この本を読むと、色々な課題が見えて来る。日本国内で「日本ってスゴイ」とか「世界は日本に注目している」といったニュースに毎日のように接していると、まるで世界の中で一大日本ブームが起きているかのような錯覚に陥ってしまう。NHKのクールジャパンが言うように、果たして日本ってそんなに凄い国なのかどうなのか。GDP世界第三位なんだからそれなりに凄いとは思うけど、本を読むとそのあたりがマジ見えてくる。
まずイギリスは、島国で気候は北国の寒々とした暗い国だ。コリン・デクスターのミステリーが、不倫や金の亡者や名誉に飢えた教授などの一見平和に見える町の人々が実は複雑な人間模様の中で引き起こす陰湿な殺人を描いて、正にイギリス的であるように、イギリス人というのは猜疑心が強く決して他人を誉めるということをしない。だからデービット・アトキンソンも根暗な逆恨みタイプの人間かと思われるかも知れないが、実はアナリストとは言っていても、「小西美術というれっきとした国宝保存の会社」社長をやっている日本人以上にバリバリの日本贔屓なのである。25年も日本に住んでいて、京都にも町屋を買い「茶の湯」を嗜む日本通でもある。そんな彼が日本の本当の姿を描きだしたのがこの本であるというわけ。
日本人の自慢は例の「おもてなし」であるが、それは日本人の思っているほど外国には伝わっていない。日本のおもてなしは、お客の都合ではなく、店の都合を優先する接客態度に特徴が現れているという。日本人は何でも最高のもの、つまり「日本一」をもとめるが、洗練された優雅なおもてなしは、結局は自分達の「様式美」を満足させる一方法であるに過ぎない。世界基準から言えば変わっているのだ。そのあたりの外国の一般的な評価が、いまいち国内では伝わってこないのだ。その訳は数字を客観的に読むことへの拒絶反応である、とアナリストのデービットは言う。観光立国といって近年、外国から日本にやってくる観光客が増えているとニュースでは伝えられているが、実は世界の標準からは全然「まだまだ観光に行くには遠い国」であることを数字が物語っているのだ。
詳しい話は本を読んでもらうとして、私はそろそろ日本人も世界に目を向けて、互いの意志疎通を図る頃ではないかと思うのだがいかがだろうか。その点では、韓国も中国も変わりは無いようだが。つまり現実に目を向けて自分を律する、これである。どうも自我自賛が巷には溢れかえっているようで心許ない。観光客が2000万人に達しそうだと大喜びだが、その観光客が日本の「どこを見て」感動しているか分かっていないというのが問題である。
私の持論「本当に価値のある物に金を使えば、何倍にもなって返ってくる」の見本が観光立国である。箱物行政などより数段良いことは請け合いだが、私は5000万人も来たら日本はパニックになるのじゃないかと思っている。御徒町にはアメ横があって、パキスタン人やタイ人などが溢れていることで有名だが、少数でも「もう既に町を乗っ取られている」ような気分である。これが人口の半分もやって来たらどうなるのだろうか。観光客数はフランスは1億人弱で人口より多い。東京はグローバルな都市として人種の坩堝にならざるを得ないのだろうが、ホテルのキャパも全然足りないので民泊を増やして対応を急いでいる。しかし外人という呼び名が示すように、日本では余り定着しないのではないかと思う。
日本の良さというのは「日本人が作り出す居心地の良さ」に他ならない。日本人にだけ通用するしきたりやルールであり、世界標準に合わせたら一気にニューヨークやドバイみたいに「外人の住みやすいだけのつまらない都市」になってしまうことは目に見えている。日本は京都みたいに住みにくくて年中行事にがんじがらめになっていて息が詰まってしまうような町でしか醸し出せない古めかしい都市のまま、ハイテク機器に血眼になる不思議な民族の住む場所でいいような気がする。結局日本は日本のまま、世界標準から置いてかれて生き続けるしかないのである。逆説じみているが、それが日本らしさの正体である。つまり日本らしさとは「日本人の特殊性そのもの」を言葉を変えて表現したものに他ならないのである。だから日本人が「おもてなし」で観光立国しても、「遠くからやってきた外国のお客様」の枠を超えて大量にそこここに見知らぬ外人が溢れかえる事態になったら、その瞬間に日本人の居心地のいい社会は失われて「昔の日本を身にまとった新しいドバイ」になってしまうことだろう。
英語も喋れず外人に道も教えられない日本人で構わないし、日本はいつまでも「東の果てにあるという、礼儀正しい国」のままで良いのじゃないか。明治維新のときは西洋を真似て富国強兵を国是としたが、結局日本の良さは明治以前の社会のまま何も変わらず今日まで来ているじゃないか。何も外人に合わせて日本の素晴らしさ(すなわち日本人の素晴らしさ)を変える必要は全くないし、また変わらないと思うのだ。出だしと結論が逆になってしまったが、それでいいじゃないかと私などは思ってしまう。皆さんはどうなんだろう、大事なことだと思うのだが。
