侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

ヨーロッパ美術史レポート

2010-07-24 14:31:24 | Weblog
             「ヨーロッパ美術史1b」
                   
はじめに

 ○何故、古典古代の完全無比とも言える造形美がルネッサンスまで取り戻されることが無かったのか。
 ○暗黒の中世美術は、古典古代の完全無比の造形美を無視した表現だが、極めて原始生命エネルギーを感じさせる魅力を湛え ている。ダロウの書などの写本にみられる二次元的パターンの発祥にそれは由来するものなのか。
 ○北方ルネッサンスの雄であるファン・アイクの他の追随を許さない独自性の秘密は何か

おわりに




はじめに

 この春、縁あって初めてのイタリア旅行にでかけた。ミラノ、ベネチア、フィレンツエ、ローマを正味5日間で回る忙しい旅だった。
 今回の授業を事前に受けていたなら、時代を超えてそこにある美術に対する理解や歴史的意義が深まったはず、と残念でならない。
 ゴシックの代表格ミラノ大聖堂、ロマネスク様式の特徴を備えたピサ大聖堂など、イタリアは至る所に教会があった。バジリカ式なのか、集中型なのかたちどころに実物を目の前にして教会様式も実感できただろうに。
 ウフィッツィ美術館では実物を目の前にして、先生が、生徒達に講義をしていた。常に本物を目の前にしながら学ぶチャンスに恵まれている彼らにとっては極日常的な事なのだろうが、とても贅沢な事だと思った。
 教会には信仰の場として、町の人々が真剣な祈りを捧げに来ていた。人々は私たちが美術として紙上で学ぶもののただ中で日常生活を営んでいる、日々それらを空気と同じように呼吸しながら生きていると言う事実。私たち日本人は平面文化に長い時代慣れ親しんできているので、教会そのものの荘厳さや、巨大な絵画などにたちすくむような圧倒感を覚えた。
 殊にローマには、今回のヨーロッパ美術史を概観出来る文化遺産が点在していた。
 西洋美術史を概観するに、美術と名付けられるものの始まりをたどるのはなかなか難しいものだと思い知らされた。又、美術をという概念を一律に決めてかかることもたやすくはない。
 「〈美術史〉の歴史と現在」に至っては、プリニウスに始まり、ルネッサンスを称揚したジョルジョ・ヴァザーリ等、様々な視点がある事を知り、その奥深さに気の遠くなるような思いにうちのめされもした。が、知れば知るほど、興味はつきないし、深奥を極める喜びも格別なのだろう。とうてい、その深奥に行き着くことは無理だとは思うが、今回の授業でとりわけ、心にかかった事について考えてみたい。我ながら無謀であり、沢山の誤謬が生じる事も予測できるが、それも、覚悟で試みて見たい。
「まさに「藝術作品は、解釈者(見るもの)の意図や欲望を映し出す鏡」かも知れないが。
 ○何故、古典古代の完全無比とも言える造形美がルネッサンスまで取り戻されることが無かったのか。
 ○暗黒の中世美術は、古典古代の完全無比の造形美を無視した表現だが、極めて原始生命エネルギーを感じさせる魅力を湛えている。ダロウの書などの写本にみられる二次元的パターンの発祥にそれは由来するものなのか。
 ○北方ルネッサンスの雄であるファン・アイクの他の追随を許さない独自性の秘密は何か
 以上の点について、ヨーロッパ美術史を俯瞰出来る基礎もなく混沌とした状態のまま、ドンキホーテさながらにチャレンジを試みたいとおもう。

