猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 5 説経熊谷先陣問答 ⑥

2011年12月24日 23時00分45秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

くまがえ先陣問答 ⑥

 善光寺の如来様のご加護が、確かにあったのでしょう。桂の前は、無事に能登の国

に辿り着くと、早速に忠純の屋敷を訪ねました。熊谷次郎直実の姫であることを告げる

と、驚いた門番は、すぐに直家に取り次ぎました。久しぶりの兄弟の対面が、ようやく

実現したのでした。

 忠純は、兄弟二人が揃ったことを、大変に喜びながらも、継母と季重の非道を大いに

憤り、

「父、直実殿の行方は知れぬが、この上は、鎌倉に下り、直家の本望を遂げてやろう。」

と、兄弟を連れて、鎌倉目指して下向することにしました。

 鎌倉にやって来た忠純は、宿に兄弟を残して、御所に出仕しました。頼朝公の御前に

居並ぶのは、和田、秩父を左右にして、千葉、小山、宇都宮等々、八カ国の諸大名です。

頼朝公は、忠純をご覧になると、

「やあ、珍しや六弥太。北国に変わりはないか。」

と、声をお掛けになりました。忠純は畏まって、

「ははあ、君のお恵みが深いので、民の竈(かまど)も賑わい、に至まで、君、万

歳(ばんぜい)と仰いでおります。あっぱれ、尭舜(ぎょうしゅん:中国古代の伝説の

帝王)の御代をも凌ぎまする。一重に、源氏の御威光は、行く末久しい証拠です。」

と、申し上げました。頼朝公は、大いに満足されましたが、忠純は、直家のことを、ど

うやって切り出そうかと、思案をしていました。やがて、忠純は思い切って、秩父に向

かって、こう切り出しました。

「それがし、不肖の身をもって、能登の守護を給わりますこと、お家の面目、世の聞こ

え良く、この君恩に報いることにかけては、何事をも厭いません。しかしながら、その

一門に置いて、家の瑕瑾(かきん:傷)となることが起こりましたが、残念ながら、国

元にあり、お力になれませんでした。私が鎌倉に居れば、人手には掛けないで、私の手

で討ち捨たものを、大変に無念に思っております。重忠殿。」

さて、言われた秩父も、一座の人々も、勿論、頼朝公も、何のことか分からず、あっけ

に取られています。忠純は、即座に、

「やはり、このことは、頼朝公は、ご存じ無いのだ。平山と継母の計略であることに間違いはない。」

と思い、さらに続けて、こう言いました。

「されば、君の仰せにより、熊谷の小次郎直家は、平山の手勢によって討たれました。」

聞いた、頼朝は、そんな命令は下していないと、大いに驚いて、すぐに、平山を召し出

すように命じました。やがて現れた平山季重に、頼朝公は、

「いかに、平山。誰が命じて熊谷の小次郎を討ったのか。」

と、言いました。季重は、はっと思いましたが、さわらぬ様子で、

「ははあ、直家、信濃の国で討たれたとの知らせを受けて、私も親類縁者でありますの

で、無念に思い、急いで、君に報告をし、敵を討とうと思っておりましたが、山賊に襲

われたものか、同輩の恨みによって討たれたのか、事の子細が判らず、調べをしており

ますうちに、これまで、時を過ごしてしまいました。私が討ったなどということは、思

いもよらぬこと、宜しく敵討ちをお申し付けください。」

と、まことしやかに答えました。そこで、忠純は、

「いかに、平山殿、私が、能登で聞いた話では、君のご命令で、御辺が、討ったと聞い

たのじゃが、それは、我らの空耳であったようじゃの。しかしながら、ここは御前であ

るぞ。少しの虚言もいたされるなよ。ほんとにそうなのだな。」

と、ねじ込みました。季重は、

「これは、情けないことを、岡部殿は、彼らと親しき仲とはいえ、そのような僻事(ひ

がごと)を言われる謂われはない。私とても、どこにも逃げようもない。そなたこそ、

なんの証拠があって、御前で、そのような僻事を申されるか。」

と、涼しい顔で、言い訳を押し通しました。忠純はこれを聞いて、

「さてさて、それでは、私が誤りましたか。しかし、もし証拠がでてきたなら、その時

の返答をよっく考えておくんだな。」

と、言い捨てると、忠純は、頼朝公に向かって、

「さて、君に申し上げます。直家は、戦場にて討ち死にするところを、郎等安高の諫め

によって、能登の国に落ち延びました。そのことを直々に言上申すため、直家を止め置

き、この度、召し連れて参りました。君の御慈悲によって、何卒、直家を召し出されて

事の次第をお尋ね願いたく存じます。」

と、申し上げました。早速に、使いを立てて直家を迎えにやると、やがて、直家が御所

に上がりました。直家は、平山を見るなり、

「やい、平山。いつぞや、私が物詣での折りに、やみやみと打ち負けたこと、未だ無念

の極み。既にその時、討ち死にする我が身ではあったが、平山が私軍の企みを暴くため、

後ろを見せて落ち延びたのだ。定めし、御辺は、直家討ったりと思ったか。季重。」

と、睨み付けました。これには、弁舌達者な季重も、何の返答もできず、赤面して俯く

ばかりでした。頼朝公は、

「前代未聞の曲者なり、季重に切腹申しつけよ。継母は、女のことなれば、助命して国

払いとせよ。さてまた、直家には本領安堵。妹桂の姫は、五條の中将俊実に縁付かせよ。

父、直実は、都、黒谷(比叡山)に有ると聞く、桂の前を都に上らせ、父が先途を見届

けさせるのだ。」

と、ご英断なされて、やがて御判を下されました。

 直家は、謹んで、有り難し、有り難しと、三度戴き、意気揚々と御前を立ちました。

 その後、平山は切腹。北の方は、武蔵の国から追放されました。桂の前は、都に上り

俊実卿の御台と備わったのです。さて、直家は、熊谷に凱旋し、富貴に栄えました。

かの直家の威勢の程

貴賤上下、おしなべて

皆、感ぜぬ者こそなかりけり

おしまい

天満八太夫正本 (宝永年間)

