明日の風

明日は明日の風が吹く。気楽にいきましょう!

統治プロセスと違憲審査制

2016-10-22 12:17:44 | 法・裁判

何か非常に困ったことや不満があるとき-たとえば安保法制はおかしいとか企業がもっと自由に営業したいとか同姓婚を認めて欲しいとか-に、政治に訴えるか裁判所に訴えるか、皆さんならどうしますか? あるいはどうするのが王道だと思いますか?
伝統的な憲法学の理解では、統治プロセスが主で、違憲審査制が従と考えられています。わが国ではほとんど問題になったことがありませんが、裁判所が政治に介入して国民の意思に反する判決を下すことは民主主義に反するというわけです。
つまり原則として、裁判所は統治プロセスに口出しすべきでないということになります。しかし伝統的理解においても、この原則には2つの例外があるとされています。
ひとつは統治プロセスに歪みがあって、このプロセスによる解決が困難な場合です。たとえば選挙の際の一票の重みに著しい格差があって、国民の意思が適切に国政に反映されないようなときです。この点で、日本は遅れていたと言って間違いないでしょう。どうして一票の重みに2倍も3倍も格差があっても直されないのか? 昨今、裁判所がこの問題に厳しい態度を示すようになったことは好ましいことです(まだまだ優しすぎますが(笑)、参議院選挙の格差3倍ちょっとにも違憲状態判決が出ていることは隔世の感があります)。
また、不満を言ったり抗議しようにも、それが検閲でできなかったり言えば投獄されたり、表現の自由が制約されている場合です。私たち憲法学者が表現の自由はとても大事な人権だと強調すると違和感を持たれることも多いですが、ここにその根拠のひとつがあることになります。
こういう場合には、その是正に裁判所は積極的に介入しなければなりません。頼るべきプロセスが歪んだり閉ざされているわけですから。
もうひとつは、孤立した少数者といっていくら声を上げても統治プロセスで反映されにくい人々については、裁判所はその権利・利益を積極的に擁護すべきとされていますが、長くなりましたので、また次回に。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 足和田山と富士眺望の湯ゆらり | トップ | 孤立した少数者の保護 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

法・裁判」カテゴリの最新記事