西郷隆盛さんからのパクリのような気がしないでもない、兄作の社長訓。
母は生前、大内家家訓なるものを食堂に掲げていた。
教訓好きは家系なのか、、
書家の岳堂先生による雄渾な筆跡に迫力を感じる。
ここは常居と呼んでいた部屋で掘りごたつがあり
冬にこの深くて大きな炬燵を囲むとそこで幸せな世界が完結してしまう感があった。
東和町毘沙門さんの泣き相撲、お相手の赤さんの名は雷電クン、
けなげに引き分けに持ち込んだ裕也君、ジイジたちは大喝采!したらしい。
花卷小学校の授業にはいたるところに賢治さんが登場する、、
とても賢治童話を深く感じ取り描いた絵は力強く、惚れ惚れと見入ってしまう。
洗い流された浜にも、又緑がもどってきている、そこここに勢いよく、繁茂している姿にいのちのしぶとさをおもう。
こんに細くふきとばされてしまいそうなのに、この二本だけが残っていた、この姿を胸に刻んで悼む人となった。
釜石からの帰路、遠野の道の駅にたちより、バルコニーから猿ヶ石川を望む、地味豊かな川には鮎が泳ぐ。
鮎のやな場
母は鮎を実に美しく食べる人だった、見事に姿通りの骨だけを残して食べる姿には佳人の気配があった。
その夜は大沢温泉に兄と姉と三人で泊まった。
甥が温泉まで送ってくれて、四人で湯治部の食堂で夕食をとった。
この食堂の親方はなかなかお茶目なコピーライターでもあり、料理人でもあり
はち切れそうなほど食べて飲んで幸せだった。若い人がいると食事も会話も
活気がある。ゆうちゃんホントニ丸一日老人介護をしてくれてお疲れ様でした!
アリガトウ!
昔のマンマの帳場、毎年祖母と一ヶ月近く、逗留してすごした。家の様にして遊んだ場所だ。
湯治部は障子や襖でしきられているだけ、農閑期には大勢の人で賑わった。この細い廊下を通って川に面した露天風呂に行く。
よくぞこうして木造家屋を残し手入れをしてつかいこんでいる、そのことはとても大きなことだ。手入れをし、人が使えば生き続ける典型でもある。
翌朝は花卷市内まで路線バスで帰った。貸し切り状態のバスの車窓からかつて細い花卷路面鉄道で通った頃を追憶した。
停留所の小屋には又しても賢治さんが、、登場していた。
帰省すれば、ヤッパリ行きたくなるのは大沢温泉。
新花卷駅に掲げられた絵手紙。ヤッパリおがさん! 女性はどんな場面でも強い、へこたれない、キチンと蘇ろうとする。
どんな環境でも自分の分をわきまえてその場で生きる術を勝ち取ってゆく。
そんなことを再確認した帰省だった。