今年の全英オープンは波乱のうちに予選を終了したわけだが、予想に反して数多くのビッグネームが去る事になってしまった。タイガー然り、松山英樹然り、もっと挙げるならばブラント・スネデカー、キーガン・ブラッドリー、ジェイソン・デイ、ビーフことアンドリュー・ジョンストン、チェズ・リービー、地元の英雄ダレン・クラーク、同じく地元出身のパドレイグ・ハリントン、全米オープン覇者ゲーリー・ウッドランド、パットン・キザイアー、ザック・ジョンソン、ビリー・ホーシェル、ブライソン・デシャンボー、ラファエル・カブレラ-ベヨ、ジミー・ウォーカー、イアン・ポールター、マーク・リーシュマン、フィル・ミケルソン、アダム・スコット、エミリアーノ・グリーリョ、トム・レーマン、ミゲル・ヒメネス、デヴィッド・デュバルと、大体こんなところである。
一方予選通過組には、前年王者のフランシスコ・モリナリ、地元出身の人気者グラム・マクダウェル、飛ばし屋バッバ・ワトソン、常に冷静なポール・ケーシー、意外性のルイ・ウーストヘイゼン、トム・ワトソンの悲願を打ち砕いたステュアート・シンク、59男ジム・フューリック、松山の宿敵ケビン・キズナー、タイの新星アフィバーンラト、おじさんになった神の子セルヒオ・ガルシア、遅咲きの天才パトリック・キャントレー、私が一番スイングが美しいと思うダニー・ウォレット、若武者ジャンスティン・トーマス、ビッグイージーこと世界選抜主将のアーニー・エルス、ベルギーの若き飛ばし屋トマス・ピータース、日本で一番人気のリッキー・ファウラー、いつも黒服でバッチリ決めている寡黙な大将ヘンリク・ステンソン、体格的には日本人と変わらないけどなぁっていうザンダー・ショフレ、本物の紳士ウェブ・シンプソン、絶対真似できないよっていうダスティン・ジョンソン、デブのジョン・ラーム、変なスイングのマット・クーチャー、悪ガキ大将のパトリック・リード、楽に振ってる様に見えるけど捻転なんか関係ないぜって言っててインパクト・ヘッドスピードが超ビックリするトニー・フィナウ、復活ジョーダン・スピース、メジャー男ブルックス・ケプカ、間違いは絶対しないつもりの準備万端ジャスティン・ローズ、奥さんがキャディーを務めてて夫婦でメジャーって最高じゃないのというリー・ウェストウッド、とにかく絵になるトミー・フリートウッド、なんでそんなに飛ぶのかわからないが通称「JB」ことJBホームズ、そしてアイルランド生まれの愛すべきキャラクターで一気に話題の中心に躍り出たシェーン・ローリー、という顔ぶれである。予選を通過できなかった有名ゴルファーに比べても決して引けを取らないビッグ・ネームが続々と名を連ねているではないか。これがメジャーのメジャーたる所以であろう。
タイガーやミケルソンやスコットが予選落ちしたのは残念だが、メジャーへの興味は些かも落ちてはいないし、むしろ一層高まったと私は感じている。それは全英オープンに出てくる選手が、他のメジャーでは見られない「究極の戦いのドラマ」を演じてくれるからである。全英オープンは人間と自然との戦いのドラマだが、それは予選を通るかどうかと言う時に顕著に現れて、雄大な自然の起伏やそこかしこに牙を剥いて待ち受けるバンカーと深いブッシュ、そしてうねるフェアウェイと不規則極まりないグリーンが出場選手を悪夢へと誘い込むのだ。それに悪天候が加われば、そこにはもはや絶望感しか無い。そんな過酷な条件であっても、選手は試合を諦めるわけにはいかない。今日、その絶望的なシチュエーションに不利を承知で敢然と立ち向かい、矢折れ刀尽きて倒れた男の凄まじいドラマを見せてくれたのが、北アイルランドの英雄「ローリー・マキロイ」であった。「優勝することしか考えていなかった」ローリーは、大歓声の中、スタートホールのドライバーを一閃した。一球目が打ち出されるまでは、誰がこの日の結末を予想できただろうか。打球は大きく右に出て、OBラインの外に無情にも消えていったのである。マキロイの圧倒的で華々しい優勝を期待していた大観衆は、突然目の前で起きた事実を受け入れることが出来ずに、一瞬にして混乱と落胆と無言の沈黙の中へと沈んだのだ。この瞬間、悪夢のドラマは徐々に始まっていたのである。暫定球を打ったマキロイに、この自然を生かした優雅なコースは容赦なく試練を与え続ける。気を取り直したかに見えた4打目を左のブッシュに打ち込み、そこからグリーン脇の谷底の様な深いラフへと突っ込んだシーンは不運としか言いようのない悪戦苦闘の連続である。そこからのアプローチはカラーにも届かずショート、そしてラフからも寄せきれずに最終的に記録したスコアは、何と「ダブルパーの8」だった!
