今世間で騒がれている吉本興業と宮迫・亮の反社会的勢力との闇営業問題は、本来、反社会的勢力と芸能界の接点が問題の中心であり、追及・糾弾されるべきなのは反社会的勢力の方の筈なのに、商売をした芸人の側が問題になって変だなと感じていた。それが同じように反社会勢力との営業をした大勢の中で、いつの間にか宮迫・亮だけが悪者になって、契約解消だの芸人人生が終わるだのとか、メディアが取り上げて大騒ぎしているのが違和感を覚えてならないのである。それでいよいよ昨日、渦中の吉本興業岡本社長が記者会見を行ったが、これが「まさかの大不評」で、新聞・週刊誌やテレビ・マスコミの風向きが変わり、一斉に吉本興業をターゲットにし始めたな、というのが今の印象である。マスコミが見識なく場当たり的に話題を取り上げるのはいつもの事だから少しも驚かないが、しかしそれにしても、フライデーの「庶民の鬱屈や不満に阿るゲスな根性」には、今更にして「見下げ果てたクズ連中の所業」と呆れるほかはない。
まあフライデーのことは、そういう金持ち・有名人の隠された秘密を暴いて、噂好きの読者の溜飲を下げる下品な手法が「違法ではない」から週刊誌として存在しているとは言え、それに晒される芸能人や吉本興業も「いい迷惑」であろう。岡本社長には、余りにも要領を得ない回答が延々と続く会見に批判が集中していたが、質問者の意図を正確に聞き取った上で「グダグダ言い訳がましく遠回しの発言を繰り返していた」のは、ある意味「保身の権化であること」を天下に自白しているようなものである。少なくとも芸能界で長年飯を食っている人であれば、こんな事は重々わかっている筈なのに「あの対応」は正直いただけない。
ところで今日、羽鳥モーニングショーで「事件に詳しい専門家」として呼ばれていた小谷野俊哉日刊スポーツ記者が、これまた求められた質問には直ぐには答えず「取り巻く状況」をモッサリと説明する時間のかかる話し方だったのにはウンザリした。揃いも揃って、日本人というのはどうして単刀直入にズバッと結論を言えないのだろう。「答えを先に言って」から細かい説明をするのが「順序」というものであり「常識」ではないのだろうか。こういう自称専門家は、出てこなくても番組進行には全く影響がない、というかチャンネルを変えたくなるのもやむを得ないと感じた。プロデューサーは人選にもっと気を使わないと、視聴者はすぐにでも他局へ移られてしまうと思った。
人選間違いと言えば、ゲストコメンテイターの大谷由里子元吉本興業マネージャーというコメンテイターの言うことが、最初から最後まで余りにも独善的・情緒的過ぎて、玉川氏があんまり酷いのでツッコミを入れた所、更に延々と「視聴者の聞きたくもない仲間内の岡本社長擁護」をしゃべり続けていたのには驚いた。関係者という立場で出演していたのだろうが、正直「何を代表してコメントしてる」のか全然意図が読めなかった。結局は、岡本社長は悪い人じゃ無くて言葉がたらなかっただけ、というような雰囲気で熱く話していたが、吉本興業の公式会見の内容について「社長の人柄は良い」的な説明を聞かされても、視聴者には場違いなだけである。
そこへ行くと、玉川氏の挙げた会見への疑問には鋭い物があった(というよりは、他が駄目だったのだが)。ところが今回は同じコメンテイターの女性弁護士菅野朋子とコメントの内容が食い違い過ぎて、興奮気味の激しいバトルを繰り広げたもんだから「おやおや」と思って聞いてしまった。彼女の挙げた問題点が「契約書を作っていないことが揉めた遠因」というような、言わば「事件の本質と関係のない企業論」的なことを言うもんだから、男性陣は「はぁ?」となるみたいである。彼女はたまたま今回のことだけかも知れないが、少々ピントがずれているとしか言いようがない。女性弁護士という肩書で出ているのであれば、もうちょっと「おお、なるほどそうだったのか!」というような、法律家ならではの専門的発言をしてくれるのかと思っていたのだが、全くの期待はずれのようである。やはり男性と女性とでは、物事を捉える感覚が違うのだろうかと、余計な妄想を発展させてしまった。
その点で、青木氏が一番まっとうな常識人であり、問題の本質を突いていて「正論」を語っている、と感じたのは私だけではないだろう。そこで今回の宮迫・亮問題と吉本社長会見の一連の事件を私なりに総括してみた。
