所沢航空記念館に展示されていたもの(上の画像)を調べて見た。
「筆のすさび」は廉塾へ立ち寄る多くの来訪者から茶山が直接聞いた諸国の異事奇聞、交友のあった大勢の友人知人からの書簡などから、
興味関心を持ったこと、胸中の思いなどを書き綴ったものを、晩年の文政10年(1827年)頃、弟子の木村雅寿に第1巻分を清書させたのが始まりとされています。
茶山の死後、次々に書写編纂が進み、安政3年(1856年)全4巻の随筆集として刊行されたものです。
この中に次のような一節(訳文したもの)があるという。
胸の前で操作出来る仕掛けを作り、羽翼を動かして飛行した。地面から直接飛び上がることは出来なかったので、屋上から羽ばたいて飛び出した。
ある夜、郊外れ(まちはずれ)の空を滑空していて、野原の一角で酒宴を開いている人達を見つけた。もしかしたら知人ではないかと、降下して地面に近づいたところ、
風力が弱くなり、バランスを崩して落下してしまった。
酒宴していた男女は驚いて逃げ去った。そのあとに酒肴が沢山残っていたので、幸吉は腹一杯になるほど飲み食いして、再び飛行しようとしたが
地面からは飛び上がることは出来なかったので、羽翼を畳んで歩いて家に帰った。
後で、この事が露見して、幸吉は町奉行所に呼び出され、人のしない事をするのは、それがたとえ道楽といえども一種の犯罪であるとして、両翼を取り上げられ、
住んでいる町から追放され、他の町へ移し替えられた。 このことは一時の笑い種ではあるが、珍しい事だから記録しておく。寛政の前(1789年以前)のことである。
このことが本当ならば186年以上前に飛行機は有ったことになる。
ライト兄弟は110年前に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した。とある。
今日も突風が吹き荒れて鳥は撮れそうにない。
かねてから気になっていたゼロ戦を撮りに行ってきた。
製造当時のオリジナルエンジンで飛ぶことのできる唯一の零戦が所沢航空記念館に展示されている。
3月いっぱいでアメリカにある「プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館」に戻るという。
茨木や千葉の航空機ファンの車がたくさん来ていた。
若い方はともかく、年代によっては複雑な心境だろう。
今日か明日かと待っていたアカガエルの産卵が、今朝行なわれたようだ。
ここの田んぼでは20個ぐらいの卵塊が見られた。
待っていたのは私だけではない。
ヘビや大型の野鳥や猛禽もカエルを待っているはず。
130302風強し