秋本番となり、めっきり気温差がはげしくなってきています。
あれほど、いろいろなことを書こうと思って始めた日記も、いざ始めてみるとなかなか、何を書こうか迷ってしまうものです。
それで、何にしようか、マイクロソフトのOneDrriveのファイルを見て画像から今日はこれを書きます。
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2018年の秋、夜中3時過ぎに、突然地震がありました。
震度5ぐらいでしたが、幸い自分の住家は鉄筋コンクリートの小さいアパートなので、それほど家具に影響はありませんでしたが、
水も止まり、当然電気も止まり、朝方近所のコンビニに飲み水を買いに行くとたくさんの行列ができていました。
まあ、昼過ぎには電気も復旧して、水も出るさ。と思っていましたが、自分が思ったよりも被害が大きく、結局一晩停電の生活をしました。
当然暗くなると、明かりがほしいです。あるものは・・、自転車の小さなLEDライトと・・数本のローソク、やばい。ちゃんと防災グッズを用意しとけばよかった。「確か懐中電灯あったよな?」と思って、玄関の靴箱の中を探すと、一つでてきました。でもそれは,その前何十年も使った記憶はなく、中を開けると電池もさびてました。これでは、もう100%の確率で点灯しないだろうう。と思いながらも、ダメ元で単一電池3個は買い置きがあったので入れてみると、キチンとつき一夜を明かすことができました。(軽く今日は書いてますが、けっこう悲惨でしたが)
実はこの懐中電灯はかなり昔w、自分が20代の時wに、友達とキャンプに行くときに、実家の玄関に置いてたものを、勝手に拝借して、そのまま数十年、車を代えるたびにも積み替えて、数度の引っ越しもあったが、現在に至るまで、そのままずーっと持ってきてました。
7年前に父が他界しましたが、いわゆる形見?といえるものは、これと、古いペンチやドライバーを入れるバッグと、なぜか、方位磁石w 自分はそういうものにこだわらないし、いらないと思っていましたが、めずらしく、数日後に自分がわざわざこの写真を撮っていたということは、今でもですが、「ありがたい」と思っています。「助けられた」というべきか?..
明るいうちに最低限の部屋で倒れそうなものを整理して、そして、これを使って停電の一晩、父のことも思い出しながら、たびたび来る余震の恐怖にじっと耐えながら、部屋の隅でゴロ寝した記憶があります。結局眠れませんでしたが・。電気が来たのは夜が明けてその日の夕方でした。
いろいろ思い出した中で、幼い頃、父が近所の水道かなんかのトラブルで駆り出されてたんだと思いますが、その時、懐中電灯がなくて、用を足せなかったのか恥をかいたのかわかりませんが、必要な時に持ちだせなくて(子供達が懐中電灯遊びをしてちゃんと所定の位置にかたずけないで見つからなかったからだったと思う。緊急だった記憶がある。) 兄弟順番に3人並べられて、「連帯責任だ!」とか言われてw、ビンタをされたことを思い出した。きっとそうとういらだっていたのだろう・・・。いろいろあったみたいだからな当時は・・。
兄や姉がビンタされて、末っ子の自分にまで来た時には、「まさか?」と思い、それから父へのトラウマというのは、大げさだが、「こりゃ、怒らせたら怖い人だわ」とそれまでの対応から一歩も二歩も引き、絶対的な権力と強さを植え付けられたような気がする。
・・・・それから3年、先日、自分のところに、父の使っていた自動巻きの腕時計が届いた。(その頃していた古いものかもしれない)
懐かしいと同時に、どう自分の気持ちをあらわしていいのか?わからない感情があります。
送ってくださった人にも感謝していますが、
・・・今さら
「どうしろって言うんだ?」って気持ちもありました。
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自分はこの日記、即興で書いてるので、投稿した後、「あれ?ちょっと表現ちがったかな?」と思って、後から、何度も修正したりしてることがあります。・・・うわ!日付が変わる前になんとか今日の日記間に合いましたw。