1、暴力団・犯罪者集団の目眩ましフロント企業こそ摘発すべき
民間人に、暴力団とフロント企業の裏の関係を見分けることは難しい。それに、たとえ実態が悪の組織であっても、表向き正当な経済活動を個人の判断で選別・拒否しろというのは、法律に書いてないことを理由に何の援護も頼れない状態で「無力な個人に暴力団と一人で戦え」と強いることと同じである。例え条例で定められているとは言っても「相手がその筋の人間」だと名札をぶら下げているわけでなし、大騒ぎしているパーティー会場で「私は参加できません」と言って揉め事になるリスクを、一芸人に背負わせるのは酷であろう。逆の立場で言えば、タトゥーを入れているからと言って「誕生パーティーに芸能人を呼ぶ権利」が認められないなどと犯罪者扱いされたとなると、名誉毀損で訴えられることも考えられる。呼ばれて芸をすることで何とか生活している芸人の立場からすれば(収入の多寡ではない)、呼ばれた以上は仕事として受けるし、仕事をすれば報酬をもらうのは当然ではないか。それを反社会的勢力だとか詐欺集団だとか、警察でもない彼らに「スーパーマン的な正義の味方」を求めるのは要求が高すぎるし、筋違いである。何も自分から積極的にのめり込む必要はないが、相手の素性をしっかり確認してから仕事をするというのでは、現在の芸能界ではとても仕事が務まらないであろう。彼らは馬鹿なことを見せてナンボの芸人なのである。まかりまちがっても「警察や私立探偵」ではないのだ。宮迫・亮を詐欺集団の一味のごとき極悪芸人と断罪する気持ちには、マスコミやSNSが称揚する「一般市民の無邪気な正義感」が働いている。彼らは自分の身を損害や危険に晒すことなく、「ただ群集心理に酔って正義を求める」自分勝手な観衆にすぎない(私はKKKを思い出すが)。この群衆心理は「リンチ」に通じる正義漢なのだ。正義を世の中に広めるには、常にリスクが伴うことは百も承知のはずである。宮迫・亮を糾弾することで「自らを正義人の代表」として使命感に酔い痴れていたマスコミが、宮迫・亮の全てを曝け出した涙の会見を見て世間の目が同情へと変わったのを見逃さずに、今度は矛先を吉本興業へと向けた「変わり身の速さ」がすべてを物語っているように思えたのである。マスコミは最初宮迫を非難糾弾していたのに手のひらを返すように岡本社長を吊るし上げている。報道の姿勢が「全くの無反省」なことが気になる。それに、反社会的勢力を警察が明示的に排除できないのであれば、その反社会的勢力と取引したことを持って彼らを廃業に追い込むのは、「正義の乱用」というべきであろう。例えば詐欺集団が誕生パーティーを開いたレストランは、彼らが詐欺集団だと知らなかったのだろうか。もちろん知らないと言うだろう。だが「ひと目みればヤバい筋の人だ」ぐらいは、誰でも気がつくはずである。それでも食事を提供し金品を受け取りパーティーを盛り上げたのである。それで一切お咎めなしというのは、おかしくないだろうか?。反社会的勢力は日々生活をしていて、コンビニにも行くしデパートでも買い物をしている。では「そこら中の店で」あなたは反社会的勢力だから、物は売れませんと断れと言うのだろうか。非現実的ではないか。実際問題として、反社会的勢力であっても「キチンとお金を払ってる以上」は、無闇に断ることは出来ないと思わないか?。宮迫・亮たちは「お金を返上のうえ、3日の謹慎及び1週間の公共ボランティア活動」ぐらいの処置で「お仕置き」するのが妥当である。その後は「改心している」のだから、以前同様芸人として「観客を笑わせること」に邁進すればいいのではないだろうか。世間も「彼らがこういうことに引っかかってしまった顛末」については、後日に「笑いのネタにする」して笑いに転化するぐらいの度量があっても良いと思う。まあ、嘘をついたことは褒められないにしても、最初から正直に言えば許してもらえる範囲だと分かっていれば、「わざわざ嘘などつこうとはしなくなる」のである。大の大人が涙を流して皆んなの前で謝罪するほどの大罪を犯したとは、私にはとても言えない。これが私の素直な感想である。悪いのは反社会的勢力と言われる一連の人々であって、彼らと「どう向き合って」我々の生活を守るのか、が問われるべき問題なのだ。相手は、宮迫・亮や吉本興業ではない。
