子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「リトル・ジョー」:変わっていく人間を寿ぐ雅楽の響き

2020年09月12日 21時38分22秒 | 映画(新作レヴュー)
植物に話しかけたり,音楽を聴かせたりすることで,その生育が促進される。これまでまことしやかに語られてきた理論が強い推進力となって,ジェシカ・ハウスナーの新作「リトル・ジョー」は,観客席に大量の花粉をまき散らす。人間に幸福な感情をもたらすオキシトシンの分泌を促すとされる「リトル・ジョー」の力は,スクリーン越しでもなんら威力を減じることなく,こちらにも伝わってくる。ただしその効能は,単純な「幸福感」などではなく,「何が起こっているのか分からない」「どこに連れて行かれるのか分からない」ことから発する不安感だ。この宙ぶらり感がもたらす緊張感は,実にクセになる。

植物の研究所に勤めるアリス(エミリー・ビーチャム)は,人間に幸福感をもたらす新しい植物種「リトル・ジョー」を開発し,その苗をこっそりと家に持ち帰る。アリスの息子ジョーは「リトル・ジョー」を育てるうちに,アリスに反発するようになる。「リトル・ジョー」の影響は徐々に研究所でも発現し始め,同僚のクリス(ベン・ウィショー)や研究仲間の飼い犬が,おかしな行動を取り始める。やがてアリスが気付いたのは,その原因が「リトル・ジョー」が種を残さない,一代限りに限定された遺伝子操作ではないかということだった。

美しい映像と抑制された音楽と演技者のパフォーマンスによって創り出される世界は,ハウスナーの旧作「ルルドの泉で」を想起させる,緊張感に満ちた静謐な空間だ。中でも本作で群を抜いてユニークなのは,既に故人となった音楽家伊藤貞治の手による琴や鼓,尺八などを駆使して作り出した雅な音楽だ。まるで,生命を繋ぐために花粉をまき散らすような動きを見せるリトル・ジョー自身が,言葉の代わりに想いを人間に伝える手段として選択したかのように,様式美に満ちた響きを聞かせるその音群は,江戸時代の怪談に出てくる幽霊の怨念のようにも聞こえてくる。ヨーロッパ映画が,武満徹経由で辿り着いた新たな地平が,漂白された湿度の高い研究室の中に熱く静かに拡がっている。

社会批評を含んだスリラーでありながら,一種の音楽映画のようにも観ることが出来るこの作品が切り拓いたジャンルは,殊の外奥が深い。ジェンダーで区切る野暮を承知で言うならば,ハウスナーはビグローともガーウィグとも異なる,まさに女性監督の「新種」だと強く推薦したい。
★★★★
(★★★★★が最高)


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