てんとう虫の歳時記 2

主に狭山丘陵の野鳥、昆虫、植物などを写真を中心に綴ります。

筆のすさび

2013年03月02日 17時40分11秒 | インポート

所沢航空記念館に展示されていたもの(上の画像)を調べて見た。

「筆のすさび」は廉塾へ立ち寄る多くの来訪者から茶山が直接聞いた諸国の異事奇聞、交友のあった大勢の友人知人からの書簡などから、
興味関心を持ったこと、胸中の思いなどを書き綴ったものを、晩年の文政10年(1827年)頃、弟子の木村雅寿に第1巻分を清書させたのが始まりとされています。
茶山の死後、次々に書写編纂が進み、安政3年(1856年)全4巻の随筆集として刊行されたものです。

茶山とは菅 茶山(かん ちゃざん(さざん)のことで今の広島県に1748年生まれた学者、詩人だという。

農業・菅波久助の長子として生まれる。茶山が生まれ育った神辺は、山陽道宿場町として栄えていたが、賭け事や飲酒などで荒れていた。
学問を広めることで町を良くしようと考えた茶山は、京都那波魯堂朱子学を学び、和田東郭古医方を学んだ。京都遊学中には高葛陂の私塾にも通い、
与謝蕪村大典顕常などと邂逅した
この中に次のような一節(訳文したもの)があるという。

機巧(きこう)
 備前岡山の表具師幸吉という者が、一羽の鳩を捕らえて、その体の軽重や羽翼の長短を計り、自分の体重と比較して、自分に合った羽翼を作製し、
胸の前で操作出来る仕掛けを作り、羽翼を動かして飛行した。地面から直接飛び上がることは出来なかったので、屋上から羽ばたいて飛び出した。

 ある夜、郊外れ(まちはずれ)の空を滑空していて、野原の一角で酒宴を開いている人達を見つけた。もしかしたら知人ではないかと、降下して地面に近づいたところ、
風力が弱くなり、バランスを崩して落下してしまった。
酒宴していた男女は驚いて逃げ去った。そのあとに酒肴が沢山残っていたので、幸吉は腹一杯になるほど飲み食いして、再び飛行しようとしたが
地面からは飛び上がることは出来なかったので、羽翼を畳んで歩いて家に帰った。

 後で、この事が露見して、幸吉は町奉行所に呼び出され、人のしない事をするのは、それがたとえ道楽といえども一種の犯罪であるとして、両翼を取り上げられ、
住んでいる町から追放され、他の町へ移し替えられた。 このことは一時の笑い種ではあるが、珍しい事だから記録しておく。寛政の前(1789年以前)のことである。

このことが本当ならば186年以上前に飛行機は有ったことになる。
イト兄弟は110年前に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した。とある。






ゼロ戦

2013年03月02日 16時42分53秒 | インポート
















今日も突風が吹き荒れて鳥は撮れそうにない。

かねてから気になっていたゼロ戦を撮りに行ってきた。
製造当時のオリジナルエンジンで飛ぶことのできる唯一の零戦が所沢航空記念館に展示されている。
3月いっぱいでアメリカにある「プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館」に戻るという。

茨木や千葉の航空機ファンの車がたくさん来ていた。
若い方はともかく、年代によっては複雑な心境だろう。