2、相手の欲しがる答えを的確に返事する能力
自分の撮った行動を反省しているということは、当時の自分の意識では普通の事と思っていたことが「世間の見方と大きく食い違っていた」と知って、その双方の主張を比べて「自分のほうが間違っていた」と結論づけたことである。その結果、事実を客観的に見られるような立場に今は「考えが変わった」というのが改心したという意味なのだ。以前と違って新しい自分に生まれ変わっている以上は、改心前の自分の姿を曝け出すことに「躊躇」すべきではないし、また躊躇する気持ちもないであろう。自分が間違っていたと「気づいた瞬間に」自分の過去の間違いについて会見するのがベストのタイミングであり、ズルズル日延している間に「増々状況は悪化」してしまう。私は決して「早いほうがいい」と言っているのではない。「改心した時点」で会見をすべきだと言っているのだ。この例で言うならば、宮迫・亮は記事がフライデーに載った時点で自分たちの間違いを知ったわけだから、その時真摯に反省して会見すべきだった。彼らは嘘をついていたことを正直に発表しなくてはいけないと思ったのだから、条件は揃っていた。何故なら彼らは改心した時点で、「糾弾する側と同じレベルに自分の判断力が追いついた」のである。報道陣の質問にも正直に答えることが出来たのは、世間と彼らの認識が完全に一致していたからではないだろうか。謝罪会見とは、こういう風にお互いの立場・感覚が一致している時に「誠意が伝わり」謝罪は受け入れられるのだ。そうなれば後は「事実確認」だけである。それに比べて吉本興業岡本社長の会見はどうであったのか。宮迫・亮と比べて、彼の方は「改心したわけじゃなかった」のである。改心していないから、質問に素直に答えることが出来ず「訳の分からないことを繰り返す」羽目になったのだ。彼は毅然として報道陣に自らの正当性を訴え、反社会的勢力との問題は一芸人の対処できる範囲を超えている、と主張すべきではなかったか。それが受け入れられたかどうかは問題ではない。正しいことを行っているという姿勢・主張が必要なのだ。だが彼には「正しいことをしている」というよりも、「部下の不祥事を如何にウヤムヤにして乗り切るかに腐心している経営者」という姿を見せてしまったのである。その乗り切り方が「宮迫を契約解除する」だったから、部下を斬って会社と自分を守った、と言われても仕方がない。世間から見れば、そんな風に見られることは予測出来ていた筈なのに、それが出来なかったのは「ファミリー感覚」の吉本興業においては、「ビジネスの論理」が皆目分からなかったのである(法律顧問だって居たはずなのに)。情緒に訴えようとする会見は、事実の積み重ねで問題を解決するビジネスの手法には「そぐわなかった」と言える。
3、吉本興業の「会社としてもコンプライアンスの欠如」は、民間企業のことでもあり、我々が口を挟むべき問題ではないがあえて言うなら、夕刊フジで取り上げる「ゴシップ記事のレベル」のしょーもない話である。わざわざコメントするほどの事じゃないので割愛する。
以上、羽鳥モーニングショーでの話題について書いて見た。そしたら続いてTBS「ひるおび」でも放送していたので、ついつい見てしまったが「挙げていた問題点」は以下の4点である。
1、静観した理由
2、パワハラ発言
3、なぜ会見させなかったのか
4、撤回したのは何故
以上である。ざっと要約されて居て、問題点が分かりやすく簡潔にまとめられていた。これの答えはもう既に出ていると思うので、重複を避ける。何れにしても、底の浅い話である。
最後にこれらに対する抜本的な解決方法を考えようと思うのだが、お笑い芸人も含めて芸能人全般の諸問題は、次の方法で処理するのが望ましいと思う。
A. 芸能活動をする人全員が加盟する「芸能人共同組合」を作る。メディアの不倫報道どか麻薬とか活動を「干される」などの圧力に対しては、組合で一括対処する。
B. プロダクション・配給会社・メディアへの難しい対応については、法律的なバックアップと契約形態の文書による定形化を図る。
