子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「127時間」:覚醒する男を描いてきたダニー・ボイルの真骨頂

2011年06月23日 22時32分09秒 | 映画(新作レヴュー)
右腕を岩に挟まれて身動きが取れなくなった男の5日と7時間を,90分間のドラマにする。一見,ロベール・ブレッソンの「抵抗」を思い起こさせるような試みだが,これまでダニー・ボイルが培ってきた練達の作劇術によって,ほとんど動か(け)ない被写体が,真の生命力を得てリズミカルに躍動するまでのドラマは想像以上にドラマティックだった。

冒頭,スプリット・スクリーンに映し出される群衆の映像。続いて描写される,主人公アーロン(ジェームズ・フランコ)が旅に出るまでの行動。このなにげない導入部が,クライマックスが近づいて行くにつれて,次第に重みを増していく。
特に,突然の嵐によって大量の雨水が大地の裂け目に流れ込んでくるという幻想が,主人公が出発前に水道の蛇口の下に置いた水筒から溢れる水の映像を想起させる辺りの力技は,「スラムドッグ$ミリオネア」でオスカーに輝いた監督の貫禄を感じさせるものだ。

いくつか出てくる小道具の中では,過去と現在と未来を繋ぐ装置として,ヴィデオ・カメラが見事に機能している。
自分が脱出できずに息絶えた場合に備え,両親に宛てた遺書代わりに最後の言葉をカメラに記録することが,期せずして自分の辿ってきた道を振り返り,やがて真の希望を獲得することにつながっていくという展開には,実話がベースであることを忘れさせるような説得力がある。
また,アーロンがガイドをした女性の水着姿を記録したヴィデオ・カメラのモニターを見つめるくだりでは,同じイギリス人の先輩監督であるアラン・パーカーの「ミッドナイト・エクスプレス」に対する敬意を密やかににじませているのも嬉しかった。

「スパイダー・マン」の悪役というイメージがつきまとっていたジェームズ・フランコは,全編ほぼ出ずっぱり,しかもその大部分が顔のアップという悪条件を撥ね除け,乾いたユーモアとヴァイタリティと生命力を振りまいて見事だ。抜擢されたアカデミー賞の司会では,何も喋れなくなるという失態を犯した(私は未見)らしいのだが,本業ではサム・ライミが撮る「オズの魔法使い」の前章への出演が決まったらしい。映画の中のアーロン同様,貴重な経験を活かして飛躍することは,間違いないだろう。

女の子二人組から「フィッシュを歌っているようじゃ,女の子にはもてないわね」と喝破されてしまうアーロンが,遂に岩穴から抜け出し,大声で助けを求める感動のクライマックスに高らかに流れるのは,シガー・ロスの「FESTIVAL」。仮にあの女の子たちがこの映画を観たとしたら,この選曲のセンスは評価してくれるのではないだろうか。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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1 コメント

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Unknown (けん)
2011-06-24 01:38:45
TBさせていただきました。
またよろしくです♪
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