角太夫さんせうたゆう ⑩ おわり
厨子王は、丹後へ入府(にゅうぶ)するについて、国分寺を宿所とし、三日先に触れ
を出しました。ところが、宿所を命じられたお聖は、なんでこんな古寺をわざわざ選ん
だのだと不審に思い、面倒に思うと傘を一本持って逃げ出してしまいました。到着した
厨子王は、お聖様が居ないことを知り、探し出すように命じました。やがて、穴太寺の
観音堂(京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46)の裏で、お聖は捕まって、縛り上げられ
て、厨子王丸の前に引き出されました。これを見た厨子王は、命の親に縄を掛けるとは
とんでもないと、そのまま跳んでおり、自ら縄を解くと、
「お忘れになりましたか、皮籠(かわご)のわっぱです。これ、形見もこの通り。」
と、言いました。お聖は大変喜んで、
「おお、さても嬉しや。御出世なさいましたか。天道は誠をお照らしになりました。こ
れこそ、仏神のご加護です。目出度い目出度い。ところで姉君はどうなさいましたか。」
と聞きました。厨子王は涙と共にこれまでのことを語り終えると、
「これより、恨めしの太夫一家を呼び出します。お聖様はごゆっくりお休み下さい。」
と言い、太夫一家を召し出すよう命じました。お召しを受けた山椒太夫は、何かご褒美
でもいただけるかと、親子揃って国分寺へとやってきました。親子を前にして厨子王は、
胸が急きましたが、ぐっと堪えて、
「如何に太夫、汝の家の水仕に、しのぶ、忘れ草と言う姉弟の者が居ると聞いている。
そのしのぶとやらは、美人の聞こえが高いので、それがしにくれ。その褒美に国でも郡
でも、望み次第に与えよう。」
と言いました。太夫と三郎は顔を見合わせて、
「ええ、その女が居るならば、過分の大名になったものを。口惜しや。」
と、つぶやきました。太夫は仕方無く、
「ええ、その女は確かに居りましたが、我々に楯を突き、その上、弟を逃がし、その行
方を問い詰めるために誡めましたが、その弟を追いかけている間に、どこやらに消え去りました。」
と答えました。厨子王は尚も、
「おお、それでは仕方ない。そしてその忘れ草は捕まえたのか。」
と問い詰めました。太夫が、
「いいや、弟めは身代道具を丸取りにして山より逃げたままです。」
と答えると、とうとう厨子王は堪えかねて居丈高になると、
「やあ、太夫。我こそその忘れ草だ。見忘れたか。面を上げよ。」
と、声を荒らげたのでした。太夫親子は吃驚仰天して身の置き所もありませんでした。
その時、宮城の小八が出てくると、意外にもこう言いました。
「恐れ多くも我が君は、仇を恩に報じて、ご処置なされる。遠慮無く国を望め。」
これを聞いた太夫は、ほっとして、
「これは有り難い仰せ。慈悲は上より降るとはこのことよ。如何に子ども達。」
と言うと、三郎は、
「それがしは一門広い者ですので、大国を給わりたく存じます。」
とぬけぬけと言ったのでした。小八はにやにやと笑って、
「よろしい、では姉君の敵、三郎には、広き国、八万地獄を与える。太郎次郎の姉弟は、
三郎が皮籠を見せろと言った時に、誓文の免じて三郎を制止したによって無罪とする。
有り難く思え。さてさて、山椒太夫は八十八歳になられる。八万地獄を拝領したからに
は、目出度く升掛(ますかけ)の竹鋸を三郎に引かせるべし。早や疾く。」
と、下知するのでした。やがて準備も整いましたが、四人の人々は泣きわめくばかりで
す。三郎は、未練なりと怒って立ち上がると、ええい面倒なとばかりに竹鋸を持つと、
「如何に父上、我が宗旨の念仏とやら、こういう時に言うものらいしいですぞ。」
と、言うなり、えいやえいやと父の首を引きました。やがて、太夫の首は、ばったりと
前に落ちました。厨子王はこれを見て、
「おお、美事にやり終えたな。ご苦労であった。それでは、三郎にも暇を取らせよ。」
と、言うと、今度は三郎が締め上げられて引き据えられました。厨子王が、
「末代までのみせしめである。恨みあって憎いと思う者は、集まって首を引け。」
と言うと、由良千軒は言うにおよばす、近郷近在より数多の人々がやってきて三郎の首
を引き落としたのでした。
さて、その後厨子王は、、姉君の為に御堂を建立され、守り本尊を安置されました。
丹後の国
金焼き地蔵の由来これなり
御家、日に繁盛す
目出度さよとも中々申すばかりはなかりけれ
山本角太夫
京二条通り寺町西へ入町
正本屋 山本久兵衛
おわり