大伝馬三丁目

鱗形屋孫兵衛板


忘れ去られた物語たち 5 説経熊谷先陣問答 ⑤

2011年12月24日 18時25分02秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

くまがえ先陣問答 ⑤

 ようやく、善光寺に着きましたが、慣れぬ長旅に、姉妹は疲れ切っていました。とう

とう、幼い玉鶴は、体力も気力も使い果たして、道端に倒れ込んでしまいました。道行

く人も、情けを懸けてくれず、桂の前が、懸命に看病しますが、水より外に、薬もあり

ません。玉鶴の容態はますます悪化していきました。桂の前は、どうすることもできず、

玉鶴の頭を膝にのせて抱きしめると、涙ながらに、玉鶴を励ますのでした。

「いかに、玉鶴。しっかりしなさい。あなたが、そのように倒れてしまっては、私は、

どうしたらよいのです。これ、玉鶴よ。」

姉の声に、ようやく心付いた玉鶴は、力なく目を開けると、

「ああ、もったいない。姉上にこのように介抱していただいて、申し分けありません。

しかし、私はもう、だめだと思います。何事も、前世からの定めと思って、私を思い出

すことがありましたら、念仏のひとつでも唱えてやってください。草場の陰にて、必ず

受け取りましょう。今までは、姉上にお仕えしようと思っていましたが、最早、夢の事

となりました。私は、行方も知れぬ草むらに消えて、跡かたも無く土となりますが、姉

上様は、私に構わず、目出度くお父上にお会いなされてください。そうしていただかな

いと、これからの黄泉路の妨げとなりますから。これが、最期のお願いです。」

と、言い残して、ついに玉鶴姫は、短い生涯を閉じました。

 桂の前は、玉鶴にひっしと抱きついて、玉鶴、玉鶴を叫びますが、もう玉鶴は答えま

せんでした。なんたる前世の因果でしょか、桂の前は、

「こんなことになると知っていたのなら、玉鶴が、どんなに嘆こうとも、古里に置いて

きたものを、私が、別れを悲しんで、遙々これまで連れて来たばっかりに、死なせてし

まったことの悲しさよ。」

と、空しき死骸を押し動かし、押し動かし、悶え苦しみ、慟哭しました。

 

