猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑩ おわり

2012年02月26日 22時36分22秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑩ おわり

 厨子王は、丹後へ入府(にゅうぶ)するについて、国分寺を宿所とし、三日先に触れ

を出しました。ところが、宿所を命じられたお聖は、なんでこんな古寺をわざわざ選ん

だのだと不審に思い、面倒に思うと傘を一本持って逃げ出してしまいました。到着した

厨子王は、お聖様が居ないことを知り、探し出すように命じました。やがて、穴太寺の

観音堂(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)の裏で、お聖は捕まって、縛り上げられ

て、厨子王丸の前に引き出されました。これを見た厨子王は、命の親に縄を掛けるとは

とんでもないと、そのまま跳んでおり、自ら縄を解くと、

「お忘れになりましたか、皮籠(かわご)のわっぱです。これ、形見もこの通り。」

と、言いました。お聖は大変喜んで、

「おお、さても嬉しや。御出世なさいましたか。天道は誠をお照らしになりました。こ

れこそ、仏神のご加護です。目出度い目出度い。ところで姉君はどうなさいましたか。」

と聞きました。厨子王は涙と共にこれまでのことを語り終えると、

「これより、恨めしの太夫一家を呼び出します。お聖様はごゆっくりお休み下さい。」

と言い、太夫一家を召し出すよう命じました。お召しを受けた山椒太夫は、何かご褒美

でもいただけるかと、親子揃って国分寺へとやってきました。親子を前にして厨子王は、

胸が急きましたが、ぐっと堪えて、

「如何に太夫、汝の家の水仕に、しのぶ、忘れ草と言う姉弟の者が居ると聞いている。

そのしのぶとやらは、美人の聞こえが高いので、それがしにくれ。その褒美に国でも郡

でも、望み次第に与えよう。」

と言いました。太夫と三郎は顔を見合わせて、

「ええ、その女が居るならば、過分の大名になったものを。口惜しや。」

と、つぶやきました。太夫は仕方無く、

「ええ、その女は確かに居りましたが、我々に楯を突き、その上、弟を逃がし、その行

方を問い詰めるために誡めましたが、その弟を追いかけている間に、どこやらに消え去りました。」

と答えました。厨子王は尚も、

「おお、それでは仕方ない。そしてその忘れ草は捕まえたのか。」

と問い詰めました。太夫が、

「いいや、弟めは身代道具を丸取りにして山より逃げたままです。」

と答えると、とうとう厨子王は堪えかねて居丈高になると、

「やあ、太夫。我こそその忘れ草だ。見忘れたか。面を上げよ。」

と、声を荒らげたのでした。太夫親子は吃驚仰天して身の置き所もありませんでした。

その時、宮城の小八が出てくると、意外にもこう言いました。

「恐れ多くも我が君は、仇を恩に報じて、ご処置なされる。遠慮無く国を望め。」

これを聞いた太夫は、ほっとして、

「これは有り難い仰せ。慈悲は上より降るとはこのことよ。如何に子ども達。」

と言うと、三郎は、

「それがしは一門広い者ですので、大国を給わりたく存じます。」

とぬけぬけと言ったのでした。小八はにやにやと笑って、

「よろしい、では姉君の敵、三郎には、広き国、八万地獄を与える。太郎次郎の姉弟は、

三郎が皮籠を見せろと言った時に、誓文の免じて三郎を制止したによって無罪とする。

有り難く思え。さてさて、山椒太夫は八十八歳になられる。八万地獄を拝領したからに

は、目出度く升掛(ますかけ)の竹鋸を三郎に引かせるべし。早や疾く。」

と、下知するのでした。やがて準備も整いましたが、四人の人々は泣きわめくばかりで

す。三郎は、未練なりと怒って立ち上がると、ええい面倒なとばかりに竹鋸を持つと、

「如何に父上、我が宗旨の念仏とやら、こういう時に言うものらいしいですぞ。」

と、言うなり、えいやえいやと父の首を引きました。やがて、太夫の首は、ばったりと

前に落ちました。厨子王はこれを見て、

