人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

エベレストBC6泊7日の旅 ⑤高山病になりました・・・

2014年06月20日 | 
 2014年5月7日

4000m越えの移動。

未知の世界。

時間が経つに連れて身体が動かなくなる。

休憩で足を止める頻度が多くなった。500mくらい先に村が見えているのに、前への一歩が出ない。

大きな石を見つけては大の字で空を見上げ、立ちあがっては嘔吐を繰り返し、1時間かけて村のロッジに着いた。

今日の目的地の半分くらいにも満たないペリチェというところで、先に進めなくなった。

ロッジのベッドに倒れ込む。そんなに寒くないのに、震えが止まらない。



毛布を掛けて寝るがいっこうに震えが止まらない。

「まずい!まずい!」と声がする。

渾身の力で着替えを出して、暖かい衣類に着替えた。

それでも震えは止まらない。

激しい頭痛、嘔吐、寒気、

「今、できることは?」また声が聞える。

毛布をもう一枚頼み、スープを飲んだ。

アップルジュースを飲んだ。

散歩した。

気分転換にひげを剃った。

換気をよくしてリラックスした。

しかし、どれも焼け石に水ですぐに嘔吐と頭痛が襲う。

生来、高山に弱い体質だ。富士山に毎年登るものの、毎回高山病になる。

こんなに苦しいなんて。

こんなに辛いなんて。
人生修行の旅といえ、身体があってこそ。

残りの日数を考え、ありとあらゆるシュミレーションを行う。

しかし、それも身体が大丈夫であってこそ。

今日1日、口に入れたものは全て吐しゃ物になり、身体にはエネルギーは残っていない。

もうやめよう。

もうやめよう。

もうやめよう。

明日下山しよう。

細胞くん達、無理をさせてごめんなさい。

4250m。エベレストの約半分くらい。

ここが私の限界でした。

悔しい。

情けない。
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エベレストBC6泊7日の旅 ④4000m付近に住む女性僧侶

2014年06月20日 | 
 2014年5月6日

朝6時目が覚めると激しい頭痛、吐き気、体調不良がなくなっていた。
にんにくスープが良かったのか、祈りが通じたのか、何がいいか分からないがとにかく前に、上に、進める身体になった。ありがとう。

