侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

地球を整体すること、を考えたい今

2011-08-19 12:01:11 | Weblog
この真夏の朝の活元は確かに私に活をいれてくれた。
 
タマリにたまり、抑えて、心の奥深くにたたみ込んでいたあの事このことがことごとく発散されていくような、、、
三日目には随分と透明になったような心持ちがした。
人の身体には自浄作用が自ずと備わっているのだと言うことをあらためて実感した。
 
動いても動いてもつかれるということがない、さらに、底しれぬなにものかがうごめいてくる。
人の身体は本来つかれぬものかもしれぬ、つかれるのは気が病むからなのかもしれない。
気さえやみさえしなければ、永遠にコマが回るがごとくくるくるとリズミカルに動きつづけるのではないかとすら
思った。
 
世の中には無駄な事が多すぎる。
 
暑い暑いといいながら、厚い服を脱ぎ捨てない、
 
こんなに節電と標榜しているにもかかわらず、乗る電車のすべてがわたしには寒いほど冷えている。
 
風の通り道をつくれば、家も風通しが良く、すずしくすごせるものをすべてを閉じきり、設定温度を25度にして
紫色になるほど身体を冷やしきっている。
そのクーラーの廃熱で都市のヒートアイランド化はますます進む。

夏ならではの食材を夏にふさわしい調理で食せばよいものを
 煙にまかれながら、焼き肉をビールをがぶ飲みしながら、暑い、暑いと
いいながら、冷房の中で食べている姿はまったく理不尽なのに、そう言う人たちが
 少なくはないことに、哀しくなる。
 
打ち水と簾と風鈴と蚊取り線香だけでもグット気分はすずしくなる。
 
そのしつらえがアートだろうとおもうのだが、、
 
見た目の涼しさ献上!これも心を届けるお中元。
 
我々がミクロコスモスならば、マクロコスモスは地球、宇宙、
 
彼ら本来の持てる能力を存分に発揮させるには不自然な加工をほどこしてはならぬ。
 
顔中ぬりたくたったり、化学調味料や化学薬品まみれになれば人の身体がこわれるように
地球だって、自らが消化しきらぬものはうけいれられぬのだ。
 
事に放射線はうけつけぬ。
 
どんなに活元しようともそれは完全には昇華しきらない、、遺伝子をきずつけるものだからだ。
 
かつてわれわれは広島・長崎を経験しているにもかかわらず、54基もの原発をひきうけてきてしまった。
母性原理を封じ込め、効率と経済優先の男性原理を優先させすぎた20世紀
 
心も身体もずたぼろぞうきんになりはてた、、みよこの残骸のむれを!
 
それらを目の前にしてもなお、命よりも札束に重みがあると発言する輩の多さに慄然とする。
 
それらの不自然きわまりない心身を整体し、地球を整体したい、、、のだ。


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