ただでさえ難しいリンクスのコースで、このスコアは「終わり」を意味する。何とか挽回しようと必死に格闘するマキロイだが、歯車が狂ってしまった彼に残されたのは「無残にも18番ホールのトリプルボギー」という最後通牒・死の宣告であった。マキロイは自身の優勝した姿を思い描いてスタートしたのに、結末はとても受け入れがたいものだったのではなかっただろうか。明日は「歯を食いしばるだけ」と、苦渋の胸中を短い言葉に表してホテルへ向かった彼の心中は、想像するに難くない。恐らく夜は眠れなかったんじゃないだろうか。つまり、「何でこんな事になったんだろう」って悔しさで胸が一杯になっていたはずである。
2日目誰もが終わったと感じている中でただ一人、ローリーの「怒涛の追撃」が始まった。後半に一つボギーを挟んでの6アンダー65は鬼神もタジタジとなる気迫のバーディーラッシュで、本日のフィールドでトップのスコアである。もうコースの罠に怒りを覚えている暇も余裕もない、ひたすら予選突破の1オーバーを目指して「戦って戦って戦い抜く」事しか残された道はないのだ。これが「孤独の戦士のドラマ」でなくて何であろう。マキロイは地元優勝の輝かしいスーパースターの座から、一転して恐ろしい苦難を乗り越える役目を背負わされた「傷だらけのヒーロー」に突き落とされたのである。彼の一打一打が奇跡を起こしてくれるのを一目見ようと大声援を送る地元アイルランドのファンの、気持ちが乗り移ったかの様に力技でバーディーを重ねていくマキロイも鬼気迫る表情である。テレビはもはや通常のゴルフ中継というものではなく、あたかも巨人ゴリアテに挑む若きダビデの勇姿を映すかのごとく、あるいはブルース・ウィリスの「極端についてない男」演じる映画ダイ・ハードよろしく、観客の夢を乗せて過酷な大自然にたった一人で戦いを挑む男の「歯を食いしばってバーディーパットを打ち続ける、諦めない心の物語」を放送しているかのようである。マキロイはもう予選通過しか見ていないのだ。彼は、決して泣いたり喚いたりはしない。彼に残されているのは、ただひたすら「たった少しの針の穴の様な僅かな可能性を信じて走り続ける」事だけなのである。そして全てのゴルフファンが熱望し実現することを願ったであろう予選通過をあと1打までに追い詰めながら、18番で「最後の大逆転の奇蹟」を信じて放ったアプローチショットが、無情にもカップから離れて転がっていくのを確認したマキロイは、「やるべきことを全力でやりきった満足感」とコースに詰めかけて応援してくれるファンの「よくやってくれたね、ありがとうローリー」という温かいスタンディングオベーションに答えるべく、ゲーム終了の帽子を振り続けた・・・。
それは予選通過できなかった男の惨めな姿ではない。必死に戦い終えた英雄の「全てを受け入れた後の、爽やかな姿」である。私は久しぶりの深い感動に包まれて、夜中に一人大泣きしてしまったのだ。「これ以上のドラマ」が世の中にあるだろうか。
わざわざ歴史を紐とかなくても、過去には名勝負と言える素晴らしい戦いがあった。優勝に一歩足りなかった老兵トム・ワトソンや、神がかったショットの応酬の激闘の結果破れ去ったフィル・ミケルソンは敗者の美学を堪能させてくれたし、デッドヒートの終盤にツアーバンの僅かな隙間から信じられないショットを放って優勝を決定づけたジョーダン・スピース、女子で言えば比嘉真美子の「頂点を目指した飽くなき挑戦」の記憶が昨日の事のように瞼に蘇る。毎年全英オープンは何かしら感動的なドラマを生んでくれることは間違いがないが、それは何故「全英オープン」なんだろうかという疑問が湧いてくる。オーガスタも全米オープンも全米プロも大きい大会だが、「コースが人工のもの」であることが「決定的」な様な気がする。こういうコースでは、「人間と人間の戦い」が繰り広げられると言えるのだ。