トーストにジャムを塗りたくり、水と一緒に身体に入れる。

10分程で身支度を整えて、次へ出発。今日からは、一気に高度があがる。
3450m→4000mへ。

計8時間の移動だ。

引き続いて、負けない戦いを心がけよう。

過去の柔道の試合を振り返っても、怪我をして状況が悪いときほど試合には負けることが少なかった。

決して強くはないが、負けない。

逆に絶好調だと、どこかでコロッとやられてしまう。

「負けるはずではなかったのに・・・」

その時にいつも出てくるのは言い訳だ。

一歩一歩エベレスト街道の大地を感じて、股関節で、重心移動で、骨を使って進む。

そうすれば、筋肉の疲労は最小限に抑えられる。

道中、抜かされても気にしない。人は人。










マレーシア人のトレッキンググループと言葉を交わす。

ガイドにスケジュールを聞かれ、話すと説教が、失礼アドバイスが

始まる。
「ここでもか・・・」
私はふいに剣岳~槍ヶ岳を2泊3日で走破した時のことを思い出した。

あの時も同じようにたくさんアドバイスをもらった。

国が変わっても、どこでも同じなんだなと感じながらガイドに笑ってお礼を言った。

エベレスト近郊の山々が見える絶景のポイントで一緒に休憩をした。

なんとそのガイドの親戚の家ということで、レモネードとサンドイッチをご馳走になる。

マレーシア人の医師達とも親しくなり、皆さんランニング愛好者ということで共通の「RUN」で盛り上がった。


日本に来る際は、是非ランニングステーション「earth」に寄って、皇居を走りたい!と言ってくれた。

このような小さなつながりが、いつか何かのきっかけになるのかもしれない。

1時間ごとに水分を取ることを忘れずに、確実に前に進む。

3750mを超えた。富士山頂よりも標高が高い未知の世界。



こんな標高の高いところにお寺があった。

コースからは少し外れるが、そんなに急いでいる訳でもない。

寄りたい場所に勝手に寄る。

これが1人で行動するよさでもある。



静まり返ったお寺に入り、「ナマステ」と声を掛けてみた。

そうすると一人の女性僧侶が出てきて、中を見せてくれた。



不思議なほどに心が落ち着く。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教・・・

こだわりを持たずに、全ての宗教の聖地に行き、自分の魂・心が何を感じるか。

私はたまたま仏教が一番落ち着いたので、「ブッディスト」と言っている。

そんな選び方もありかもしれない。

宗教の持つ一つの側面として、私は心の拠り所でもあると思っている。

人間、生きている以上は楽しいことばかりではない。

辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、たくさん起きてくる。

そんな時に心の平静を少しでも保ち、人生を前向きに導いてくれるものだと私は思う。

たまに宗教を通して、戦争などが起きている場合もあるが、自分の欲望を勝手に宗教の名前を借りて行っている場合もある。

基本的に全ての宗教において、根本の目指すところは同じだと思う。

ちょっとやり方や信じること、ルールが違っても。

自分にとって何がいいのか?

人によっては、宗教でなくても心理学でもいいのかもしれない。

自分の心の平静を保ち、人生を前向きに導いてくれるものならば。

逆に言えば、導く存在がブレてしまったり欲望に敗けてしまうと大変なことになる。

今回の旅で世界史についてちょっと学んだけど、

指導者の考え方、方向性の責任から多くの人々が被害を被ってきた。

リーダーになる人

人の上に立つ人

は過去の過ちを繰り返さないためにも、歴史から学び自分の欲望や不適切な自尊心にも負けずに、人々を平和な方向へ導いていく義務があると

私は考える。

エルサレム、エベレストと「エ」つながりで来たけど、

夜はたっぷり時間があるので、色々と考えそして日記に書いている。

たまにはこうして、真面目に考えるのもいいかもしない。

いつもふざけているから(笑)

話はだいぶ反れたけど、

お寺にいると落ち着く。




英語も通じないので、言葉が交わせない。

そんな時は、テレパシーを試みる。
喉が渇いたので、お茶を飲みたいと念じてみると、
チベット仏教特有のバター茶を出してくれた。



さすが、僧侶たち人の心が分かる。

「トゥーチェーチェ」
チベット語でお礼を伝えると嬉しそうに笑ってくれて、手を振って見送ってくれた。


崖からヤクが落ちそうになるのを、ヤク飼いの人が必死に止めるのを見たり、
標高4000mの冷たい川に裸足で入り、1時間以上洗濯するシェルパ族女性を見たり、
80kg以上の物資を1人で背負って運ぶ私よりも小柄なポーターがいたりと
驚かされることばかりだ。

いつの間にか8時間の行程を終えて、パクチェンに到着。

昨日の反省を活かし、モモに焼きそばと1リットルくらいのミルクティーを頼んだ。

食欲もあり、水分もしっかり摂取している。
4000mでも徐々に身体が慣れつつある。


夕食後、ちょっとふとんに入ったら、いつの間にか3時間経過して、夜9時になっていた。
山ではちょっと寝ただけで、時間が過ぎている。

部屋の中の豆電球を頼りに、この日記を書いている。

明日は高度を一気に1000mほど上げて、5000m付近へ!!