「おお、美事にやり終えたな。ご苦労であった。それでは、三郎にも暇を取らせよ。」

と、言うと、今度は三郎が締め上げられて引き据えられました。厨子王が、

「末代までのみせしめである。恨みあって憎いと思う者は、集まって首を引け。」

と言うと、由良千軒は言うにおよばす、近郷近在より数多の人々がやってきて三郎の首

を引き落としたのでした。

 さて、その後厨子王は、、姉君の為に御堂を建立され、守り本尊を安置されました。

丹後の国

金焼き地蔵の由来これなり

御家、日に繁盛す

目出度さよとも中々申すばかりはなかりけれ

山本角太夫

京二条通り寺町西へ入町

正本屋 山本久兵衛

おわり


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑨

2012年02月26日 18時26分57秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑨

 さて、都で梅津公と巡り会った厨子王丸は、数多の供を連れて、佐渡島を目指してい

ましたが、順風満帆の船旅で、早くも佐渡島にご到着されました。その行列は、歩行(か

ち)立ちの者を先立てて、七つ道具を中にして、御馬の回りには後ろ供えが付くという

物々しさです。厨子王の一行が母を捜して進んで行くと、小八が母の手を引いて歩いて

来るのに出くわしました。これを見るなり厨子王は、馬から跳んで降りると、

「やれ、小八ではないか。厨子王丸は世に出でました。」

と、駈け寄りました。その声に驚いた小八は、

「おお、若君様、母上様ですぞ。」

と、厨子王丸に取り付きました。そして、これは母上、我が子よと、念願の再会を果た

して喜び合うのでした。しかし、母上が、

「嘆きの中の喜びとは、こういうことを言うのですね。もしも、姉も一緒に、この目も

開いて、会うことができたなら、どれ程嬉しいことでしょう。しかし、姉は亡くなって

しまったのですよ。」

と、姉の死を知らせると、厨子王丸は、肝も消えて倒れ伏し、前後不覚に泣きました。

宮城の小八も涙ながらに、姉君の最期の様子を語って聞かせました。

「ご臨終の際にも、只、母上様の目が見えなくなったことを深く嘆いておいででした。」

それを聞いて厨子王は、ただただ、涙に暮れていましたが、ややあって突然に、

「いや待て、思い出したことがある。」

と言うと、肌の守りの地蔵菩薩を取り出したのでした。厨子王は、地蔵菩薩を母の額に

押し当てると、

「御地蔵菩薩よ、我が孝心を哀れんで下さるのなら、母の両眼をお開けください。」

と、一心に祈念したのでした。すると有り難いことに、地蔵菩薩はまばゆい光を放ち始

めました。そして、光が消えた時、不思議にも母上の両眼は、はっきりと開いたのでした。

この奇跡に一同は、わっとばかりに声を上げて喜び、うれし涙の雨となりました。厨子

王丸の喜びは限りなく、

「このご本尊様のお陰であるぞ。人々、拝め。有り難や。」

と言うと、人々は皆この地蔵菩薩に手を合わせました。こうして、厨子王は、無事に母

上を伴って、都へ戻って行ったのでした。この末繁盛の吉相を、喜ばない者はありませ

んでした。

 さてその間、梅津公の尽力によって、正氏は筑紫より呼び戻され、厨子王、御台も無

事に揃った所で、梅津公は親子を連れて御前へ上がりました。白州には、讒言人の上総

の管領重連と、下人の源六源五が引き立てられています。時の関白は、宣旨を給わって

人々に綸言しました。

「この度、奥州の大将、岩城の判官正氏に、上総の官僚重連が讒言を行ったことは、下

人源六源五の証拠によって明白である。よって、重連は正氏に下し任す。奥州五十四郡

は本領安堵。又、正氏が二男厨子王を梅津が養子となし、重ねて厨子王に、上総の管領

を下さるる。」

人々は皆、はっとばかりに頭を垂れましたが、その時厨子王は、

「謹んで申し上げます。有り難の宣旨、もったいなく思いますが、思う所が有りますの

で、どうか、上総は申すに及ばず、陸奥にも召し替えて、丹後の国をお下しください。」

と、奏聞したのでした。これを聞いた帝は、