それはコースをカバーするテレビカメラの映像を見ても十分に読み取れる。カメラは景色ではなく人間を捉えている。その点、全英オープンの魅力は「人間対自然」の戦いに特徴がある。テレビカメラで見るロイヤルポートラッシュの全景は、まさに「荒野」そのものではないか。グリーンから眺めるフェアウェイは、凸凹だらけ細い道をブッシュやバンカーが取り巻くように点在する。日本でよく見るツアー会場の風景とは雰囲気も何もかもまるで違っていて、「果てしない原野にポツンと見えるグリーン」を目掛けて、選手たちは果敢に戦いを挑んで行く。右も左も、前も後ろも、安全なショットというのは「ただの一つもない」のだ。私はこういうコースでプレーしようとは全然思わないが(そもそも私の腕ではゴルフにはならないとわかっているから)、不可能を可能にする技術と「飛び抜けた強いハート」を持っている一流プロだけに許されるのが、メジャーの中のメジャー「全英オープン」の栄誉である。
マキロイは惜しくも予選を通過できずにコースを去っていったが、彼の残したコメントに今回のゲームを、「人生で一番楽しかったかもしれない」というのがあった。インタビューアーに答えて彼は目にうっすらと涙を浮かべながら、「今週はじめは自分のためにプレーしたいと話していたが、今日のラウンドが終わる頃には自分のためと同時に、応援してくれているファンのためにプレーしていた」と振り返っていたという。感動である。ファンの期待を背負って大歓声の中で戦うことが出来るというのは、全スポーツ選手の「醍醐味」の一つであろう。自分の不甲斐なさに不貞腐れたり、思うままにならない怒りをコースやクラブにぶつける選手が目に付く昨今、マキロイの心は「嵐の過ぎ去った後の山間の湖のように、静かに澄みきっていた」のではなかろうか。全英オープン、蓋し世界最高のスポーツイベントである。
一方予選通過組には、前年王者のフランシスコ・モリナリ、地元出身の人気者グラム・マクダウェル、飛ばし屋バッバ・ワトソン、常に冷静なポール・ケーシー、意外性のルイ・ウーストヘイゼン、トム・ワトソンの悲願を打ち砕いたステュアート・シンク、59男ジム・フューリック、松山の宿敵ケビン・キズナー、タイの新星アフィバーンラト、おじさんになった神の子セルヒオ・ガルシア、遅咲きの天才パトリック・キャントレー、私が一番スイングが美しいと思うダニー・ウォレット、若武者ジャンスティン・トーマス、ビッグイージーこと世界選抜主将のアーニー・エルス、ベルギーの若き飛ばし屋トマス・ピータース、日本で一番人気のリッキー・ファウラー、いつも黒服でバッチリ決めている寡黙な大将ヘンリク・ステンソン、体格的には日本人と変わらないけどなぁっていうザンダー・ショフレ、本物の紳士ウェブ・シンプソン、絶対真似できないよっていうダスティン・ジョンソン、デブのジョン・ラーム、変なスイングのマット・クーチャー、悪ガキ大将のパトリック・リード、楽に振ってる様に見えるけど捻転なんか関係ないぜって言っててインパクト・ヘッドスピードが超ビックリするトニー・フィナウ、復活ジョーダン・スピース、メジャー男ブルックス・ケプカ、間違いは絶対しないつもりの準備万端ジャスティン・ローズ、奥さんがキャディーを務めてて夫婦でメジャーって最高じゃないのというリー・ウェストウッド、とにかく絵になるトミー・フリートウッド、なんでそんなに飛ぶのかわからないが通称「JB」ことJBホームズ、そしてアイルランド生まれの愛すべきキャラクターで一気に話題の中心に躍り出たシェーン・ローリー、という顔ぶれである。予選を通過できなかった有名ゴルファーに比べても決して引けを取らないビッグ・ネームが続々と名を連ねているではないか。これがメジャーのメジャーたる所以であろう。