細胞君たちよろしくお願いします!
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エベレストBC6泊7日の旅 ③山からのギフト

2014年06月20日 | 
 2014年5月5日
いつの間にかたくさん寝ていた。

体調は絶好調!力が内側から漲ってくる。
この後、ひどいことになるとは思いもしなかった・・・

量が少なめの朝食を終えて、次なる目的地ナムチェへ。





負けないトレッキングのため、スロースローとゆっくり行こう。

リュックに入れた水は500ml。

地図で見ると3時間のルートを、2時間30分でナムチェ到着。



身体もすこぶる調子がいい。すぐにホテルにチェックインして、荷物を置いて近くの博物館などへ見学。

この選択が重大なミスとなった。

ガイドもポーターもつけていなくて、全て1人で考え、行動する。

昼休憩を取らず、水分も取らずに、4hほど3500m付近を歩き続けてしまった。

その結果、徐々に頭が痛くなり、あくびを連発して、嘔吐した。

完全に高山病になってしまった。私は自分の行動を恥じた。

日本では、2500m-3000m付近を1日13時間走ったのに、摂取したカロリーは1000kcalで済んだ経験を持つ。集中力が最大限に高まっていた

状態で、極度にエネルギーの使用を抑えて動いていた。

高山病にならないエリアでは、それが可能という自信があった。しかし、ここは3000m超の地点。何が起きても不思議ではない。

絶好調の身体に舞い上がり、いつの間にか脱水、エネルギーの不足、気温変化への対応のまずさ、私の虚弱体質・・・

全てが重なり、高山病が進行してしまった。

とにかく水を飲んだが、すぐに吐いてしまう。

吐くということは、初期症状を通過している。

現に5年前は、チベットのラサで鋭い頭痛と嘔吐と下痢になり、

意識が朦朧として、ホテルまで残り100mにも関わらず、タクシーに乗り戻った経験がある。

以前の苦い思い出がフラッシュバックする。

私の挑戦もここまでが・・・。

この5年は一体なんだったんだろう。

ぎりぎりの日程、焦って上に行けばひどいことになるよく分かっている。

あー、取り返しのつかない失敗をしたと反省。


ベッドに横たわりながら、激しい頭痛の中で、

「今、できることは?」

と自分に質問する。

エネルギーがなく、水分もないのであれば、まずは身体に何か入れてあげよう。

まだ、夕食の時間ではない薄暗い食堂でガーリックスープとモモを頼んで、胃に無理やり詰め込んだ。

すぐにもどしそうになるのを必死に抑えて。

部屋に戻り、毛布を2枚にして自分の細胞が回復してくれるのを信じて眠った。

3時間後、だいぶ頭の痛みが減っている。

そして、また身体にエネルギーを入れた方がいいというのを身体から感じる。

今度は、皆の夕食が終わった食堂で一人カレーを頼み、エネルギーを補給する。

甘めのミルクティーもたっぷり身体に流し込む。

このエベレストで、予算を気にしてもしょうがない。

ここまできたら、瞬時に考えて、最善の選択を繰り返すのみ。

きっとここでやるだけやってできなかったならばともかく、

やることやってなくて、できなかったならば悔いが残る。

2日目にして、早々に高山病にしてくれたのは山の神様からのプレゼントだろう。私の目が覚めた。

「やらずに悔やむより、やって悔やめ!」

明日、細胞君たちが元気になってくれるのを祈ろう!!

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エベレストBC6泊7日の旅 ②不思議な術を使う人

2014年06月20日 | 
 2014年5月4日

私とエベレストの関係は、7年前に遡る。
2007年最初は見ることもできなかった。

富士登山を毎年登る方の中には、自分の体力を推し量る目的という方がいる。

私もそれと似たようで、エベレストに近づこうとすることで「何か」分からないけれど、「何か」が進んでいるのか、いないのか。

10人乗りの轟音のセスナ機と共にカトマンズを出発して、ルクラに向かう。






エージェンシーから指定されたロッジに帰りの飛行機チケットを預けて、私のエベレストBCトレッキングが始まった。

スタートとともに後悔が襲う。
こんなことして、何になるんだ。
こんなに休んじゃって大丈夫か?
たまにネガティブな思考が顔を出す。そんな時は、思いっきりネガティブ思考にする。
マイナス×マイナスがプラスになるように。

