弱虫の少年が,経験豊かな年長者から戦う術と共に人生の極意を学ぶ。粗筋を聞くと,古くは「ベスト・キッド」最近では「グラン・トリノ」を思い出すが,ノリユキ・パット・モリタやクリント・イーストウッドが演じた旧作の高潔なメンターたちと異なり,新人監督セオドア・メルフィーの「ヴィンセントが教えてくれたこと」でビル・マーレー扮する主人公は「夜の女」と付き合い,酒場や競馬場に子供を連れて行く。おまけに,子供の教えであろうことか万馬券まで取ってしまう。それでも最後にヴィンセントを「聖人」と讃える少年の姿は,日本で必修化されるらしい道徳の授業をいくら積み重ねてもおそらく到達するのは難しいであろう,究極の教育の成果に見える。
ヴィンセント役は,これまでマーレーが数多く演じてきた脱力ヒーロー役の中でも,ひときわ光り輝くキャラクターだ。「夜の女」でもある妊婦ダンサー(ナオミ・ワッツ)を呼んで「仕事」をさせる様はまるでヴォランティアだし,彼のことが認識出来なくなってしまった妻の洗濯物を抱えて歩く姿は,贖罪のため神に仕える身となった修行僧のようだ。もともと役と自身のキャラクターの境界が曖昧なことが多いマーレーだが,これ以上ないくらい肩の力が抜けたヴィンセントの姿はもはやマーレーのドキュメンタリー,と言っても過言ではないくらいだ。
自堕落のように見えて,従軍経験を経て独自の哲学をまとうようになったヴィンセントのそういった行動を見て,生きていくことの辛さと重みと同時に,自由に生きる喜びを肌で感じ取って成長していく少年(ジェイデン・リーベラー)の瞳には,徐々にそれまでの達観と等量の希望が宿っていく。
そんなヴィンセントは,社会の末端で居場所を確保するため懸命に水面下で足を掻いている人間達を引き寄せる。少年の母親を演じるメリッサ・マッカーシーは「ブライズメイズ」の時よりも容積・貫禄ともに増しているし,大女優のプライドなどお構いなく,妊婦売春婦役を嬉々として演じるナオミ・ワッツは実に清々しい。そんな世間からはじかれた人間たちが囲む食卓の風景は,なかなかに感動的だ。
エンド・クレジットで,ホースから出る水と戯れながらマーレーが口ずさむボブ・ディランの「Shelter From The Storm」が絶品。ディランはアメリカでこんな風に愛されているのか,と感じ入りながら,日本のどこかに,こんな風に「風をあつめて」を楽しそうに鼻歌で歌うじいさんがいるのだろうかと考えながら家に帰る。
★★★★
(★★★★★が最高)
ヴィンセント役は,これまでマーレーが数多く演じてきた脱力ヒーロー役の中でも,ひときわ光り輝くキャラクターだ。「夜の女」でもある妊婦ダンサー(ナオミ・ワッツ)を呼んで「仕事」をさせる様はまるでヴォランティアだし,彼のことが認識出来なくなってしまった妻の洗濯物を抱えて歩く姿は,贖罪のため神に仕える身となった修行僧のようだ。もともと役と自身のキャラクターの境界が曖昧なことが多いマーレーだが,これ以上ないくらい肩の力が抜けたヴィンセントの姿はもはやマーレーのドキュメンタリー,と言っても過言ではないくらいだ。
自堕落のように見えて,従軍経験を経て独自の哲学をまとうようになったヴィンセントのそういった行動を見て,生きていくことの辛さと重みと同時に,自由に生きる喜びを肌で感じ取って成長していく少年(ジェイデン・リーベラー)の瞳には,徐々にそれまでの達観と等量の希望が宿っていく。
そんなヴィンセントは,社会の末端で居場所を確保するため懸命に水面下で足を掻いている人間達を引き寄せる。少年の母親を演じるメリッサ・マッカーシーは「ブライズメイズ」の時よりも容積・貫禄ともに増しているし,大女優のプライドなどお構いなく,妊婦売春婦役を嬉々として演じるナオミ・ワッツは実に清々しい。そんな世間からはじかれた人間たちが囲む食卓の風景は,なかなかに感動的だ。
エンド・クレジットで,ホースから出る水と戯れながらマーレーが口ずさむボブ・ディランの「Shelter From The Storm」が絶品。ディランはアメリカでこんな風に愛されているのか,と感じ入りながら,日本のどこかに,こんな風に「風をあつめて」を楽しそうに鼻歌で歌うじいさんがいるのだろうかと考えながら家に帰る。
★★★★
(★★★★★が最高)