タイガーやミケルソンやスコットが予選落ちしたのは残念だが、メジャーへの興味は些かも落ちてはいないし、むしろ一層高まったと私は感じている。それは全英オープンに出てくる選手が、他のメジャーでは見られない「究極の戦いのドラマ」を演じてくれるからである。全英オープンは人間と自然との戦いのドラマだが、それは予選を通るかどうかと言う時に顕著に現れて、雄大な自然の起伏やそこかしこに牙を剥いて待ち受けるバンカーと深いブッシュ、そしてうねるフェアウェイと不規則極まりないグリーンが出場選手を悪夢へと誘い込むのだ。それに悪天候が加われば、そこにはもはや絶望感しか無い。そんな過酷な条件であっても、選手は試合を諦めるわけにはいかない。今日、その絶望的なシチュエーションに不利を承知で敢然と立ち向かい、矢折れ刀尽きて倒れた男の凄まじいドラマを見せてくれたのが、北アイルランドの英雄「ローリー・マキロイ」であった。「優勝することしか考えていなかった」ローリーは、大歓声の中、スタートホールのドライバーを一閃した。一球目が打ち出されるまでは、誰がこの日の結末を予想できただろうか。打球は大きく右に出て、OBラインの外に無情にも消えていったのである。マキロイの圧倒的で華々しい優勝を期待していた大観衆は、突然目の前で起きた事実を受け入れることが出来ずに、一瞬にして混乱と落胆と無言の沈黙の中へと沈んだのだ。この瞬間、悪夢のドラマは徐々に始まっていたのである。暫定球を打ったマキロイに、この自然を生かした優雅なコースは容赦なく試練を与え続ける。気を取り直したかに見えた4打目を左のブッシュに打ち込み、そこからグリーン脇の谷底の様な深いラフへと突っ込んだシーンは不運としか言いようのない悪戦苦闘の連続である。そこからのアプローチはカラーにも届かずショート、そしてラフからも寄せきれずに最終的に記録したスコアは、何と「ダブルパーの8」だった!
ただでさえ難しいリンクスのコースで、このスコアは「終わり」を意味する。何とか挽回しようと必死に格闘するマキロイだが、歯車が狂ってしまった彼に残されたのは「無残にも18番ホールのトリプルボギー」という最後通牒・死の宣告であった。マキロイは自身の優勝した姿を思い描いてスタートしたのに、結末はとても受け入れがたいものだったのではなかっただろうか。明日は「歯を食いしばるだけ」と、苦渋の胸中を短い言葉に表してホテルへ向かった彼の心中は、想像するに難くない。恐らく夜は眠れなかったんじゃないだろうか。つまり、「何でこんな事になったんだろう」って悔しさで胸が一杯になっていたはずである。
2日目誰もが終わったと感じている中でただ一人、ローリーの「怒涛の追撃」が始まった。後半に一つボギーを挟んでの6アンダー65は鬼神もタジタジとなる気迫のバーディーラッシュで、本日のフィールドでトップのスコアである。もうコースの罠に怒りを覚えている暇も余裕もない、ひたすら予選突破の1オーバーを目指して「戦って戦って戦い抜く」事しか残された道はないのだ。これが「孤独の戦士のドラマ」でなくて何であろう。マキロイは地元優勝の輝かしいスーパースターの座から、一転して恐ろしい苦難を乗り越える役目を背負わされた「傷だらけのヒーロー」に突き落とされたのである。彼の一打一打が奇跡を起こしてくれるのを一目見ようと大声援を送る地元アイルランドのファンの、気持ちが乗り移ったかの様に力技でバーディーを重ねていくマキロイも鬼気迫る表情である。テレビはもはや通常のゴルフ中継というものではなく、あたかも巨人ゴリアテに挑む若きダビデの勇姿を映すかのごとく、あるいはブルース・ウィリスの「極端についてない男」演じる映画ダイ・ハードよろしく、観客の夢を乗せて過酷な大自然にたった一人で戦いを挑む男の「歯を食いしばってバーディーパットを打ち続ける、諦めない心の物語」を放送しているかのようである。マキロイはもう予選通過しか見ていないのだ。