まずイギリスは、島国で気候は北国の寒々とした暗い国だ。コリン・デクスターのミステリーが、不倫や金の亡者や名誉に飢えた教授などの一見平和に見える町の人々が実は複雑な人間模様の中で引き起こす陰湿な殺人を描いて、正にイギリス的であるように、イギリス人というのは猜疑心が強く決して他人を誉めるということをしない。だからデービット・アトキンソンも根暗な逆恨みタイプの人間かと思われるかも知れないが、実はアナリストとは言っていても、「小西美術というれっきとした国宝保存の会社」社長をやっている日本人以上にバリバリの日本贔屓なのである。25年も日本に住んでいて、京都にも町屋を買い「茶の湯」を嗜む日本通でもある。そんな彼が日本の本当の姿を描きだしたのがこの本であるというわけ。
日本人の自慢は例の「おもてなし」であるが、それは日本人の思っているほど外国には伝わっていない。日本のおもてなしは、お客の都合ではなく、店の都合を優先する接客態度に特徴が現れているという。日本人は何でも最高のもの、つまり「日本一」をもとめるが、洗練された優雅なおもてなしは、結局は自分達の「様式美」を満足させる一方法であるに過ぎない。世界基準から言えば変わっているのだ。そのあたりの外国の一般的な評価が、いまいち国内では伝わってこないのだ。その訳は数字を客観的に読むことへの拒絶反応である、とアナリストのデービットは言う。観光立国といって近年、外国から日本にやってくる観光客が増えているとニュースでは伝えられているが、実は世界の標準からは全然「まだまだ観光に行くには遠い国」であることを数字が物語っているのだ。
詳しい話は本を読んでもらうとして、私はそろそろ日本人も世界に目を向けて、互いの意志疎通を図る頃ではないかと思うのだがいかがだろうか。その点では、韓国も中国も変わりは無いようだが。つまり現実に目を向けて自分を律する、これである。どうも自我自賛が巷には溢れかえっているようで心許ない。観光客が2000万人に達しそうだと大喜びだが、その観光客が日本の「どこを見て」感動しているか分かっていないというのが問題である。
私の持論「本当に価値のある物に金を使えば、何倍にもなって返ってくる」の見本が観光立国である。箱物行政などより数段良いことは請け合いだが、私は5000万人も来たら日本はパニックになるのじゃないかと思っている。御徒町にはアメ横があって、パキスタン人やタイ人などが溢れていることで有名だが、少数でも「もう既に町を乗っ取られている」ような気分である。これが人口の半分もやって来たらどうなるのだろうか。観光客数はフランスは1億人弱で人口より多い。東京はグローバルな都市として人種の坩堝にならざるを得ないのだろうが、ホテルのキャパも全然足りないので民泊を増やして対応を急いでいる。しかし外人という呼び名が示すように、日本では余り定着しないのではないかと思う。
日本の良さというのは「日本人が作り出す居心地の良さ」に他ならない。日本人にだけ通用するしきたりやルールであり、世界標準に合わせたら一気にニューヨークやドバイみたいに「外人の住みやすいだけのつまらない都市」になってしまうことは目に見えている。日本は京都みたいに住みにくくて年中行事にがんじがらめになっていて息が詰まってしまうような町でしか醸し出せない古めかしい都市のまま、ハイテク機器に血眼になる不思議な民族の住む場所でいいような気がする。結局日本は日本のまま、世界標準から置いてかれて生き続けるしかないのである。逆説じみているが、それが日本らしさの正体である。つまり日本らしさとは「日本人の特殊性そのもの」を言葉を変えて表現したものに他ならないのである。だから日本人が「おもてなし」で観光立国しても、「遠くからやってきた外国のお客様」の枠を超えて大量にそこここに見知らぬ外人が溢れかえる事態になったら、その瞬間に日本人の居心地のいい社会は失われて「昔の日本を身にまとった新しいドバイ」になってしまうことだろう。
英語も喋れず外人に道も教えられない日本人で構わないし、日本はいつまでも「東の果てにあるという、礼儀正しい国」のままで良いのじゃないか。明治維新のときは西洋を真似て富国強兵を国是としたが、結局日本の良さは明治以前の社会のまま何も変わらず今日まで来ているじゃないか。何も外人に合わせて日本の素晴らしさ(すなわち日本人の素晴らしさ)を変える必要は全くないし、また変わらないと思うのだ。出だしと結論が逆になってしまったが、それでいいじゃないかと私などは思ってしまう。皆さんはどうなんだろう、大事なことだと思うのだが。
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