人生いつどうなるか分からないし、
やりたい時に、
できる時に、
やっておかないと最後に悔いが残りそうだ。

旅をしてきて思うのは、
一人一人がどんな生き方をしても自由であるということ。
そして、その生まれながらにして、選択肢を選ぶということが出来る人は限られている。

今回、自分が運良く、この身体で、日本という国に生まれてきたことがつくづくラッキーだと思う。

不安な感情も1時間も過ぎると別の感覚へ。
初めてなのに、初めてではない。
懐かしく、何度もこの道を通っていた不思議な感覚。






もしかしたら、ずっ~~~~と以前に以前にこの辺りに住んで、修行をしていたのかもしれないと。そして、その感覚がもしかしたら残っているのかも(笑)



歩くとシェルパ族の人々に出会うがなかなか受け入れてもらえない。

そういうキャラクターなのか?
自分が開いていないだけなのか?
後者と信じて、道行く人々に「ナマステ」と声を掛けた。

考えを変え、行動を変えると人々の対応も変わってくる。

ビブラムシューズを履いていたため、
「何でそんな靴を履いているんだ?」
「快適か?」
「俺のと交換してくれ」
とコミュニケーションが増えてくる。


通り沿いには重たい荷物を運ぶポーターと呼ばれる人々がたくさんいて、
ヤクなどの動物たちの糞が至る所に落ちている。




そんなヤクの糞は、火の燃料や土まかれて肥料になるなどフル活用されているのを夜にシェルパ族から教えてもらった。全てが循環する仕組みが作られている。

休憩をしているシェルパ族の方がいた。
何キロくらいあるのか2分かかって聞いた。



約30kgとのこと。試しに担がせてもらった。
50メートルほどでバトンタッチ。



うーん、もっと重たいと思う(笑)

私よりも小柄な男性が、これを軽々と背負いサンダルで坂道をひょいひょい登っていく。
後ろからその足運びにの美しさに見入ってしまう。



すごいシェルパ族!!

残り4時間かけて「ナムチェ」という町まで行くらしい。

言葉は全然通じないが、身振り手振りとノリで一緒に歩く。

途中、民家の中で休憩する。私も一緒に休ませてもらった。

初老の男性が一人やってきて、なにやら深刻な顔をしている。

「どうしたんだね」

「腕が痛く、調子悪いんだ」

「分かった。診よう」
多分、こんな会話。そして、ネパールドクター(シャーマン)になった。

その界隈では、彼はポーター兼ネパールドクター(シャーマン)として、周囲の人々から信頼と尊敬を集めている人だった。道行くガイドやシェルパが彼と握手していたのが、何となく謎が解けた。

そして、腕を触り、悪い気を吸い取り、気の流れを良くしていった。
初老の男性はすっきりした表情で、お金を払い出て行った。





彼は私の手を握って、
「ミー、ユー、パワー」
と微笑んでくれた。

いささか疲れたのか、お酒を頼まれた。出来てきたのは、「チャン」と呼ばれる発酵させた家庭独自の酒である。



「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「高地で飲んだら、頭痛くなっちゃいますか!!」

「君も飲むかい?」
「じゃあ、ちょっとだけ・・・」

と言って、なみなみ注いでくれて乾杯。

「もう一杯は?」
「さすがにそれは・・・」

「もう一杯は?」
「さすがにそれは・・・じゃあ、ちょっとだけ」

と、またなみなみ注がれる。うまい!!

ネパールドクターは酔いが回り、今日はここに泊まっていくという。



その適当さ素晴らしい!!が私はもうちょい先に進むため、前に進んだ。

ミルクティー2杯とお酒2杯のお金を聞いたら50ルピーでいいと言う。
通常、山では安くてミルクティー1杯60ルピー、お酒は一杯300ルピー。少なくとも500ルピーは取られると思っていた。

ということで、気持ちよく100ルピーを渡して家を後にした。

酔いがまわっているのか?
身体が熱い。
次の目的地まで遠いのか?近いのか?地図がないので分からず、どこかに売っていないか探した。そして、お店が見つからないまま本日の宿にチェックイン。

