猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 18 説経角田川 ①

2013年03月04日 10時49分44秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

「角田川」は、能の題材でもあり、古説経時代の五説経にも数えられる程、有名な話し

である。歌舞伎にも大きな影響を与えた題材であり、東京都墨田区の木母寺では現在も

3月15日から一ヶ月の間、主人公「梅若」の供養や芸道成就の祈願が行われている。

従って、『忘れられた物語』とは言えないかもしれない。しかし、残念なことに、説経

の古い正本が残っていない。歌舞伎では、「隅田川物」が高名だが、説経としての「角

田川」は忘れ去られているようである。

説経正本集第3(36)角川書店

元禄頃と推定 太夫不明 鱗形屋孫兵衛

すみだ川 ①

 本朝七十三代堀川天皇の御世(在位1087年~1107年)の頃のことです。都の

北白川(京都市左京区東部)に吉田の少将是定(これさだ)という位の高い方がいらし

ゃいました。この是定という方は、自らは五戒を守り、人には仁義をもって接し、詩歌、

管弦、七芸六能(※六芸四能カ:六芸=礼楽射書御(馬)数:四能=琴棋書画)に秀で、

都にその人ありと知られておりました。是定には、二人の子供がありました。嫡男は、

十一歳になる梅若丸。二男は九つになる松若殿と申します。お二人とも、そのお姿は、

花のように美しく、お話になるその幼気なお言葉は、まるで露を散らすように可憐でしたので、

父母から受ける御寵愛も限りがありませんでした。

 ある時、是定は、北の方を近付けて、こう言いました。

「妻よ。聞きなさい。つくづくと思うことは、人の一生は、風前の雲と同じ。命は石の

火の様にあっという間のことだ。二人の子供の内、一人を出家にして、我等が死した後

の菩提を弔わせようではないか。どうじゃ。」

これを聞いた御台は、こう答えました。

「それは、もっともな仰せではありますが、梅若は惣領ですから、吉田の家を継がせな

くてはなりません。松若は、まだ幼少ではありますが、松若を出家させて、我々の菩提

を祈ってもらえば、こんな嬉しいことはありません。」

夫婦揃って菩提心を起こした、その心の内は殊勝なことです。夫婦は松若に、

「お前は、まだ幼いけれども、学問をさせるために、山寺へ登らせることにした。栴檀(せんだん)

は、双葉より芳しい。(※諺:大成する人は幼少より優れる)学問を究めて、吉田の家

の名を天下に示せよ。」

と言うと、山田の三郎安親(やすちか)を供として、東谷の妙法院(京都市東山区)

に入り、日行阿闍梨(にちぎょうあじゃり:不明)の弟子となったのでした。日夜、学

問に精を出したので、その年の暮れ頃には、もう内外すべてのことに精通してしまいました。

人々は、弘法大師の化身だと、羨ましがらない者は無かったということです。しかし、

諸学を修めたことで、松若には高慢な心が芽生えていました。仏神の天罰でしょうか。

ある日、どこからとも無く、山伏が一人現れると、

「松若殿、昼夜の学問に、さぞやお疲れのことではありませんか。私の住み家へいらっ

しゃり、どうぞお疲れの心を癒してください。」

と、言うなり、松若殿を掴み上げて、あっという間に、虚空へと消えたのでした。人々

は驚いて、あちらこちらと探し回りましたが、なにしろ天狗の仕業でしたから、その行

方が分かるはずもありません。お供の安親は、ひとまず北白川に帰り、事の次第を報告

することになりました。

 この事態を聞いた吉田の少将夫妻は、わっと叫んで泣くしかありません。是定は、

「何事も業の定めとは言うものの、こんな事になると知っていたのなら、寺などに入れ

なかったものを。愛おしい松若よ。なんとも恨めしい世の中であるなあ。」

と、口説きました。このことがあってから、是定殿は、俄に体調を崩されて、食事も満

足に取れない状態となってしまいました。御台や梅若丸が、看病を尽くしますが、病は

さらに重くなる一方でした。最期を悟った是定は、舎弟の松井源五定景(さだかげ)や

家来の粟津六郎利兼(としかね)、山田三郎安親を、枕元に呼び寄せると、

「如何に皆の者。私の娑婆での縁も、最早、尽き果てて、これより冥途に向かうであろう。

梅若は、未だ幼少であるから、十五の歳になったなら、参内させて、吉田の家を継がせ

てくれ。それまでの間のことは、定景に頼み置く。利兼、安親は、定景と心を合わせて、

若を盛り立ててくれよ。

 梅若よ。父が死んだ後も、母に孝行を尽くし、立派に吉田の家を継ぐのだぞ。それでは、

さらばじゃ、北の方。名残惜しい梅若よ。」

と言い終えると、念仏を唱えながら亡くなったのでした。御台所も梅若も、おろおろと

泣き崩れる外はありません。御台様の嘆き事も哀れです。

「ああ、なんと儚いことでしょうか。このお殿様と、美濃の国の野上(岐阜県不破郡関ヶ原町)

で出合ってからというもの、片時も離れたことは無かったのに、冥途の旅といって、さ

っさと行ってしまうなんて、あなたは寂しくは無いのですか。私も一緒に、連れて行っ

て下さい。」

と、遺体に縋り付いて泣くのでした。しかし、どうしようも無いことなので、涙ながら

に、野辺送りをし、無常の煙としたのでした。松若は行方知れずとなり、今度は夫を失

った御台様の嘆き悲しみは、一方ならぬものでした。御台様と梅若殿の心の内は、哀れ

ともなかなか、申すばかりもありません。

つづく

Photo


最新の画像もっと見る

コメントを投稿