大会が終了すると、各校一斉に後片づけに入る。
当然のことである。
しかし、以前は違った。
今も昔も、各校毎に役割分担がある。
私は山形に来てから20年以上経つが、いつもプールを後にするのが一番最後だった。
以前は、自分たちの役割を終えたら帰る学校が多かった。
残るのは数校だった。
後片づけだけではない。
初めて山形に来て、市中学総体水泳競技へ参加したときのことだ。
プールサイドから、泳いでいる選手への応援である。
応援は応援でも、自分の学校の選手たちには応援していないのである。
何で?
同じスイミング仲間にしているのだ。
まぁ、それもあるだろう。
しかし、中にはスイミングクラブに所属していない部員もいるのだが、
その仲間たちには応援がない。
寂しさを感じた。
すべてではないとしても、私の目にはそう映った。
次の年から、「山形二中」では、
仲間が泳いでいるうちは「応援」を止めないことにした。
少しでも手抜きをしたら「怒鳴った」
その年、初めて1500mを泳いだ選手がいた。
正直言って、嫌だっただろう。
私は、
「お前が泳ぎ終わるまで、みんなで応援するから」
「どんなに遅くても、最後一人になってもみんなで応援するから」
「寂しい思いはさせないから」と。
その年から、応援はレース以上に頑張った。
県中学総体でも、大きな声で必死で応援した。
閉会式の時、講評の中で「山形二中の応援は素晴らしかった」と。
結果は出せなかったが、部員全員が喜んだ。
私も嬉しかった。
その次の年から、プールサイドが変わった。
みんな学校毎に大声を張り上げるようになった。
特別なことではない。
それで当たり前なのだから…。
今では、各校とも仲間を当然のように応援している。
たまに、熱くなりすぎて前に出すぎることも…。
後片づけは、なかなか変わらなかった。
役割を終え、早々と集合写真を撮るチーム。
さっさと帰るチーム。
あえて注意はしなかった。
大人なら、教師なら気づいてほしかった。
気づけないことは、続かないし、形だけになってしまう。
今では、市内各校全てが最後まで片付けをする。
当然である。
自分たちの役割が終わったら、終わっていないところを手伝う。
これも当然なことだと私は思う。
しかし、今回残念なことがあった。
それは我がチームが、それができなかった。
与えられたこと。
指示されたこと。
指示されたこともできなかった者も…。
自分から仕事を探し、行動することができなかった。
自分の指導力の無さを感じる。
リレーで負け泣いていた。
総合優勝を逃して泣いていた。
だから、負けるのだ。
私の中では、あの男子の頑張った姿も消し飛んだ。
そのぐらい残念なことだ。
ただ強ければいいのか?
ただ速ければいいのか?
この「気づき」がないから、
本当の強さを手に入れることができないということを…。
だから、調子、気持ちの波が大きいのだ。
あたり前のことが理解できないから…。
今回、最後まで頑張っていたのが「山形大学附属中学校」である。
ガラス磨きを最後の最後まで頑張っていた。
言われてからは誰でもできる。
このような調子では、1ヶ月後が心配である。
一流でない、まだまだ未熟な我々が、
一流になるための努力を怠ったら、成れるわけがない。
どんな小さな事でも、
「これをやり遂げることができたら一流に一歩近づける」と、
素直な気持ちで思うことができない奴には成功はないだろう。
一流選手のなかにも「いい加減な奴」はいるだろう。
でも、そんなのはほんの一部。
成功した奴の殆どは、成功するまで諦めず努力してきたのでは?