一泊200ルピー、格安だがこの地方特有のルールがあり、泊まる宿でご飯は食べること。そして、その料金は別となる。

ちょうど軒先でニュージーランド人とガイドが休んでいた。
会話の流れから、もうトレッキングを終えるということで地図を貰ってしまった。
ただでは悪いので、私は日本の伝統的扇子をお返しに渡して、物々交換が成立した。

午後3時にちょつと一眠り。
時計を見たら18時30分。疲れがたまっていたのかもしれない。というか、酔っていた(笑)

自家栽培の美味しい野菜の料理を頂きながら、1日の仕事を終えたシェルパ族のガイド達と会話する。

会話をまとめると、
○半年働き(3月から5月、9月から11月)、半年ホリデー。
○趣味は、クライミング、登山
○着ている人の服でその人の国がわかる。
○エベレストの雪が年々黒くなっている。
○トレッカーとガイドは、時々は一緒にご飯を食べるが、食べるものが違うときは別々。
○ごみをきちんと戻せば、お金になる仕組み。
○やくの糞は、役に立っている。

など貴重なお話を聴かせていただいた。
私のスケジュール工程を見せると、
「ベリーハード、ベリーディフィカルト、メイビーインポッシブル」と言われてしまった。。。

この先どんな困難が待ち受けているのか?

そして、ガイドも部屋に戻っていった。

静まりかえったロッジ、昼寝しすぎて寝れない私・・・

日記がすすむ^^
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エベレストBC6泊7日の旅 ①大臣と・・・

2014年06月20日 | 
 2014年 5月3日

イスラエルからタイ、そしてネパールへ。

タイでは、イスラエル旅の最中に、大学時代の友人がタイにいたのを思い出し、

連絡を急遽取り、泊まらせてもらった。

10年ぶりに話したにも関わらず、同じ年の友人は異国の地で元気に過ごしており、
パワーを補給。ずうずうしくも洗濯も全部させてもらう。

やはり洗濯機では、綺麗さも匂いもまるで違う(笑)


いざネパールへ。

今回で5度目のネパール。

異国という感じがせずに、ある意味第2の故郷になっている気がする(笑)

ネパールの心友ダルマ先生がいつものごとく空港に迎えに来てくれている。


歓迎もそこそこに、ダルマ先生が予約してくれていたゲストハウスにチャックインする。

本来ならば一緒に食事でもとなるところであったが、
すぐにヒマラヤガイドのエージェンシーに連れて行ってくれた。


事前に私のことを説明してくれていて、トレッキングの許可証から航空券まで全て滞りなく完璧に用意してくれていたのだ。
この会社で一枚のシェルパ族ガイドの写真を見せてもらった。


昨年からエベレストBCに私が行きたいとダルマ先生に相談した時に、彼は柔道の教え子の親であるこの方に相談してくれていた。

エベレスト9回登頂のスーパーマンだ。

そんな方も今年4月18日に起きたエベレストの雪崩で命を落としてしまった。

人の命は儚い。

本当ならば、会ってお礼をしたかったけど。

何が出来るわけではないけれど、ご冥福をお祈り申し上げます。

優秀なガイドを多数輩出するこのエージェンシーはネパールでも屈指の会社。

そんな会社のマネージャーから、今回の私の日程はかなり厳しいことを指摘された。

そして、身体に異変を感じたらすぐに下山をするかその場で様子を見るように伝えられた。

エージェンシーを出ると次に試合会場に連れて行かれた。

ミニストリーさんと会うアポがあるらしい。

テコンドーの国際大会が近くで開かれていた。

開会式終了後にダルマ先生は群衆をかき分け、偉そうな方と会話している。

そして、厳重な警備をされている車にダルマ先生と共に私もなぜか乗り込んだ。

話をまとめると、ミニストリーとは人の名前ではなく、

スポーツ省の大臣であった。

って、いつの間にかダルマ先生は大臣とも接するようになり、相互に意見を交わす立場になっていたのだ。

びっくり仰天!!


月日の流れと共に人がステップアップしていく様を目の当たりにしている。

明日は4時30分起床。寝坊しないように起きなければ!!
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