千鳥ヶ淵の桜
プーチンはどうして見ず知らずの何千、何万という人を殺すように命令できるのだろう。その精神状態はどうなっているのだろう。また、命令された兵士も、どうして見ず知らずの人たち、何の恨みもない人たちを実際に殺せるのだろう。
たしかに、兵士にしてみれば、そうしなければ自分が背中から銃で撃たれるから、祖国にいる自分の家族が酷い目に合うから、やむを得ずなのかもしれない。ベトナム戦争やイラク戦争、アフガニスタン戦争に従軍し、人殺しをした兵士たちがPTSDで精神を病んだり、自殺をしたりしているのを聞くと、その精神的葛藤はいかばかりであっただろう。また、兵士の訓練は兵器の使い方や戦闘の仕方だけではなく、見ず知らずの、何の恨みもない人を殺せるような精神状態を作ることにもある。ずいぶん前だが「フルメタルジャケット」という映画を見たが、そこで展開される軍事訓練は徹底的に兵士の人格破壊を行なうものであった。精神的に追い込み、異常者を作り出すことが目的であった。
何の恨みもない見ず知らずの人を殺すことには、普通の人であれば非常に大きな抵抗があるということである。だから、殺す人と殺される人との間を空間的に大きく隔てる工夫も行なわれる。広島、長崎では何十万という人が、一瞬にして殺されてしまった。それができたのは、上空1万メートル近くから爆弾を投下し、投下した本人は、その下で、吹き飛ばされ、焼き殺されている赤ん坊、子供、日常生活をしていた人たちが全く見えないからである。もしその様子が見えたら、とてもそんなことはできないだろう。いまはドローンなどを使い、遠隔操作によって、さらに現場から遠く離れたところから人を殺すことができる。画面を見ながら、まさにゲーム感覚で殺すことができる。ゲームをしているつもりで、実際には知らずに人を殺していたという映画を見たことがあるような気がする。
現場の兵士については、肯定はしたくないが理解できる事情もある。しかし、プーチンはどうなのか。彼にはそのような脅迫的事情はない。やめろと言えばやめさせることができる。それにもかかわらず「殺せ!」と命令する。彼には数千、数万、あるいはそれ以上の数の人の命よりも大切なことがあるということになる。それはなんだろう。プーチンにとってそんなことがあるとしても、それを世界中の人たちは認めない。殺される側の一人ひとりから見れば、認めることなどあり得ない。ロシア国民でさえ、命をかけて抗議している人がいるように、認めていない。それにもかかわらず、プーチンは人殺しを命じている。自分の言うことを聞かず、思い通りにならないから殺す。まさにプーチンの個人的感情から殺している。彼は殺す理由を正当化し、ロシア国民を納得させようとする。正当化にあたって障害となる情報を遮断し、「殺さなければならないのだ」という物語を作り、聞かせる。その物語を信じないものは「裏切者」(日本流に言えば「反日」「非国民」)として糾弾する。そうしなければ兵士たちを動かせないからだ。
彼はいま、世界中の人々を人質にとって、その思いを遂げようとしている。「世界中の人々を人質に」とは次のようなことである。「ロシアは世界中の人を皆殺しにしてもなお余りある核兵器を持っている。アメリカも持っているが、アメリカがそれを使えばロシアも反撃して使う。そうなれば、人類は滅亡する。だから、アメリカは使えないだろう。通常兵器の範囲でアメリカがこの戦争に参入するとしても、大国どうしの戦争になれば、それがエスカレートしていったとき、最終兵器が使われることになる可能性が高い。私はいま狂気に見える常識外れなことをしている。だからこの先、何をしでかすかわからないぞ。アメリカが参戦するということは、人類を滅亡させることになるかもしれない。それが嫌なら介入するな。私はやりたいことをやる」というわけである。
プーチンの意図がどこにあるにせよ(たぶん経済的利益だ。この世界で一部の人にとってそれは人の命より大切なことになってしまっている。ここで「人」とは「他人」のことであり、けっして自分の命ではないことに注意)、これは「暴力こそ正義」という、すでに人類が乗り越えてきたはずの考え方を、人類を人質として、最も野蛮なかたちで復活させようとしていることになる。ロシア国内ではプーチンに反対してデモをしたり、声明を発表したり、つい先日は、国営テレビのスタッフ(女性)が、生放送中に司会者の後ろに戦争反対のプラカードを掲げて立ってアピールしたり、高校生(女性)がロシア軍兵士の前で、平和的抗議の権利を保障するロシア憲法第31条を読み上げたり、ロシア国民が逮捕、拘束を覚悟で(実際に逮捕、拘束されている)さまざまな行動を起こしている。その人たちの勇気に大いに敬意を表したい。
それにひきかえ、この国では、人類として決して許してはならない今回の軍事的侵略を逆に奇貨として「憲法改定」や「核武装」や「敵基地攻撃能力」を声高に叫び、「暴力こそ正義」を実質的に肯定する人たちがいる。それも政権中枢にいるのである。マスメディアもそれを厳しく批判せず、現実主義的とか言ったりする。この国もプーチンのロシアや習近平の中国、金正恩の北朝鮮のようになっていくのだろうか。
プーチンが勝利すれば、「暴力こそ正義」の世界の復活である。瞬く間に全人類を抹殺できる兵器が存在するこの世界で、プーチンを止められるのはロシア国民だけのように思われる。上記のように、ロシア国民が命をかけてプーチンを批判している。ロシアの人々には、自ら帝政ロシアを倒した経験がある。まだ希望はある。プーチンに対する世界中の人々の抗議の声はその人たちを勇気づけるはずだ。ウクライナの人々の支援も必要だが、ロシアでプーチンに抗議している人々を何らかのかたちで助けることが必要だと思う。そのためには、実際に何が起きているのかをできるだけ多くのロシア国民に届ける必要もあるだろう。どうすればいいのだろう。
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