侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

ヶからハレへのジャンプ!歌舞音曲ガンバレッ!

2011-04-29 12:40:42 | Weblog
   日本芸能史2 「私にとって、歌舞伎とはどのような芸能か」



 ズバリ、「生きる糧」、それが歌舞伎である。
 岩手の片田舎で生まれ育った者が、物心もつかないうちから掘りごたつの上に乗り
「傾城阿波の鳴門」の一くさりを語り、歌舞伎好きの祖母の心を慰め、楽しませていたとは!何の因果があったものやら、どこでどうやってその台詞を覚えたのかも今では謎である。
 高校で進路を定める時に国立劇場歌舞伎研修制度というものがあるらしいことを聞き及び早速、問い合わせるも、男子のみということで挫折。残された道は観るだけ、しかしそれだけでは心は満たされず、演ずる人へのあくがれを満たすべく、演劇科に進むも70年安保で学校は閉鎖、先輩達と小劇団を結成するも、田舎者故彼らのアバンギャルドな暮らしぶりに馴染めず脱落。この経歴故か未だに身体表現を旨とする芸能に飽くなき恋心を抱き続けている。中でも歌舞伎は筆頭である。
 昨年はほぼ毎月、月によっては昼夜「歌舞伎座」に通い詰めた。思いが昂じて、一人だけでこの面白い世界を味わったとてもったいない、この近代建築の持つ息吹も共に若い人たちにも伝えたいと「歌舞伎ワークショップ」と銘打ち、かなり怪しい独断と偏見に満ちたレクチャーと三階B席鑑賞ツアーを企画したりもした。
 歌舞伎座の取り壊しは大いなる損失であったと今でも悔しい。叡智を尽くしてのリノベーションだって可能だったはずなのに、あそこに住んでいた諸々の芸能の魂をも見失ってしまったようで実に残念である。
 気を失いそうになる立ち見席への階段は確かに四谷怪談と呼びたくなるほど疲れるが、歌舞伎座という小屋に入った途端にしじまのようにそこには異空間が現出した。まさに非日常がそこにはあり、ヶからハレへのジャンプが出来る場だった。
 ありえもしない、荒唐無稽な物語に真剣に一喜一憂し、仁左衛門さんにとろけそうになり、玉三郎さんに異界の住人のような気配を感じ、勘三郎さんの洒脱さに舌鼓を打ち、若手の成長振りに心強い思いがし、休憩時間には、それぞれの階の売店をうろつき、玄関口に佇む菊五郎さんの奥様にほれぼれし、まさにお祭り!そのもの。かつて人々は生きる力を蘇生するためにも祀りを営んできた。その生きる力を得られる場が歌舞伎座であり、歌舞伎であるのだ。ハレがあるからヶがしのげる。
 ヶの日々には曰く言い難い事が山とある。しかしこの空間に足を踏み入れれば、異空間を舞台の役者さんと共に飛翔できるのだ。その解放感こそが明日のヶの日々を生きるエネルギー源になるのだ。 
 この世に人が誕生したその時からこのような営みは種々形を変えて人々の心を慰め勇気を与えてきたに違いない。それこそが日本の芸能が連綿と持続してきたことの証しだと思っている。
 311以来、歌舞音曲を戒めようとする傾向があるが、むしろいまだからこそ、この芸能の力が本領発揮するべき時だと思っている。

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