 そうこうしているうちに、日もとっぷりと暮れてしまいました。桂の前が、呆然とし

ていると、一人の尼公がやって来て、こう言いました。

「私は、この辺りに住む者ですが、あまりにもいたわしいので、今夜、お守りするため

に来ました。ここは、人里からも離れ、夜にもなれば、虎狼野干が、死骸を食べようと

やってくるに違いありません。さりながら、私が来た以上は、大丈夫ですからご安心なさい。」

桂の前が喜んだのは、申すまでもありません。

「これは、有り難いお申し出。妹の屍を引き去られては、浅ましい限りです。万事宜し

くお願い申しあげます。」

と、手を合わせて感謝しました。

 さて、尼公が言う通り、やがて闇の中から、うようよと虎狼野干が集まってきました。

獣達は、玉鶴の遺骸を食べようと、取り巻きますが、尼公を恐れて近づけません。なぜ

なら、尼公は、三国一の如来様が化身された尼公だったからです。結局、獣達は、食べ

る所か、綺麗な花を摘みくわえて集まり、御前に備えて、頭を地に付けて平伏する有様

です。さらに、天童が一人天下り、犀川の方からは、竜灯が現れ、闇夜を照らしたので

した。まったくこのような有り難い奇瑞が現れたのは、直実、遁世の加護と姉妹の姫君

の類い希なる美しい心を、仏神が哀れと思われたからでしょう。そうして、桂の前は、

辛い一夜を、どうにか明かしたのでした。やがて、夜が白々と明けてくると、朝日とと

もに、尼公は、金色の仏体と現れて、

「我は、善光寺の如来なり。玉鶴は定業(じょうごう)なれば仕方ないが、これからの

汝の行く末を守ってあげましょう。」

と、言うと忽然と消え去りました。桂の前は、あっと驚いて、虚空を向かって礼拝しま

した。天童も竜灯も消え、虎狼野干達もちりぢりに去りました。また、ひとりぼっちに

なってしまった桂の前は、玉鶴の死骸を、どう弔ったらいいのか分からず、草むらに座

り込んでしまいました。

 どれぐらい、時間がたったのでしょうか、一人の僧が通りかかりました。この僧の名

は、蓮生坊(れんせいぼう)と言います。法然上人の弟子ですが、宿願があって、善

光寺に参った帰りでした。この僧こそ、桂の前の父、直実その人でしたが、互いに出家

の姿であったため、互いにそれとは、気づきませんでした。蓮生坊は、通り過ぎようと

しましたが、桂の前は、この僧になんとか妹を弔ってもらおうと、飛びつくと、

「のう、御僧様、これは、私の妹ですが、ここで亡くなってしまいました。右も左も分

からぬ旅路の途中で、頼む人もございません。哀れと思し召して、衣の結縁に、どうか

妹を弔っていただけませんでしょうか。」

と、泣きつきました。蓮生坊は、我が子とは夢にも思わずに、

「それは、大変いたわしいことです。誠に、高きも卑しきも、生死の掟は免れません。

未だ幼い方のようだが、二人の親に替わって、野辺の送りをしてあげましょう。」

と、言うと、どこかから、一枚の戸板を探してきて、玉鶴姫の死骸を乗せました。

先を蓮生が、後ろを桂の前が担ぎました。父が娘の葬礼をすると知らずに、戸板を担ぐ

親子の姿は、なんとも、言いようもなく哀れです。

 やがて、とある草むらの土中に埋めると、卒塔婆を立てて、蓮生坊は、

「つらつら思んみれば、一生は夢の如し、百年を生きる者も居ない。釈尊は跋提河(ば

