規制緩和推進論者たちが唱える「規制打破聖戦論」の悪質さについて
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/
2014年5月10日にテレビ愛知で放送された「激論!コロシアム」という番組があったらしい。
その一部がYoutubeに『激論!コロシアム~5月10日 2014(1) 「竹中平蔵氏 に聞く」』というタイトルでアップされている。
https://www.youtube.com/watch?v=WLB3-h7KtcU
この動画は時間にして7分に満たないが、その中の3分40秒あたりから、京都大学大学院工学研究科教授の藤井聡氏が、規制緩和について非常に重要な突っ込みを入れている。
これに対して、竹中平蔵氏は一番痛いところを衝かれたせいか、おろおろしながらしどろもどろの答え方をしている。
相手の質問の本質をはぐらかすことについては、天才的な能弁家の竹中氏にしては珍しい取り乱しぶりなので是非視聴して見ていただきたい。
それほど、藤井氏の投げかけたある質問は竹中氏に大きな動揺を惹起した。
藤井聡氏は議論の前提として、竹中平蔵氏に対し3つのコンパクトな質問を投げかけているが、その中の3点目の質問が特に竹中氏をぐらつかせている。
(動画の5分06秒くらいから藤井氏が語った3点目の要点)
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「規制緩和に反対をされる方って、確かにおられる。
それは反対勢力とか呼ばれたりしますけど、そのとき竹中先生は既得権を持っている方々が反対をするとおっしゃっている。
確かにそういう方も存在すると認識はしますけれども・・、じつは既得権とは無関係に国益のために規制緩和をすべきでないということをおっしゃっているかなり多くの方々がおられるということも決して忘れてはならない。」
(https://www.youtube.com/watch?v=WLB3-h7KtcU )
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
藤井氏は上記発言で、規制緩和に反対するグループが既得権益保持者だけではなく、国益を考える人々が多くいること、その詳細を展開し始めた。
ところがレギュラーコメンテーターの細川昌彦氏(この人物を筆者は知らないが、竹中マンセー派だろう)や竹中平蔵氏が猛然と割って入り、藤井氏の発言をさえぎっている。
藤井氏の言った、「国益を守るために規制緩和をすべきではない」は、“規制”は国民国家を益するために存在するという、重要な本質部分を当たり前に表現していただけのことである。
藤井氏は規制緩和反対論者に既得権益層の存在を認めていながら、なおかつ国益派の存在も忘れるなと言っているだけであり、何ら突拍子もないことを言っているわけではない。
これに対し竹中氏はおろおろして見当外れの反応をするばかりで、全く答えていない。
このブログで何度も言っているように、規制とは変えてはならない部分と変えるべきところの二面的属性が常に併存している。
一つは、変えてはならない部分は国民や社会秩序を守るセーフガード(安全装置)の部分である。
二つ目は社会や経済の変化に応じて、国民経済発展のためにルールを変えなければならない部分があるということ。
規制にまつわるこれら二つが不易流行(ふえきりゅうこう)の性格を持つことは重要な視点である。
規制に付随するこの二面性を見た場合、どちらかと言えば最初の変えてはならない部分が、変えなければならない部分に優先するのが本来の姿なのである。
なぜなら規制は国民国家を守る大事な社会制度だからだ。
ところが竹中平蔵氏に代表される規制緩和推進派は、この二面性を無視して規制悪玉論に故意に傾注した上、人々をそこへ誘導している。
規制は存在論的に悪だという誤った概念を植え付けているのだ。
少し突っ込んで言えば、竹中氏は「規制」が国民生活のガードシステムと経済発展の二つの部分を常に考慮しなければならないという両面属性さえも思いっきり無視している。
どういうことかと言えば、国民生活が彼の唱える規制緩和に存在しないことは何度も述べているのだが、じつは経済発展のためにという概念も彼には存在しないのだ。
意外だと思われるだろうがその理由を言う。
