青空ーすべてはバランス

アレルギー㉚アレルギー初代

2023.2.19(日)今日は終日雨となる。寒さはきつくない。


こちらの記事では、代々の祖先の遺伝もあるが、赤ちゃんができる大切なことを両親がしている、まさにその時の両親の健康状態が子に遺伝するということを知った。
ならば、戦後急激に食生活が変わりアレルギーという現代病が蔓延した時を自分の場合に当てはめて考えてみようと思った。

私が誕生したのは昭和30年・1955年です。この頃の両親は何を食べていたのか気になった。戦争が終わってまだ10年しかたってないが・・・。

焼野原だらけの日本の国土も1950年に朝鮮戦争が勃発したことで日本の経済復興を後押ししたため、急速に食糧事情も改善されていったようだ。

シジミの味噌汁、漬物、卵焼き、魚は焼いたり煮たり。こんなものを昭和30年ころに食べていたようだ。
その他、牛乳は紙のふたのついた瓶入りのものがあったが、まだ高級品だったそうだ。川が家に近くにあったので沢蟹を取って唐揚げにしている。バナナは高級品。米を煎ったポン菓子、かりんとう、ラッパ飴は家で作っていたようだ。あるものを使って子供にお菓子を作る。編み物をして靴下やセーターを作る。家電製品もまだない頃、食事、片付け、洗濯、などなどよく働いていた主婦たち。頭が下がる。

私が小学生の頃には給食も始まっていましたからね。クジラの肉の竜田揚げなどは美味しかった。肝油もついてました。くじらから捨てるところは何もないと教えられていました。クジラに感謝こそすれ、再びただ食べたいという欲求だけでクジラを殺したくない。給食では脱脂粉乳を使って牛乳の代わりにしたものが出ていた。

日本の食糧事情改善のためにアメリカは日本に小麦を配給しました。その後すぐに購入することになるのだけど。メリケン(アメリカ)波止場からメリケン粉(小麦)が大量に輸入される。給食もパン。私が生れる前のこの頃から急速に日本人の腸と免疫が遺伝情報にないであろう小麦を受け入れることになる。

そして、重工業、化学工業が進展し、日本列島は煙にまみれていく。そして、ショッキングな色のついた駄菓子なども出てきた。この頃使われる化学物質は得体のしれないもがあったようだが、そんなこと子供は訳が分からない。かなり工業的な化学物質が体内に入ったはずだ。まだ行政の規制もできてない時代だ。毎日海が汚れていくのがよくわかった。私の小学生の頃はこんな状況だ。
同じ昭和30年ころと言っても地域によってかなり食べ物に違いはあるでしょうが。

台所を覗くとこの年、自動式電気釜が発売されている。

こう考えていくと、現代病のアレルギーが始まった(原因のはじまり)のは私の世代からということになる

この先、アレルギーが始まったのはいつ頃からか?ということが語られることがあるでしょうが、昭和20年から30年頃に0歳から10代の世代が最初となるのではないかと私は考えます。

この初代は、母体の中にいる頃は影響を受けてないが、小さなころから影響を受けている。しかし、この初代の2世の子供は、母体にいる頃から影響を受けている。だから、初代よりもアトピー、喘息などのアレルギー疾患を多発している。と私は考えている。

何とも言えない気分だ。

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