。うちはわんこが必ず靴をくわえていたずらするから、生前は一足も靴を出しておけなかった」と言われました。
うちではそういう習慣はなかったので、「うちは一度もないですよ」と答えたところで、どこかへ消えていた愛犬がリビングに戻ってきました。そして、その口には私の靴をくわえていたのです。
呆気に取られて、理解に苦しみながら靴を玄関に戻したのですが、今度はお隣さんの靴をくわえてリビングに戻ってきました。その姿を見て絶句。まるで愛犬の顔は、いたずらを楽しんで笑っているように見えました。
愛犬と暮らして10年が経ちますが、後にも先にも靴をくわえたのはそのとき限りです。これもまた、私たちの目には見えない隣のわんちゃんの魂が愛犬には見えたということなのでしょうか? そして、お隣さんにその存在を伝えようとしたのかもしれません。
信じるか信じないかはあなた次第です😄
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