C. 所属組合員には独立プロフェッショナルと研修生の区分を設け、研修生は独り立ちするまで規定の収入を保証する。それ以外はアマチュアとして出演ごとの賃金を支払う。区別の基準は、本人の力量で仕事が決まる場合を独立プロ、派遣事務所の選択で仕事を割り振りしてもらうのが研修生、その他がアマチュアである。所属先を移るのは、野球界などの例を見てFA制度などを導入する。
D. 今回を機に吉本興業と契約解消した芸人は、別のまっとうな受け皿企業(例えば人力舎とか、知らんけど)を用意または立ち上げて吸収する。
以上である。
まあフライデーのことは、そういう金持ち・有名人の隠された秘密を暴いて、噂好きの読者の溜飲を下げる下品な手法が「違法ではない」から週刊誌として存在しているとは言え、それに晒される芸能人や吉本興業も「いい迷惑」であろう。岡本社長には、余りにも要領を得ない回答が延々と続く会見に批判が集中していたが、質問者の意図を正確に聞き取った上で「グダグダ言い訳がましく遠回しの発言を繰り返していた」のは、ある意味「保身の権化であること」を天下に自白しているようなものである。少なくとも芸能界で長年飯を食っている人であれば、こんな事は重々わかっている筈なのに「あの対応」は正直いただけない。
ところで今日、羽鳥モーニングショーで「事件に詳しい専門家」として呼ばれていた小谷野俊哉日刊スポーツ記者が、これまた求められた質問には直ぐには答えず「取り巻く状況」をモッサリと説明する時間のかかる話し方だったのにはウンザリした。揃いも揃って、日本人というのはどうして単刀直入にズバッと結論を言えないのだろう。「答えを先に言って」から細かい説明をするのが「順序」というものであり「常識」ではないのだろうか。こういう自称専門家は、出てこなくても番組進行には全く影響がない、というかチャンネルを変えたくなるのもやむを得ないと感じた。プロデューサーは人選にもっと気を使わないと、視聴者はすぐにでも他局へ移られてしまうと思った。
人選間違いと言えば、ゲストコメンテイターの大谷由里子元吉本興業マネージャーというコメンテイターの言うことが、最初から最後まで余りにも独善的・情緒的過ぎて、玉川氏があんまり酷いのでツッコミを入れた所、更に延々と「視聴者の聞きたくもない仲間内の岡本社長擁護」をしゃべり続けていたのには驚いた。関係者という立場で出演していたのだろうが、正直「何を代表してコメントしてる」のか全然意図が読めなかった。結局は、岡本社長は悪い人じゃ無くて言葉がたらなかっただけ、というような雰囲気で熱く話していたが、吉本興業の公式会見の内容について「社長の人柄は良い」的な説明を聞かされても、視聴者には場違いなだけである。
そこへ行くと、玉川氏の挙げた会見への疑問には鋭い物があった(というよりは、他が駄目だったのだが)。ところが今回は同じコメンテイターの女性弁護士菅野朋子とコメントの内容が食い違い過ぎて、興奮気味の激しいバトルを繰り広げたもんだから「おやおや」と思って聞いてしまった。彼女の挙げた問題点が「契約書を作っていないことが揉めた遠因」というような、言わば「事件の本質と関係のない企業論」的なことを言うもんだから、男性陣は「はぁ?」となるみたいである。彼女はたまたま今回のことだけかも知れないが、少々ピントがずれているとしか言いようがない。女性弁護士という肩書で出ているのであれば、もうちょっと「おお、なるほどそうだったのか!」というような、法律家ならではの専門的発言をしてくれるのかと思っていたのだが、全くの期待はずれのようである。やはり男性と女性とでは、物事を捉える感覚が違うのだろうかと、余計な妄想を発展させてしまった。
その点で、青木氏が一番まっとうな常識人であり、問題の本質を突いていて「正論」を語っている、と感じたのは私だけではないだろう。そこで今回の宮迫・亮問題と吉本社長会見の一連の事件を私なりに総括してみた。
1、暴力団・犯罪者集団の目眩ましフロント企業こそ摘発すべき