1.何故、古典古代の完全無比とも言える造形美がルネッサンスまで取り戻されることが無かったのか。

 エジプト美術の影響下にあったアルカイックな表現から、さらにより自然にあるがままの人体を写し取り、重心を片方の足にかけるポーズ〈コントラポスト〉が発展し、やがて完全無比の美的創造物とも言えるギリシャ彫刻が出現した。この原型をしのべるのはローマンコピーなるものがあるからなのだと初めて知ったのだが、確かにヴァチカン美術館の八角の庭に「ベルヴェデーレのアポロン」 はあった。その時はローマンコピーであるという認識の無いまま、なんて美しいのだろう、まさに完全無比の美の極致を顕すものだと、ため息をついたものだ。事実、ヨーハン・ヨーアヒム・ヴィンケルマン は彼の時代にあってはローマンコピー という認識のないまま、それ以前も以後にも無いほどの大賛辞で讃えている。
 まさに、古代ギリシャ・ローマ美術が
「ヨーロッパ美術の長い歴史の中で、規範として理想化されてきた。過去のさまざまな時代が、自分たちの時代の要請を受けて、読み替え、解釈しながら、自己の文化のアイディンティティの起源、モデルとした「テクスト」」 と言われる所以であろう。
かくして、ポリュクレイトスが完成させた人体の理想的比例は「カノン(規範)」として、以後、西洋の芸術家が繰り返し立ち戻る「古典」になった。
 やがて、あまたの戦により、アテネのポリス(都市国家)は崩壊する。
 ローマ美術はギリシャ美術の伝統を継承していたが、キリスト教がミラノ寛容令により313年に公認されることにより、キリスト教美術へと変容していく。イタリア旅行中、確かに、行く先々に教会があった。殊にローマにはカトリックの聖地、初代教皇聖ペテロが眠るヴァチカン市国がある。最初キリスト教美術はカタコンベに象徴されるように地下で誕生した。が、国教として公認されることで地上に出現し、「教会の勝利」の時代へと移行し、以後千年以上にもわたって教会という場でキリスト教美術は展開されていく。
 神の家である教会をより美しく荘厳し、その中にいるだけで高い次元に精神を高められるような場にするべく、教会建築はより高度に複雑に発展していく。
 文字の読めない人々の為にキリスト教の教えを普及させる手段として具体的に絵画や彫刻であらわした。モザイク画はまさにそんな神の家を彩る最適なものでもあった。
 全てキリスト教とのつながりにおいて、ビザンチン、ロマネスク、ゴシック美術として時代を経過してきた。ただその表現の中にたくまずして民族固有の伝統が潜在していることが随所にみてとれることも興味深いことである。
 何故かくも長きにわたり、人々はかつて古典古代で掌中の珠とした完全無比とも言える自然をそのまま目にみえるように写し取る表現を、手放していたのか。遺跡も遺品も埋もれていたわけはなく、人々の目にふれてきたはずなのに。
 それに対して、塩野七生が著作の中で以下のように表現しており、納得させられるものがあった。
 「人間とは、見たくないと思っているうちに実際に見えなくなり、考えたくないと思い続けていると実際に考えなくなるものなのです。(中略)ユリウス・カエサルは、
 『人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しかみていない』と、」  
 塩野は続けて言う。
 「この一句を、人間性の真実を突いてこれにまさる言辞はなし、と言って自作の中で紹介したのはマキアヴェッリでした。カエサルより1500年後のフィレンツェ人。
 長い間、古代ギリシャ、ローマ人の著作はキリスト教徒の読むものとしては不適当とされてきたが、ことここにいたり、ルネッサンス人は人間の肉体の美を再発見しただけでなく、人間の言語も再発見したのだ。」

 ここからが命題に対する答えと思える部分である。長いが引用する。
「(前略)自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の言葉で話し書く魅力に目覚めるのも当然の帰結です。神を通して見、神の意に沿って考え、聖書の言葉で話し書いていた中世を思い起こせば、ルネッサンスとは『人間の発見』であったとするブルクハルトの考察は正しい。しかも、言語が人間のものになれば、人間だからこそ感ずる微妙な感情の表現にも出場の機会が訪れる。そして思考も感性も言語も聖職者の独占を脱したからには、(中略)
 ラテン語圏の方言の一つにすぎなかったイタリア語は、民族の言語に成長していったのです。」
 ルネッサンスはフィレンツエ人気質とも言える強烈な批判精神の元に発展していく。その批判精神と表裏の関係にある強烈な好奇心がレオナルドやミケランジェロを様々な表現にかき立てたとも言える。それとあいまってメディチ家が台頭してきて、経済人が学問芸術の良きパトロンとなり、創作する人たちを物心両面で支えたこともルネッサンスを加速させることに一役かっている。
 キリスト教という一神教によりかくも長き千年もの間、人々は見ざる、聞かざる、言わざるをとおしてきた、その時代の抑圧を一気に暴発させたのがこのフィレンツェというすべてにおいて文芸復興を起こすにふさわしい条件を兼ね備えていた都市だったのだ。
 我が校も21世紀の文芸復興を目指すことにより創立された、そのミッションに大いに心打たれ入学した者として、この過去のルネッサンスの時代を紐解くことは心躍ることであった、強烈な好奇心はあるが、批判精神となると少し危ういが。
 やっとルネッサンスのとば口に立ったところで字数制限も遙かに超えているので筆を置くこととする。
 あとの二点に関しては殊に興味をそそられた部分を列記するにとどめる。

