侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

KAI-YOU presents 世界と遊ぶ!展 | pixiv Zingaro 未完の感想文

2011-08-21 00:00:14 | Weblog

 KAI-YOU presents
 
 展覧会をキューレションした KAI-YOU のミッションの要約は
極めて魅力的な文言だ。


本展示ではジャンルを問わずに多くのアーティストを招聘しました。
彼らは表現者であり、それぞれの作家が多種多様な文脈や出自を持ちつつ、人々を惹き付ける作品を発表し続けている。KAI-YOUは単なる匿名のメディアに過ぎません。何もつくることはできない。ただ、既に在る何か、かつて在った何か、これから起こりうるであろう何かを「繋げて」、「提示する」。そこに新しい文脈が宿る。それが〝編集〟するということだと信じています。
また、本展示はお越しいただいた来場者の方も作品の完成に携わることができます。真摯に作品と向き合う受け手もまた、解釈し、自分の中の何かと「繋げて」考えることで、〝編集〟をしていると言うことができます。主催が恣意的に選んだアーティストだけではなく、普段は受け手である来場者にも本展では〝表現〟と〝編集〟について考え、参加していただくことで、真にコミュニティを越境し、複雑な世界を提示するができると考えています。
––
〝表現〟とは何かへの関心を持つことからはじまります。ただ口で喋っても伝わらないから、絵や映像や音楽やテキストを媒介し、他者に届けようとする。作品はもとより、伝えようとする行為、他者と「遊ぼう」とする意思、好奇心こそが〝表現〟だと言い切ってしまいたい。互いが互いに向き合い〝恊働〟する。それが私たちの生きる社会であり、大げさな言い方をすれば、それこそ世界の本質ではないでしょうか。
無関心がはびこったつまらないしがらみや閉塞感に風穴を空けるために、複雑な世界をあらゆる好奇心によって表現する「世界で遊ぶ!展」を構築します。
––
なんだかとっても長くなってしまいましたが、端的に言えば、男も女も子供もおっちゃんもおばちゃんも馬鹿も天才も貧乏もセレブも犬も猫も馬も全てを受け入れ、交わらせ、肯定するというそれだけです。世界と遊ぶとは、そういうことです。そういう展示にします。



 そして私の未完の感想文

 野分のような昨日の夕方、お宅文化の牙城のような中野ブロードウェーに行って参りました!

昔の海水浴場のような満員振りでした。


立錐の余地も無いところにぐんぐん前に進み出て持参の折りたたみ椅子をやおら取り出し、
 最前列で拝聴して参りました。
若者はみなこのずずしい~~おばさんの行動をあっけにとられてみ

ておりましたが、誰も何も仰いませんでした、、
コミュニュケート出来ずザンネンなんてウソで内心ホッ!としてたのです。

 
 
待ってました!長谷川裕子様。
 聡明の極みのような方でした。そして、歯に衣着せぬ方でも

あり、快刀乱麻にあの方に切り刻まれたらかなりな痛手をおうだろ

うなあ~と思ます。
 
斉藤環氏はダーガーに言及しつつ、アウトサイダーアートからこれ

からのアートを展望するようなお話振り、、
司会をして下さった武田俊君と言う方はお若いのに
話してのモチベーションをひきだし、
テーマに沿わせて、収斂させていくスキルを持っている方だなあ~とおもいました。
 話はあちゃこちゃにいくものですが、設定していたテーマ

に撚っていこうとする努力ぶりが、賢い人を感じさせました。

老若男女、だれもかれもが出会ってつながりアートにしていくとい

うキュウーレーションの上に今回の展覧会「世界と遊ぶ展」はあった由です。


 時宜にかなったテーマだとおもいます。
失われたコモンズをだれからの境界線なく遊びながらつながって再構築していくと

いう発想は誰の潜在意識にも今芽生えていることのように思います。

猪子寿之氏の話はわたしには非常に興味深かったです。ただ自分

の論理展開に破綻してしまったのか、裕子さまにバッサリ、
「そんなせまいところにいたら窮屈で気持ちわるくない、、かわりたという欲望はないの、、」
的な事を
言われ、反駁もせず、「がんばります、、」でおわらせたのは
ザンネンでした。
 
彼の西洋は超気持ちわるい、その気持ち悪さの原因が何なのかを知りたくて
 
日本美術に分け入った。
日本の絵画の平面に屹立する三次元の空気感があることを
何となく言っていたようにおもい、
その視点は極めて共感するところでありました。

わたしには意味不明の専門用語が沢山とびかっていました。

コンテクストの意味が今ひとつ確実につかめませんでした。
例えばこんな風に引用されます。
「絵画はコンテクストフリーなコンテクスト!?」絵画は言語だとも、、

 
環氏はラカンを引き合いにだし、何故自分がこれほどダーガーに惹

かれるかを引用していました。ダーガーが自分に欲情している痛ま

しさ故に、そこに自分が反映されるから、、というような事を言っ

ていました。
 非常にインスパイアーされる言語が飛び交いそんな空気が漲る場

でありました。
しかしなんといっても若者だらけで、、、立ち位置の危うさを感じ

つつ
小雨降る中、帰路につきました。


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