竹中氏や安倍首相が経済発展のために規制緩和の必要性を説くのであれば、その経済発展は下村治氏が定義付けた“国民経済”の概念でなければならない。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2014/06/post-92d3.html
つまり「1億2千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。」という文脈でなければならない。
ところが、彼らが希求する経済発展は国民経済ではなく、国民不在の企業経済なのである。
ここには日本人の充溢した生活概念は微塵も存在しない。
つまり竹中氏ら規制緩和推進論者たちが言う、経済が賦活すれば国民生活にも寄与するという論法は二重の意味で国民を欺いていることになる。
一つはトリクルダウン・セオリーの大嘘、もう一つは企業経済至上主義をあたかも国民経済であるかのように偽装しながら国家戦略特区を進めていることである。
経済を皮相的な一般論で捉えた場合でも、分かりやすく言えば、たとえば企業の新技術展開(イノベーション)や企業利潤最大化のための規制緩和と、国民生活の保護という二つの目的が相反したとする。
そのときどっちを優先するのかという選択の必要が生じたとき、国民生活のセーフガードを優先することは当然なのであり、それを守るのが政治の目的なのである。
国家戦略特区ではこれにかんする規制緩和の事前評価など、国民が知るべき重要な対策が完全に抜け落ちている。
その理由は規制悪玉論を常識的な前提だとうそぶいていることと、トリクルダウン・セオリーで国民を騙そうとしているからだ。
新自由主義に毒された政治家や官僚、財界人は企業受益だけを優先する。
そのためにかなり以前から政治献金が行われ、カネの力で企業寄りの政策を強行させる風習が根付いてしまっていた。
この土壌の中に国際金融資本やグローバル企業の日本収奪目的の規制緩和政策が内政干渉的に行われてきたのである。
この風潮を率先して実行しているのが、日本経済を実質的に牽引する影の総理大臣・竹中平蔵氏なのである。
竹中平蔵氏の政策思想は、百パーセント企業寄り、百パーセント国際金融資本寄り、百パーセントグローバル企業寄りであり、国民生活の維持や充溢は全く眼中にない。
だからこそこの人物は国民国家にとって最も危険なのである。
従って竹中氏を中心として牽引される国家戦略特区がいかに危険な国策であるかお分かりだろう。
竹中氏は規制緩和の必要性を「進歩」という概念でくくり、規制緩和に反対する勢力を“旧社会主義国家と同等な沈滞概念”、つまりは“抵抗勢力”として乱暴にくくってしまうのだ。
この単線的二分論で概念づけられた経済進歩史観が彼の十八番(おはこ)とも言えるのであるが、これがペテン的構造改革論の本質なのである。
その意味では、藤井教授の上記論点は重要な突破概念であり、これは市民アナリスト奈須りえさんの規制緩和に対する疑念と強く整合している。
奈須りえさんは、2014年2月14日のオフィシャルブログ記事『国家戦略特区、構造改革特区パブコメにあたり私が考えていること』で下記のように疑問を呈していた。
http://blog.goo.ne.jp/nasrie/e/898b3289918f918dee6d990b11c97551
(引用開始)
「◆構造改革特区の時に、「もともとの規制の目的がそこなわれない」という条件がついていたものをこの「基本方針」によりなし崩しにしようとしている。
国権の最高機関である、国会の議決をたとえ、法律により、一定の権限を与えられたとしても単なる国家戦略特区諮問会議が超えることは不可能。法治国家の根幹がゆらぐ。
(引用終了)
国家戦略特区逐条解説P2 下から10行目
http://nasu.seikatsusha.me/files/2014/01/1b13864ff80bf2e9b957bfbba00dcbc0.pdf 」
構造改革特区の時点では、規制の重要な本質であるセーフガードがまだ考慮されていたが、国家戦略特区に至っては、これがなし崩し的に無視されている。
これがいかに国民にとって破壊的な結果をもたらすかは明白であろう。
藤井聡氏はこの部分を国益という概念で突っ込んだのである。
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