民間人に、暴力団とフロント企業の裏の関係を見分けることは難しい。それに、たとえ実態が悪の組織であっても、表向き正当な経済活動を個人の判断で選別・拒否しろというのは、法律に書いてないことを理由に何の援護も頼れない状態で「無力な個人に暴力団と一人で戦え」と強いることと同じである。例え条例で定められているとは言っても「相手がその筋の人間」だと名札をぶら下げているわけでなし、大騒ぎしているパーティー会場で「私は参加できません」と言って揉め事になるリスクを、一芸人に背負わせるのは酷であろう。逆の立場で言えば、タトゥーを入れているからと言って「誕生パーティーに芸能人を呼ぶ権利」が認められないなどと犯罪者扱いされたとなると、名誉毀損で訴えられることも考えられる。呼ばれて芸をすることで何とか生活している芸人の立場からすれば(収入の多寡ではない)、呼ばれた以上は仕事として受けるし、仕事をすれば報酬をもらうのは当然ではないか。それを反社会的勢力だとか詐欺集団だとか、警察でもない彼らに「スーパーマン的な正義の味方」を求めるのは要求が高すぎるし、筋違いである。何も自分から積極的にのめり込む必要はないが、相手の素性をしっかり確認してから仕事をするというのでは、現在の芸能界ではとても仕事が務まらないであろう。彼らは馬鹿なことを見せてナンボの芸人なのである。まかりまちがっても「警察や私立探偵」ではないのだ。宮迫・亮を詐欺集団の一味のごとき極悪芸人と断罪する気持ちには、マスコミやSNSが称揚する「一般市民の無邪気な正義感」が働いている。彼らは自分の身を損害や危険に晒すことなく、「ただ群集心理に酔って正義を求める」自分勝手な観衆にすぎない(私はKKKを思い出すが)。この群衆心理は「リンチ」に通じる正義漢なのだ。正義を世の中に広めるには、常にリスクが伴うことは百も承知のはずである。宮迫・亮を糾弾することで「自らを正義人の代表」として使命感に酔い痴れていたマスコミが、宮迫・亮の全てを曝け出した涙の会見を見て世間の目が同情へと変わったのを見逃さずに、今度は矛先を吉本興業へと向けた「変わり身の速さ」がすべてを物語っているように思えたのである。マスコミは最初宮迫を非難糾弾していたのに手のひらを返すように岡本社長を吊るし上げている。報道の姿勢が「全くの無反省」なことが気になる。それに、反社会的勢力を警察が明示的に排除できないのであれば、その反社会的勢力と取引したことを持って彼らを廃業に追い込むのは、「正義の乱用」というべきであろう。例えば詐欺集団が誕生パーティーを開いたレストランは、彼らが詐欺集団だと知らなかったのだろうか。もちろん知らないと言うだろう。だが「ひと目みればヤバい筋の人だ」ぐらいは、誰でも気がつくはずである。それでも食事を提供し金品を受け取りパーティーを盛り上げたのである。それで一切お咎めなしというのは、おかしくないだろうか?。反社会的勢力は日々生活をしていて、コンビニにも行くしデパートでも買い物をしている。では「そこら中の店で」あなたは反社会的勢力だから、物は売れませんと断れと言うのだろうか。非現実的ではないか。実際問題として、反社会的勢力であっても「キチンとお金を払ってる以上」は、無闇に断ることは出来ないと思わないか?。宮迫・亮たちは「お金を返上のうえ、3日の謹慎及び1週間の公共ボランティア活動」ぐらいの処置で「お仕置き」するのが妥当である。その後は「改心している」のだから、以前同様芸人として「観客を笑わせること」に邁進すればいいのではないだろうか。世間も「彼らがこういうことに引っかかってしまった顛末」については、後日に「笑いのネタにする」して笑いに転化するぐらいの度量があっても良いと思う。まあ、嘘をついたことは褒められないにしても、最初から正直に言えば許してもらえる範囲だと分かっていれば、「わざわざ嘘などつこうとはしなくなる」のである。大の大人が涙を流して皆んなの前で謝罪するほどの大罪を犯したとは、私にはとても言えない。これが私の素直な感想である。悪いのは反社会的勢力と言われる一連の人々であって、彼らと「どう向き合って」我々の生活を守るのか、が問われるべき問題なのだ。相手は、宮迫・亮や吉本興業ではない。
2、相手の欲しがる答えを的確に返事する能力