彼は、決して泣いたり喚いたりはしない。彼に残されているのは、ただひたすら「たった少しの針の穴の様な僅かな可能性を信じて走り続ける」事だけなのである。そして全てのゴルフファンが熱望し実現することを願ったであろう予選通過をあと1打までに追い詰めながら、18番で「最後の大逆転の奇蹟」を信じて放ったアプローチショットが、無情にもカップから離れて転がっていくのを確認したマキロイは、「やるべきことを全力でやりきった満足感」とコースに詰めかけて応援してくれるファンの「よくやってくれたね、ありがとうローリー」という温かいスタンディングオベーションに答えるべく、ゲーム終了の帽子を振り続けた・・・。
それは予選通過できなかった男の惨めな姿ではない。必死に戦い終えた英雄の「全てを受け入れた後の、爽やかな姿」である。私は久しぶりの深い感動に包まれて、夜中に一人大泣きしてしまったのだ。「これ以上のドラマ」が世の中にあるだろうか。
わざわざ歴史を紐とかなくても、過去には名勝負と言える素晴らしい戦いがあった。優勝に一歩足りなかった老兵トム・ワトソンや、神がかったショットの応酬の激闘の結果破れ去ったフィル・ミケルソンは敗者の美学を堪能させてくれたし、デッドヒートの終盤にツアーバンの僅かな隙間から信じられないショットを放って優勝を決定づけたジョーダン・スピース、女子で言えば比嘉真美子の「頂点を目指した飽くなき挑戦」の記憶が昨日の事のように瞼に蘇る。毎年全英オープンは何かしら感動的なドラマを生んでくれることは間違いがないが、それは何故「全英オープン」なんだろうかという疑問が湧いてくる。オーガスタも全米オープンも全米プロも大きい大会だが、「コースが人工のもの」であることが「決定的」な様な気がする。こういうコースでは、「人間と人間の戦い」が繰り広げられると言えるのだ。それはコースをカバーするテレビカメラの映像を見ても十分に読み取れる。カメラは景色ではなく人間を捉えている。その点、全英オープンの魅力は「人間対自然」の戦いに特徴がある。テレビカメラで見るロイヤルポートラッシュの全景は、まさに「荒野」そのものではないか。グリーンから眺めるフェアウェイは、凸凹だらけ細い道をブッシュやバンカーが取り巻くように点在する。日本でよく見るツアー会場の風景とは雰囲気も何もかもまるで違っていて、「果てしない原野にポツンと見えるグリーン」を目掛けて、選手たちは果敢に戦いを挑んで行く。右も左も、前も後ろも、安全なショットというのは「ただの一つもない」のだ。私はこういうコースでプレーしようとは全然思わないが(そもそも私の腕ではゴルフにはならないとわかっているから)、不可能を可能にする技術と「飛び抜けた強いハート」を持っている一流プロだけに許されるのが、メジャーの中のメジャー「全英オープン」の栄誉である。
マキロイは惜しくも予選を通過できずにコースを去っていったが、彼の残したコメントに今回のゲームを、「人生で一番楽しかったかもしれない」というのがあった。インタビューアーに答えて彼は目にうっすらと涙を浮かべながら、「今週はじめは自分のためにプレーしたいと話していたが、今日のラウンドが終わる頃には自分のためと同時に、応援してくれているファンのためにプレーしていた」と振り返っていたという。感動である。ファンの期待を背負って大歓声の中で戦うことが出来るというのは、全スポーツ選手の「醍醐味」の一つであろう。自分の不甲斐なさに不貞腐れたり、思うままにならない怒りをコースやクラブにぶつける選手が目に付く昨今、マキロイの心は「嵐の過ぎ去った後の山間の湖のように、静かに澄みきっていた」のではなかろうか。全英オープン、蓋し世界最高のスポーツイベントである。
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