「そう望むのには、何か決意があると見える。では、陸奥、上総に加えて、丹後の国も与える。」

と、綸辞を下されたのでした。誠に有り難い取り計らいと感謝して、一同は御前を退出

しました。

 さて、白州の源六源五の首はその場で刎ねられ、重連は、土産として奥州まで連れて

いかれてから成敗されました。そして、厨子王はと言えば、そのまま国司として丹後の

国へ向かったのでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑧

2012年02月26日 16時55分29秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑧

 信心があれば福徳も又訪れ、有り難いことです。再会の誓いを立てた海に隔てられて

、北陸道から遠く離れた沖に佐渡島があります。母上は、この島に売られておりました。

労しいことに、明け暮れ姉弟の事だけを心配し焦がれていたので、とうとう両目を泣き

潰してしまいました。そのような浅ましい身体になってしまったので、粟の鳥を追う、

鳥追いの仕事をさせられ、千丈もある広い畑のあちらこちらを、よろよろと行き来して

は、鳴子の綱を引いては、泣き暮らしているのでした。

 そこへ、心も無い百姓の男と女が通りかかりました。

「おや、いつもの盲(めくら)が鳥追いに出ているぞ。なぶって、笑いものにしてやろう。」

と、近づくと、

「やあ、こりゃこりゃ盲。いつもの様に面白く、鳥を追って聞かせてみろ。恋しい人に

会わせてくれるぞ。」

と、からかい始めました。母上は、涙ながらに、

「ああ、恨めしや。何を言われようとも構わぬが、恋しい人のことを言われれば、心の

深い憂いが、またまた積もり重なって急き上げて来るわ。

ああ、安寿恋しやほうやれほう、

厨子王見たやほうやれほう、

鳥も心が有るならば、

追わずとも立て粟の鳥。」

と、鳴子の綱を引くのでした。百姓はさらに調子に乗って、

「やれやれ、おかしな事を言うものだ。我こそ、姉よ、弟よ。迎えに来ましたぞ。その

目を開けて、見てごらん。」

と、母上の手を取ってなぶるのでした。母上は、怒って、

「ええ、どうして、ここへ我が子が来るものか。またまた、通りがかりの賎共が、嘲弄

しに来たな。盲の打つ杖は、咎にはならぬぞ。ええ、こうしてくれる。」

と言うと、杖をめったやたらと振りまわすのでした。百姓達は、おお怖と、笑いながら

行ってしまいましたが、母上は悔しさに、一人杖を振り回し続けました。

 さて、由良の山椒太夫の館で、小八に助けられた安寿姫でしたが、三郎に受けた拷問

の為に足腰が立たなくなり、小八に介抱されなくては一歩も歩けなくなってしまいました。

それでも、母上が売られた先は、佐渡島であるという山角太夫の白状を頼りとして、な

んとか佐渡島に辿り着いたのでした。しかし、薬も無く、食べる物にも事欠き、その上

長い船旅がたたって、体力も気力ももう限界でした。小八は、安寿を休ませる場所を探

していましたが、辺りには何もありません。仕方なく道端の草の上に安寿を休ませることにしました。

「姫君様、しっかりしてください。ここは、母上がいらっしゃる佐渡島ですよ。これ

から母上を捜し、もうすぐ会うことができますぞ。お気を確かにお持ち下さい。」

と、励ましますが、やつれ果てた姫君の顔を見つめる外に出来ることもありません。よ

うやく安寿は、苦しい息の下で、

「おお、小八郎、頼もしいのう。私は、もうだめです。最期に水を飲ませてください。

お願いします。」

と、言うのでした。小八は余りに労しさに、

「はい、わかりました。幸い、今来た道に清水がありましたから、汲んで参りましょう。」

と言うと、急いで駆けて行きました。

 と、近くに安寿が居るとも知らない母上は、再び鳴子の綱を引き始めました。

「ほうやれほう、ああ、安寿恋しや、厨子王見たや、ほうやれほう、子供はどこに売られけん。」

その嘆きの声は、安寿姫の耳に届きました。それは忘れもしない母の声です。安寿は力

を振り絞って顔を上げると、そこに居るのは、恋しい母上の姿でした。どうやら目が見