自分の撮った行動を反省しているということは、当時の自分の意識では普通の事と思っていたことが「世間の見方と大きく食い違っていた」と知って、その双方の主張を比べて「自分のほうが間違っていた」と結論づけたことである。その結果、事実を客観的に見られるような立場に今は「考えが変わった」というのが改心したという意味なのだ。以前と違って新しい自分に生まれ変わっている以上は、改心前の自分の姿を曝け出すことに「躊躇」すべきではないし、また躊躇する気持ちもないであろう。自分が間違っていたと「気づいた瞬間に」自分の過去の間違いについて会見するのがベストのタイミングであり、ズルズル日延している間に「増々状況は悪化」してしまう。私は決して「早いほうがいい」と言っているのではない。「改心した時点」で会見をすべきだと言っているのだ。この例で言うならば、宮迫・亮は記事がフライデーに載った時点で自分たちの間違いを知ったわけだから、その時真摯に反省して会見すべきだった。彼らは嘘をついていたことを正直に発表しなくてはいけないと思ったのだから、条件は揃っていた。何故なら彼らは改心した時点で、「糾弾する側と同じレベルに自分の判断力が追いついた」のである。報道陣の質問にも正直に答えることが出来たのは、世間と彼らの認識が完全に一致していたからではないだろうか。謝罪会見とは、こういう風にお互いの立場・感覚が一致している時に「誠意が伝わり」謝罪は受け入れられるのだ。そうなれば後は「事実確認」だけである。それに比べて吉本興業岡本社長の会見はどうであったのか。宮迫・亮と比べて、彼の方は「改心したわけじゃなかった」のである。改心していないから、質問に素直に答えることが出来ず「訳の分からないことを繰り返す」羽目になったのだ。彼は毅然として報道陣に自らの正当性を訴え、反社会的勢力との問題は一芸人の対処できる範囲を超えている、と主張すべきではなかったか。それが受け入れられたかどうかは問題ではない。正しいことを行っているという姿勢・主張が必要なのだ。だが彼には「正しいことをしている」というよりも、「部下の不祥事を如何にウヤムヤにして乗り切るかに腐心している経営者」という姿を見せてしまったのである。その乗り切り方が「宮迫を契約解除する」だったから、部下を斬って会社と自分を守った、と言われても仕方がない。世間から見れば、そんな風に見られることは予測出来ていた筈なのに、それが出来なかったのは「ファミリー感覚」の吉本興業においては、「ビジネスの論理」が皆目分からなかったのである(法律顧問だって居たはずなのに)。情緒に訴えようとする会見は、事実の積み重ねで問題を解決するビジネスの手法には「そぐわなかった」と言える。
3、吉本興業の「会社としてもコンプライアンスの欠如」は、民間企業のことでもあり、我々が口を挟むべき問題ではないがあえて言うなら、夕刊フジで取り上げる「ゴシップ記事のレベル」のしょーもない話である。わざわざコメントするほどの事じゃないので割愛する。
以上、羽鳥モーニングショーでの話題について書いて見た。そしたら続いてTBS「ひるおび」でも放送していたので、ついつい見てしまったが「挙げていた問題点」は以下の4点である。
1、静観した理由
2、パワハラ発言
3、なぜ会見させなかったのか
4、撤回したのは何故
以上である。ざっと要約されて居て、問題点が分かりやすく簡潔にまとめられていた。これの答えはもう既に出ていると思うので、重複を避ける。何れにしても、底の浅い話である。
最後にこれらに対する抜本的な解決方法を考えようと思うのだが、お笑い芸人も含めて芸能人全般の諸問題は、次の方法で処理するのが望ましいと思う。
A. 芸能活動をする人全員が加盟する「芸能人共同組合」を作る。メディアの不倫報道どか麻薬とか活動を「干される」などの圧力に対しては、組合で一括対処する。
B. プロダクション・配給会社・メディアへの難しい対応については、法律的なバックアップと契約形態の文書による定形化を図る。
C. 所属組合員には独立プロフェッショナルと研修生の区分を設け、研修生は独り立ちするまで規定の収入を保証する。それ以外はアマチュアとして出演ごとの賃金を支払う。区別の基準は、本人の力量で仕事が決まる場合を独立プロ、派遣事務所の選択で仕事を割り振りしてもらうのが研修生、その他がアマチュアである。所属先を移るのは、野球界などの例を見てFA制度などを導入する。
D. 今回を機に吉本興業と契約解消した芸人は、別のまっとうな受け皿企業(例えば人力舎とか、知らんけど)を用意または立ち上げて吸収する。
以上である。
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