っだいが:釈迦寂入の地)の土となり、皆、これ、本来の面目なり、長く生死を切断し

て、不退の浄刹(ふたいのじょうせつ:極楽浄土)に至らんこと、疑い有るべからず。

南無阿弥陀仏。」

と、回向しました。桂の前も、有り難や、有り難やと手を合わせ、念仏を唱えましたが、

また込み上げて来て、わっと泣き崩れました。蓮生は、

「むう、悲しみはようく分かりますが、最早、帰ることはありませんから、いつまでも

嘆いていてはいけません。愚僧は、諸国を巡る僧ではありますが、かかるご縁に巡り会

って、私が弔ったのも、前世からの因縁でありましょうから、行く末長く、菩提を

弔ってあげることにいたしましょう。あなたの生国、里、父の御名前を教えてください。」

と言いました。桂の前は、涙を払って、

「そうですか。名乗らないつもりでしたが、行く末長く回向していただけるとのことな

らば、大変有り難いことです。恥ずかしながら、私の生国は、武蔵の国。父の名は、

熊谷次郎直実と申す人ですが、どことも知れずに遁世され、私たちは、継母の企みに

よって、このような次第になってしまったのです。どうぞ、哀れんでください。御僧様。」

と、またさめざめと泣き崩れました。これを聞いて、はっと驚いた蓮生は、

「いや、こりゃ、なんということ。今の今まで、余所のことと思っていたのに、我が身

のことであったのか。後世を大事と思って遁世し、善根を思う身であるのに、子ども達

を、このような辛い目に合わせていたとは・・・」

と、絶句して、堰来る涙に嗚咽しました。せめて、父と名乗って、喜ばせてやろうかと

思いましたが、ここで名乗ったら、裾や袂に取り付いて、絶対離れぬと騒ぐに違いない。

またまた、悲しみを重ねさせることになってしまう。熊谷程の者が、ここで心がくじけ

てはならぬと、心を鬼にすると、普通を装って、

「おお、さては、直実の姫君であられますか。私も武蔵の国の者です。熊谷殿とも

面識がありますので、よそ事とも思えません。都で、聞いた話ですが、熊谷殿は、固く

発心なされて、今は、能登の国、岡部の六弥太忠純殿の所で、修業されていると聞きま

した。父上をお探しであれば、能登の国を尋ねたがよいでしょう。

 さて、申すまでもありませんが、この土へ生を受ける者は、末の別れから逃れること

はできないのですから、只、願うべきなのは、菩提の道ですぞ。あなたの妹は、あなた

に、善知識を授けてくれたと思って、嘆くことはもうやめなさい。」

と、言うと、立ち上がり、さらばと踵を返しましたが、桂の前は、袂に縋り付いて、

「御僧様、有り難い御教化、ありがとうございます。しかしながら、御僧と別れること

は、父、直実と別れる時の悲しさよりも強いのはどうしてでしょう。」

と、口説き立てました。さすがに、心強い直実も、目が眩み、心も消え果て、涙が溢れ

て、止まりませんでしたが、

「定めがあれば、また、お会いしましょう。」

と言うと、足早に去って行きました。名乗らずに通る親と子の、心の内より、哀れなこ

とはありません。

 僧と別れた桂の前は、まだ、思い切れずに、墓に縋り付いていましたが、ようやく、

「いかに、玉鶴よ。名残は惜しいけれども、姉は、叔父を頼って、これより能登の国

へ行きます。さらば、さらば。」

と、涙とともに、能登への道を辿り行くのでした。

誠に、哀れともなかなか申すばかりもなかりけれ

つづく