TavasaのKN4003 クモハユニ64000です。
飯田線時代を再現するキットですが見慣れた大糸線時代を再現して有ります。
とは言え既に半世紀以上前の事です。
実車では1943年に横須賀線のモハユニ61形郵便荷物車として誕生。
当時は未電装でしたが翌年1両のみが電装されました。
後にクモハユニ44に編入されクモハユニ44100の番号が与えられましたが
大糸線に転属の後に両運転台化されクモハユニ64000になりました。
長らく大糸線で電気機関車代用として自連を付け数両の貨車を牽引する姿が見られました。
1969年に岡山電車区を経て1978年に飯田線へ転属になりそこで終焉を迎えました。
この車両は飯田線時代は多くの撮り鉄に有名ですが大糸線時代を知る人も掲載記事も少なくなりました。
大糸線で貨車を牽引する当時の写真から(再掲載)・・・一日市場駅
もう1枚(再掲載)後ろ側が切れています。
で、線路に乗せて1位側前から
前方から
横から
2位側方から
2位側前から
KATOから発売された同型車を並べて・・・
2位側は初回改造時は非貫通でしたが岡山時代に貫通扉取り付けと塗装変更がされ趣が変わりました。 右がKATO
同じ時代に活躍したで有ろう茶色の大糸線車両(タイプ)は後日
今日はここ迄
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飯田線時代を再現するキットですが見慣れた大糸線時代を再現して有ります。
とは言え既に半世紀以上前の事です。
実車では1943年に横須賀線のモハユニ61形郵便荷物車として誕生。
当時は未電装でしたが翌年1両のみが電装されました。
後にクモハユニ44に編入されクモハユニ44100の番号が与えられましたが
大糸線に転属の後に両運転台化されクモハユニ64000になりました。
長らく大糸線で電気機関車代用として自連を付け数両の貨車を牽引する姿が見られました。
1969年に岡山電車区を経て1978年に飯田線へ転属になりそこで終焉を迎えました。
この車両は飯田線時代は多くの撮り鉄に有名ですが大糸線時代を知る人も掲載記事も少なくなりました。
大糸線で貨車を牽引する当時の写真から(再掲載)・・・一日市場駅
もう1枚(再掲載)後ろ側が切れています。
で、線路に乗せて1位側前から
前方から
横から
2位側方から
2位側前から
KATOから発売された同型車を並べて・・・
2位側は初回改造時は非貫通でしたが岡山時代に貫通扉取り付けと塗装変更がされ趣が変わりました。 右がKATO
同じ時代に活躍したで有ろう茶色の大糸線車両(タイプ)は後日
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