えなくなって鳥追いをしているのだと見て取りました。安寿は必死に母を呼びました。

「のう、母上ではありませんか。」

と、立ち上がろうとしますが、激痛が走って立てません。なんとかして這い寄り、母の

所まで来ると、

「これ、母上様。安寿ですよ。」

と、裳裾にしがみつきましたが、母上は、またさっきの百姓どもが戻ってきて、悪さを

すると思い込んで、

「ええ、また最前のやつらが、からかいに来たのか。放せ、どけ。」

と、我が子とも知らずに、杖を振り回して、めった打ちに叩いてしまったのでした。哀

れにも安寿は、急所を打たれてぐったりと倒れました。

 そこへ水を汲みに行った小八が戻って来ましたが、この有様を見るなり駈け寄ってみ

れば、そこで、杖を振り回しているのは、御台様です。

「やあ、いったいどうしたことです。」

と、割って入り、

「これは、姉君、安寿様ですぞ。かく言うそれがしは、乳母姥竹の倅、宮城の小八。お

気は確かですか。」

と、小八は御台様を制しましたが、御台様の目が見えないことに気が付きました。

「ああ、なんという、御目が見えなくなったのですね。それにしても、姫君のお声が分

からなかったのですか、情けない。」

と、縋り付くと、ようやく母上は心付き、

「何、お前は姥竹が一子小八。やれ、今のは本当の安寿なのか。ああ、これは夢か現か。

我が娘はどこじゃ。」

と、叫びました。小八が安寿を抱き起こして、母上に抱かせました。

「のう、姉姫。この母のなれの果ての姿を見てくれよ。いつも、姉弟に会いたい見たい

と嘆くのを、里の百姓どもにからかわれ、今日もさっき、姉弟と偽る奴らが来たので、

わらわが心も分からずに憎たらしい奴らと、打ち払ったばかりの所へ、母上様と言う声。

てっきり、また最前の奴らが戻って来たと思って杖を振るったのじゃわい。それが、

本当の姫であったとは。なんという、悲しいことや。

 お前達に別れてより、恋しいゆかしいと泣き続けて、両目もこのように見えなくなっ

てしまった。我が子と知らずに叩いてしまったのも、この目が見えないばっかりに。

許してくれよ、安寿の姫。

 やあやあ、小八。なんということじゃ。姫の様態が悪い。大変じゃ。どこを打ったの

じゃ。」

と、母上は、安寿の手や顔をさすりますが、姫はぐったりしたまま答えません。母上は、

「ああ、愛しや。思わぬ憂き目に遭って、痩せ荒れ果てて骨ばかり。やれ小八、小袖は

無いか、暖めよ。これのう、安寿。顔が見たい。」

と、抱きついて嘆くのでした。最早、今際(いまわ)と見えた安寿の姫は、母上の嘆き

に、ようやく心付いて、最期の力を振り絞りました。

「ああ、有り難いお言葉をいただきました。わらわが命はそもそも覚悟のことですが、

母上様に会えないで死んだなら、黄泉の道の障りになります。只今、母上の御姿を拝む

ことができて、幸せです。

 邪険の太夫の手に渡って、姉弟共に死ぬところでしたが、弟の厨子王は身に替えて

落としました。その時、不思議と自らも小八に助けられここまで来ましたが、逆さまな

がら、ここで母上にお暇を申し上げます。自分が死ぬことよりも、母上様の両目が見え

なくなったことが悲しくて仕方ありません。

 頼むぞ小八、母様を。よろしく労って、都へ上り、厨子王丸に会いなさい。その時は、

由良の港の山路で別れた時が、今生の暇乞いであったと伝えて、回向するように言って

ください。 ああ、母上様、小八、さらばぞ南無阿弥陀・・・」

と、南無阿弥陀仏の声も弱々と消えて行きました。惜しいことに、花盛りの十五歳にし

て、安寿姫は息絶えたのでした。母上は尚も縋り付いて、

「ああ、安寿姫。ようやく会えたのに、母を捨てて何処に行く。やれ、小八。もう生き

ていても甲斐がない。殺してくれ、一緒に行かせてくれ。」

と、悶え叫ぶのでした。誠に哀れな次第です。小八も涙に暮れていましたが、

「その嘆きはごもっともですが、最早、姫君は帰りません。姫君は、女ながらもあっぱ

れ、男にも勝るお心ざしでした。この御心底を力となされ、亡き人の為に御回向してさ

しあげましょう。ところで、我が母、姥竹はどこに買い取られましたか。」