私はそう思いたい。
だから、生活の全てから学ばなければいけないのだ。
自分の好きなことだけ一生懸命しいるのでは追いつかないのだ。
「才能」「能力」のある奴に追いつかないのだ。
さぁ、これからどんなことに「気づいて」いくのか、
本当に楽しみだな。
当然のことである。
しかし、以前は違った。
今も昔も、各校毎に役割分担がある。
私は山形に来てから20年以上経つが、いつもプールを後にするのが一番最後だった。
以前は、自分たちの役割を終えたら帰る学校が多かった。
残るのは数校だった。
後片づけだけではない。
初めて山形に来て、市中学総体水泳競技へ参加したときのことだ。
プールサイドから、泳いでいる選手への応援である。
応援は応援でも、自分の学校の選手たちには応援していないのである。
何で?
同じスイミング仲間にしているのだ。
まぁ、それもあるだろう。
しかし、中にはスイミングクラブに所属していない部員もいるのだが、
その仲間たちには応援がない。
寂しさを感じた。
すべてではないとしても、私の目にはそう映った。
次の年から、「山形二中」では、
仲間が泳いでいるうちは「応援」を止めないことにした。
少しでも手抜きをしたら「怒鳴った」
その年、初めて1500mを泳いだ選手がいた。
正直言って、嫌だっただろう。
私は、
「お前が泳ぎ終わるまで、みんなで応援するから」
「どんなに遅くても、最後一人になってもみんなで応援するから」
「寂しい思いはさせないから」と。
その年から、応援はレース以上に頑張った。
県中学総体でも、大きな声で必死で応援した。
閉会式の時、講評の中で「山形二中の応援は素晴らしかった」と。
結果は出せなかったが、部員全員が喜んだ。
私も嬉しかった。
その次の年から、プールサイドが変わった。
みんな学校毎に大声を張り上げるようになった。
特別なことではない。
それで当たり前なのだから…。
今では、各校とも仲間を当然のように応援している。
たまに、熱くなりすぎて前に出すぎることも…。
後片づけは、なかなか変わらなかった。
役割を終え、早々と集合写真を撮るチーム。
さっさと帰るチーム。
あえて注意はしなかった。
大人なら、教師なら気づいてほしかった。
気づけないことは、続かないし、形だけになってしまう。
今では、市内各校全てが最後まで片付けをする。
当然である。
自分たちの役割が終わったら、終わっていないところを手伝う。
これも当然なことだと私は思う。
しかし、今回残念なことがあった。
それは我がチームが、それができなかった。
与えられたこと。
指示されたこと。
指示されたこともできなかった者も…。
自分から仕事を探し、行動することができなかった。
自分の指導力の無さを感じる。
リレーで負け泣いていた。
総合優勝を逃して泣いていた。
だから、負けるのだ。
私の中では、あの男子の頑張った姿も消し飛んだ。
そのぐらい残念なことだ。
ただ強ければいいのか?
ただ速ければいいのか?
この「気づき」がないから、
本当の強さを手に入れることができないということを…。
だから、調子、気持ちの波が大きいのだ。
あたり前のことが理解できないから…。
今回、最後まで頑張っていたのが「山形大学附属中学校」である。
ガラス磨きを最後の最後まで頑張っていた。
言われてからは誰でもできる。
このような調子では、1ヶ月後が心配である。
一流でない、まだまだ未熟な我々が、
一流になるための努力を怠ったら、成れるわけがない。
どんな小さな事でも、
「これをやり遂げることができたら一流に一歩近づける」と、
素直な気持ちで思うことができない奴には成功はないだろう。
一流選手のなかにも「いい加減な奴」はいるだろう。
でも、そんなのはほんの一部。
成功した奴の殆どは、成功するまで諦めず努力してきたのでは?
私はそう思いたい。
だから、生活の全てから学ばなければいけないのだ。
自分の好きなことだけ一生懸命しいるのでは追いつかないのだ。
「才能」「能力」のある奴に追いつかないのだ。
さぁ、これからどんなことに「気づいて」いくのか、
本当に楽しみだな。
気づくこと、考えて動くこと・・・大事ですね
失礼ながらキムジュンさんの事は存じ上げませんが「魂」のあるお言葉にうれしさと胸の痛さを感じました。