「下妻物語」でオーソドックスなバディ・ムービーを新鮮な語り口で提示してMTVデフォルトの世代を熱狂させ,「告白」で超弩級のブレイクを果たした中島哲也監督。そのまま順調に日本映画界の屋台骨を背負う存在になっていくものと思っていたら,インターバル4年の後に発表した「渇き。」で,まさかの転倒をしてしまうものの,これもまたひとつのサプライズと諦めて次作を待っていたファンも多いのではないか。私もそんなファンの一人だったのだが,新作「来る」はそんな期待に,存分に応えてくれる秀作だ。
「渇き。」で執拗に描かれた,ひとりの人間が抱えられるダークサイドの深さはどれくらいか,とか,闇に落ちた娘に対する父親の愛情は娘を救い出すことが出来るのか,といった人間洞察関連フィールドのやり取りは,ここではほとんど無視される。実際,妻夫木聡演じる主人公のイクメン田原の屑っぷりはなかなかのものだし,田原が胴体を真っ二つにされて死んだ後の田原の妻(黒木華)の育児放棄の描写にも力が籠もってはいる。だから二人とその娘をめがけて,何者かが「来る」のだ,という因果応報,人間の業にフォーカスした物語に収斂させることもできなくはない。けれどもこの映画の核は,どこかからちゃんと電話をかけて,襲撃を予告しつつやって「来る」何かを迎え撃つ,か弱い人間たちが必死に闘う姿を描くことにある。
得体の知れないフリーライターと霊能者のカップルを演じる岡田准一と小松菜奈は,どちらも目を凝らしてみないと瞬時に彼らと識別することが難しい程,役のフレームに自らを変態させている。迎撃チームのリーダー松たか子は,これまでにも何度か見せてきた「お嬢さんがキレたら怖い」キャラクターの集大成的な役で,画面に途方もないエネルギーを注いでくれている。
全国から霊能者が,「何者か」との対決のために集まって来る途中で事前に襲撃を受けたり,その気配から新幹線を途中下車したりするプロットなどは,ゴジラ映画の自衛隊参集場面にかかる伊福部昭のテーマ曲が欲しいくらい,ワクワクさせてくれる。そう,これはホラー映画と言うよりは,長い東宝特撮映画の伝統を守る,怪獣の姿は出てこない「怪獣映画」以外の何物でもないのだ。
東宝の伝統を守るという観点から言えば,柴田理恵演じる落ちぶれた霊能者が死を覚悟で「何者か」に向かって目を剥くショットは,黒澤作品のクライマックスにおいて何度か見せた志村喬の形相に瓜二つ。勢い余って「きくちよー!」と叫んでいたら,「何者か」に勝てていたかもしれないくらいに。これで次作がまた楽しみになった。
★★★☆
(★★★★★が最高)
「渇き。」で執拗に描かれた,ひとりの人間が抱えられるダークサイドの深さはどれくらいか,とか,闇に落ちた娘に対する父親の愛情は娘を救い出すことが出来るのか,といった人間洞察関連フィールドのやり取りは,ここではほとんど無視される。実際,妻夫木聡演じる主人公のイクメン田原の屑っぷりはなかなかのものだし,田原が胴体を真っ二つにされて死んだ後の田原の妻(黒木華)の育児放棄の描写にも力が籠もってはいる。だから二人とその娘をめがけて,何者かが「来る」のだ,という因果応報,人間の業にフォーカスした物語に収斂させることもできなくはない。けれどもこの映画の核は,どこかからちゃんと電話をかけて,襲撃を予告しつつやって「来る」何かを迎え撃つ,か弱い人間たちが必死に闘う姿を描くことにある。
得体の知れないフリーライターと霊能者のカップルを演じる岡田准一と小松菜奈は,どちらも目を凝らしてみないと瞬時に彼らと識別することが難しい程,役のフレームに自らを変態させている。迎撃チームのリーダー松たか子は,これまでにも何度か見せてきた「お嬢さんがキレたら怖い」キャラクターの集大成的な役で,画面に途方もないエネルギーを注いでくれている。
全国から霊能者が,「何者か」との対決のために集まって来る途中で事前に襲撃を受けたり,その気配から新幹線を途中下車したりするプロットなどは,ゴジラ映画の自衛隊参集場面にかかる伊福部昭のテーマ曲が欲しいくらい,ワクワクさせてくれる。そう,これはホラー映画と言うよりは,長い東宝特撮映画の伝統を守る,怪獣の姿は出てこない「怪獣映画」以外の何物でもないのだ。
東宝の伝統を守るという観点から言えば,柴田理恵演じる落ちぶれた霊能者が死を覚悟で「何者か」に向かって目を剥くショットは,黒澤作品のクライマックスにおいて何度か見せた志村喬の形相に瓜二つ。勢い余って「きくちよー!」と叫んでいたら,「何者か」に勝てていたかもしれないくらいに。これで次作がまた楽しみになった。
★★★☆
(★★★★★が最高)