世捨猫のマンドク生活

~ Cat's my Life ~ 未だ見ぬ何かをもとめて・・・

しとどの窟(土肥椙山巌窟) FILE:3

2009-08-10 07:22:46 | 史跡・観光・他
湯河原梅林の分岐先から階段を上って、しとどの窟(いわや)へ到着した。

岩屋は説明が書かれている立て札の有るスペースより、もう1段上に有る。

階段を上がり、そのスペースへ到着。自分は想像していたよりも
狭いという印象を受けたが、SSBは逆に想像よりも広かったらしい。

関東大震災の時に入口が崩れてしまった、との事だが・・・
この祭壇のような盛り上がった辺りが、崩れた入口なのかな?

観音信教の聖地だったと言うだけ有り、石仏の数が多い。

岩屋天井の窪んだ部分からは水が流れ落ち、細い線状の滝と成す。

この水には厄払いの効果が有る、との事なので試しに飲んでみた。
『ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!!浄化されるうぅぅぅぅ!!!!??』

源頼朝は、こんな所に7人の兵士と隠れていたのか。隠れている際に
平家方の梶原景時発見されるも見逃してもらった、との事だが、もしも
ここで討取られていたら、もう少し心霊スポット的な要素も増しただろう。
とは言え、この地域での戦いで300人程の雑兵は犠牲になった訳だが。

説明が書かれている立て札は3つ有ったが2つは割愛。この立て札には
『この岩屋に5日間かくれていた』と記載されているが、別の立て札には
『24日夜明け、椙山に追撃され山中の巌窟に潜んで九死に一生を得、
 その夜は箱根権現の永実坊に宿をとり、再び椙山に戻って3日間
 椙山の山中に隠れ、28日真鶴から安房へ向かった』と記されていた。
微妙に解釈が異なっているが、どちらが正史なのだろうか・・・?

そして帰りの登り坂は、来る時以上の運動になるのであった・・・

不思議探検隊のレポートリンク

FILE:2へ戻る


最新の画像もっと見る

コメントを投稿