廃船後30年関連記事 2018-03-19 16:39:06 | 青函連絡船1988年 喜怒哀楽をかみしめながら、常に安全運航に徹した男たちに拍手。 喜:乗船を楽しむ旅行者の姿。 怒:行く手をはばむ悪天候。 哀:いっしょに働いたスタッフとの別れ。 楽:美しい自然環境で多くの仲間と仕事できる幸せ。 と素人は考えてしまいます。
残念なニュース 2011-11-09 21:11:20 | 青函連絡船1988年 仕方ないのかなあ。八甲田丸、摩周丸は残ることを祈りつつ。 「羊蹄丸」解体へ 愛媛へ無償譲渡 : 北海道発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大雪丸(2) 2008-07-24 17:16:22 | 青函連絡船1988年 2ヶ月前に沖に浮かんでいた大雪丸です。画像を比べるとサビが増えた感じです。しばらくすると、旅立って行ったというニュースを聞きました。96年長崎へ、05年中国へ。ともにホテルとして使われています。1回目のアップは4月7日です。
遠ざかる北の大地 2008-07-22 23:34:13 | 青函連絡船1988年 暑い季節に冬の画像をアップするのも??ですが、今のところこれしかネタがありません。この日も快晴で駒ケ岳が徐々に小さくなりました。
接続列車 2008-07-19 09:45:35 | 青函連絡船1988年 熟睡した後函館に着きました。この案内板もあとわずかでした。少し前の時代には「おおとり」「ニセコ」の名もありました。数時間後には青森に向けて出航です。
青森到着 2008-07-18 05:53:24 | 青函連絡船1988年 青森に着きました。船の時刻は調べられるわけですが、船名は現地にたどり着かないとわかりませんでした。この時代にネットがあったなら…と考えてしまいます。
最後の乗船 2008-07-17 05:28:35 | 青函連絡船1988年 連絡船に戻ります。最後は摩周丸でした。早朝に函館に着きました。日の出後対岸から撮りました。わずか1.5日の北海道旅行でした。もちろん、往復JR。
船尾 2008-07-03 21:11:01 | 青函連絡船1988年 この日は自動車なしの日でした。本当に広々としています。修学旅行の高校生がキャンプファイアーごときの踊りを楽しんでいたこともありました。 風が強くなければゆったりと時間が流れる、海峡線の列車内で味わうことは不可能でしょう。