と、問うと、母上は、即答できずにしばらく黙ったままでしたが、やがて起きあがると、

「お前の母、姥竹も、一緒に売られて来たが、騙された悔しさに明け暮れ嘆く内に、病

となり、ついに空しくなられた。この胸に掛けてあるのは、姥竹が遺骨じゃわいのう。」

と、小八に渡したのでした。はあっとばかりに遺骨を顔に押し当てて泣きだし、

「こは、母様か。母様に会うことを力として、ここまでやっと辿り着いたのに、もう骨

仏になっておいでしたか。姫君も亡くなってしまいました。先に行ったのなら、冥途で

姫君をよろしくお頼み申します。南無阿弥陀仏。」

と、回向すると、涙ながらに小八は、姫君の死骸を背負い上げました。小八は、御台様

の手を引いて、墓場を探して歩き出しました。哀れともなかなか、思う任せぬ儚き憂き

世です。

つづく


忘れ去られた物語たち 9 浄瑠璃山椒太夫 ⑦

2012年02月26日 00時18分20秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

角太夫さんせうたゆう ⑦

 危うい所を国分寺で助けられた厨子王は、姿を忍ぶため、また籠に入れられ、お聖に

背負われて都へ向かいました。

 さて、その頃、先の右大臣、梅津の義次(よしつぎ)公は、杖を突いて歩くような年

になってしまいましたが、男子の世継ぎがおらず、それだけが悩みの種でした。そこで

梅津は、世継ぎを授けてもらうために、七条朱雀権現(しゅじゃかごんげん:下京区七

条七本松東入る朱雀裏畑町)で百日の護摩行を行い、日夜、参詣を怠らず、今日がその

満願の日でした。

 そこへ、皮籠を背負ったお聖が、ようようやって来ました。権現堂の傍らに皮籠を降

ろすと、蓋を開けて、厨子王を出しました。

「如何に若君、さぞや辛かったことでしょうが、都に着きましたぞ。愚僧は、これにて

帰りますが、目出度く世に出る日を楽しみにしておりますぞ。それにしても人目を忍

ぶ道中、まともな食事もさせてあげられませんので、おやつれになられました。お待ち下さい。」

と言って寺内を見ると、なにやら別棟の御房が賑やかなので、近づいて、

「旅の貧僧ですが、斎の一飯を」

と乞いました。すると喝食(かつじき:食事当番)が、数々の仏供(ぶく)の品々を、

結構な器に盛り立てて持ってきました。

「今日は百日満座のご法事があります。その仏供ですので、どうぞ。」

と、お聖に渡しました。お聖は、報恩の回向をすると、早速に持ち帰って、厨子王と共

に食べ始めました。食べながら厨子王は、

「これは有り難い。助かります。思えば姉上を置いて来た物憂き丹後の国ではあるが、

また命の親のお聖様の国でもあれば、恋しい国もまた丹後の国です。この度のご恩報に

私のこの御本尊を、形見に受け取ってください。」

と、言いました。お聖は、

「いやいや、もったいない。この度は、聖が命を助けたのではありませぬ。ただ、この

御本尊のお陰ですぞ。これからも随分、信心されて、肌より離さず掛けていなさい。愚

僧に形見をくれたいというのなら、鬢(びん)の髪を少しいただきますか。」

と、答え、互いに形見を取り交わすと、聖は、さらばさらばと丹後へと帰って行きまし

た。

 さて、厨子王が、再びかの仏供のお椀を取り上げると、どこからとも無く白鳩が飛ん

できて、お椀を持った手に止まりました。厨子王はどうしたものかと、じっと鳩を見て

いましたが、ある事に気がつきました。

「はて、我が国へ勅使が入らした時、父上を無実の罪に沈めたのも、白鳩が飛んで来た

からだった。いったい、鳩というものは、この様に人の手に止まるものなのか。どうも

おかしい。」

と、考え込んでいる所へ、上総の管領重連が郎等である横沼源六と源五の二人が、鳩を

捜してやってきました。

「こりゃ、こりゃ、見つけたぞ。さてさて、ここに飛んできたのも道理。金の土器の

お仏供に降りておるわい。さても賢い奴。おい、その鳥をこちらへ返せ。」

と、鳩を取り上げようとしましたが、厨子王は、しっかりと抱き取って、

「いや、この鳩は、それがしが手飼いの鳩。なんの印があってお前の物だと言うのか。」