 2.暗黒の中世美術は、古典古代の完全無比の造形美を無視した表現だが、極めて原始生命エネルギーを感じさせる魅力を湛えている。ダロウの書などの写本にみられる二次元的パターンの発祥にそれは由来するものなのか。

 「ダロウの書」 の人(マタイの象徴)は正面観と側面観の組み合わせであり、人間像を表す具象性を無視し、両腕はカットされ、釣鐘型の身体の表面はチェス盤模様で埋め尽くされている。これはゲルマン族に流布していた金工品を手本にしたかのようだ。
 決して古典古代の具象的完全無比の人体像でないにもかかわらず、その幾何学的、線的な構成に強烈に引き寄せられる吸引力がある。視える世界の形象を直写するのではなく、抽象作用を通して非材的な形象を表すことで、視覚的に訴えることに見事に成功しているとおもう。
 単にキリスト教のシンボルではなく、土着のケルト美術や他の美術を媒介し、土着の伝統を殺さずに、キリスト教聖書という新しい聖性のシンボルを立ち上がらせる創造行為として結実している。まさにその土着の伝統から放たれる生命エネルギーが今の時代にも発光され続けているように思えてならない。

 3.北方ルネッサンスの雄であるファン・アイクの他の追随を許さない独自性の秘密は何か
「ロランの聖母子」 の中ほどに見える二人の人物は、最初の「風景を眺める人物像」とされる。画家の目の代理人なのか、そのえを見る我々の代理人なのか。かくのごとき類い希なる仕掛けをヤンは至る所にしてくる。それほど技巧的にも自在であり、描くことに相当の自信と自負が伺える。それでいて清潔で静謐な絵画空間を創造している。
 すでに字数もかなりこえているので、さらなる探求は後日に委ねることとしたい。

 おわりに

 若桑みどり氏の言葉に代えて終わりとしたい。
 「芸術のコミュニケーションは、知性ばかりでなく、感性もふくんでいますから、知識ばかりでなく感動もあたえ、人格の全部を動かします。その点で、あらゆる人間のコミュニケーションのなかで、もっとも複雑で、もっとも深く、もっとも総合的なものといえるでしょう。そのうえ、たとえそこに描かれた思想や信仰が今は滅びてしまい、意味を失ってしまっているとしても、絵は残ります。絵の生命は死ぬことはなく、古びることもなく、それを人が見て美しいと思うかぎりつねに現在です。それこそが芸術の本当の力なのです。」


 参考文献
笹谷純雄「ヨーロッパ美術史」[ベルヴェデーレのアポロンー古代彫刻の評価をめぐってー]京都造形芸術大学、1998年

「西洋美術史」監修 高階秀爾 美術出版社1990年
高階秀爾・三浦篤編「西洋美術史ハンドブック」新書館1997年
越 宏一「線描の芸術―西欧初期中世の写本を見るー」東北大学出版会2001年
Pen別冊「キリスト教とは何か。」阪急コミュニケーションズ2002年
元木幸一「ファン・エイク」小学館2007年
塩野七生「ルネッサンスとは何であったのか」新潮社2008年
若桑みどり「イメージを読む【美術史入門】」ちくま学芸文庫2005年
ウフィツィー美術館公認ガイドブック

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