と、わざと偽ると、源六源五は、顔を見合わせて、

「さてさて、野太いことをほざくわっぱだな。忝なくもその鳥は、上総の管領重連様と

言う偉いお方の秘蔵の鳥じゃ。我々は、水をやろうとして、ふと取り逃がしたのだ。そ

の証拠には、自然の鳥は人を恐れるが、その鳥は金の土器で飼われてきたので、それそ

のように、お前が持っている器に止まったのだ。この盗人め、踏み殺してくれん。」

と言えば、厨子王少しも騒がず。

「何、上総の管領重連殿の御鳩と言うか、ひょっとして、この鳥を先年、奥州までご持

参されましたか。」

二人は聞いて、

「はて、妙な事を聞くものだ。なるほど、奥州岩城殿への勅使の折持参し、旦那の望み

を達したが、それがどうした。」

と、答えました。これを聞いた若君は、横手を打って、立ち上がると、

「さては企んで、父上を無実の咎に落とした悪人は重連であったか。そうとも知らず親

子兄弟引き分けられ、様々と憂き目を見ること、思えば思えば腹立たしい。おのれも敵(かたき)。」

と言うと、懐中の守り刀を抜くや否や鳩を刺し殺して、投げ捨てました。驚いた二人が、

取り押さえようとすると、さらに厨子王は大音を上げて、

「陸奥岩城の判官正氏が二男厨子王丸とは、我が事なり。父の讒者を知る上は、仇を報

ぜずにおくべきか。さあ、切れるなら切ってみろ。」

と、刀を振り回して立ち向かいました。二人の者も逃してなるものかと、迫ります。し

かし、大の男二人には叶いません。既に危うしという所に、梅津の兵が押し寄せて何の

苦も無く、二人の者を打ち倒し高手に縛りあげたのでした。そこに梅津公が姿を現しました。

「やれ、正氏の二男厨子王丸、珍しや。我こそそなたの祖父、梅津の右大臣であるぞ。

委細はあれにて見聞したので、助けたぞよ。して、母や安寿は何処に居る。先ずはこち

らへ来なさい。」

と、声を掛けられたのでした。厨子王はあまりの嬉しさに、はっとばかりに駈け寄って、

祖父を頼りにここまで来たこれまでの事どもを、涙ながらに語るのでした。梅津公は、

「さても不憫なことをした。我も、讒言の業を調べていたが、確たる証拠も無く、これ

まで、徒に時を過ごしてしまった。しかし、今の委細を見聞する上は、この二人を証拠

として、重連が悪事を帝へ奏聞申し上げて、正氏を呼び戻そう。そうして、岩城の家を

再興するのだ。もう安心して良いぞ厨子王丸。ところで、家の系図はどうてあるか。」

そこで、若君は謹んで懐中より系図の巻物を取り出すと、梅津公に渡しました。梅津公

は、これを開いて拝見すると、満足気に、

「これに過ぎたる証拠は無し。」

と言って、大変お喜びになりました。その時、覚源(かくげん)律師(りっし:僧)は、

「お殿様、この度の御立願(ごりゅうがん)は、御世継ぎの御願いでござります。しか

るに、今日、満座の日に当たって、誠に不思議のご対面は、金言(こんげん:仏の言葉)

の御納受です。御勧請が叶ったということでありますから、厨子王殿を、お世継ぎとな

されませ。いよいよお家はご繁盛となられることでしょう。

 さて、厨子王殿の母上のことですが、只今、「坎(かん)」の卦(け)に当たっており

ます。「坎」は北であり水を表します。どうやら、北の方の離れた島にいらっしゃる様

です。また、「坎中連(かんちゅうれん)」の卦でありますからお命には別状ございませ

ん。中の一本が連なっておりますので、やがて追いついて対面なされるでしょう。」

と、占われました。喜んだ梅津公は、早速に誰か使わして、母の行方を尋ねさせようと

言いました。しかし、厨子王は、自分で捜しに行かなければ不孝になると、暇乞いを申

し出たのでした。梅津公は尚さら感心して、

「神妙であるぞ厨子王丸。それでは、それがしは、帝へよろしく奏聞して、正氏を呼び

戻しておくから、そなたは、母を連れて帰れ。やれ、侍共、厨子王が供の用意をせよ。

証拠の二人は逃がすでないぞ、先に連れて行け。さて、覚源律師殿、百日満座の大願成

就のこと、誠に有り難し、又改めてゆっくりとお礼を致そう。」

と、礼儀を尽くして館へと戻られたのでした。

つづく