アンダンテ ~私の歩幅で~

季節のこと、音楽のこと、誕生日シリーズなど

ぴあのピア ♪ ブラームス

2007年07月23日 | ピアノ全般
毎週月曜日から金曜日の毎日放送されるテレビ番組
ぴあのピア。

7月9日から20日までの2週間は、ブラームスでした。

ヨハネス・ブラームス(1833~1897)。

7歳でピアノを習い始めたブラームス。
10歳の時、ハンブルクを代表する音楽家
エドワルト・マルクセン と出会い、
ピアノと作曲の教えを受けることになります。

マルクセンは、ブラームスの才能を認めて、
無償で音楽を教えたのだそうです。
(凄いことですね!)

ブラームスが15歳の時、初めて演奏会を開きました。

20歳で、シューマン夫妻 と運命の出会い、
ブラームスの音楽が大きく認められます。
初めて出版した楽譜「ピアノ・ソナタ第1番」が高い評価を受け、
大ピアニスト・大作曲家への道が開かれます。

イギリスはヴィクトリア女王のお抱えヴァイオリニストとしても
有名な エドワルド・レメーニ が、彼の演奏旅行のピアノ伴奏者に、
20歳のブラームスを抜擢します。
(これも、かなり大きな出会いでしょう。)

レメーニの演奏旅行で、北ドイツ各地をわたり、
大成功を収めました.

また、この旅行を通じて、あの フランツ・リスト や、
19世紀を代表するヴァイオリニストの ヨアヒム をはじめ、
多くの音楽家と出会いました。

(ブラームスは、20歳くらいまでに、
 貴重な人々との大きな出会いがたくさんあったように思います。)

29歳のブラームスは、ウィーンに拠点を移します。

「アイデアが浮かんだら、散歩しなさい。
 完璧だと思ったものが、まだ未熟だと気づくはずだ」

「ペンというのは書くためではなく、消すためにあるのだ」

(違う視点から見つめることの大切さが、
 述べられているように思います。)

(モーツァルトの時代には、まだ進化中だったピアノという楽器。
 それが、ある程度落ち着いてから、
 ブラームスは活躍し始めたのですから、
 ブラームスにとって、とてもラッキーだったと思います。)

そしてまた、時代の流れの上で、もうひとつラッキーなこと。
それは、鉄道網。
ブラームスが活発に活動していた、ちょうどその頃。
ヨーロッパの鉄道網も、急速に発達していたため、
鉄道を利用して、各地で演奏会を開くことが可能でした。

ブラームスが30歳の時、
「パガニーニの主題による変奏曲」を書き上げました。
楽譜には「精巧な指のための練習曲」と記されているのだとか。
(私は、まだ、この楽譜を見たことがありません・・オソロシイ。。)

現代のピアニストにとっても最難関のピアノ曲。

クララ・シューマンは、その難易度の高さから、
この曲を「魔女の変奏曲」と呼んだそうです。

この曲は、1867年に初演。
ブラームス自身の演奏によってでした。
(ということは、ピアニストとしてのブラームスの技量も、
 相当なものであったということに他なりません。)

1877年、44歳のブラームス。
夏の避暑地として、イタリア国境近くで、アルプスのふもとの
南オーストリアはペルチャハ(ペルチャッハ)を選びます。
ヴェルター湖畔にある美しい町。

ここでのブラームスの言葉。

「ここには、たくさんの旋律が飛び交っている。
 それを踏みつけないようにしないといけない。」

「ここは最高に素晴らしい。
 湖と森、そして、その向こうには、
 青い山並みと、きらめく純白の雪。」

ペルチャハで過ごした3年間で、
たくさんの作品を書いたブラームス。

晩年、避暑地に選んだのは、イシュル。
ウィーンの西200キロにある、多くの著名人が訪れる保養地。

あのワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世も、
イシュルに別荘を持っており、
ブラームスは、たびたび訪れたのだとか。
(おふたり一緒の写真は、よく知られていますね。)

ブラームス最後のピアノ作品である
「4つの小品」作品119。
生前のクララに贈られた最後の作品でもあります。

ブラームスから・・・
「この作品は不協和音で満ちています。
 憂うつさを物語るように、ゆったりと響かせてください。
 あなたがどう思われるか知りたいのです。」

クララから・・・
「灰色の真珠。
 曇っているが、とても貴重なもの。」

クララは、ブラームスがこの曲に込めた内面性を
とてもよく理解していたのでしょう。

(クララは、ピアノ演奏だけでなく、
 言葉による表現にも長けていたのではないかと、私は思います。)

悲しいことに、クララの葬儀には間に合わなかったブラームス。
それから1年も経たない 1897年4月3日、ブラームス永眠。



私がブラームス作品が大好きな理由のひとつが、
どの1小節を抜き出しても、
そこに書かれている音すべてが、
単音であれ、和音であれ、音の進行も含めて、
とても感動的に響いてくること、です。



7月23日からの ぴあのピア は、
ブラームスとも面識のある リスト です。


<放送時間>

NHK BShi
  ♪ 月曜~金曜 AM7:35~7:45
  (再)月曜~金曜 PM9:50~10:00
  (再)日曜(1週間分まとめて) AM6:00~6:50

NHK BS2
  ♪ 月曜~金曜 PM6:45~6:50 (再)

茜 色

2007年07月23日 | 誕生色
今日は二十四節気のひとつ、大暑 です。
一年で最も暑い酷暑の時期。

今日、九州北部と四国が、梅雨明けしました。

ハッキリしないお天気が続く地域も多いようですね。
ちょっと不完全燃焼の気分かも。。?

暑いんだけど、それでも、気分爽快な夏の青空に、
1日も早く会いたいですね。


■7月23日の誕生色 

   茜色 (あかねいろ)
     厳格、可能性、積極性、穏健派

 基本的には厳格なのでしょうね。
 人柄としては穏健で、視野は広く、可能性を求めて、
 積極的に物事に取り組むのかもしれません。

 茜色。

 茜色で、すぐ連想するのは、空。
 茜色の空。

 昼間の青空が、夕方茜色に染まる…。

 茜。
 実は、日本の山野にも自生している蔓草(つるくさ)なのです。

 その蔓草の根が、貴赤色をしているので、
 「赤根」と呼ばれました。

 これが東洋茜。
 そのほか西洋茜もあり、英語では「マダー」と呼ばれます。

 赤い茜と、青い藍。
 両方とも、人類最古の染料植物なのだとか。

 日本では、古くから、
 赤く色づくことを形容する言葉としても
 「茜」が使われてきたようですね。

 パッとした艶やかな赤ではなく、
 少し落ち着いた、やや暗い赤を表す茜色。

 茜色の空は、その後まもなく訪れる、
 暗い夜の雰囲気をも漂わせているのかもしれません。

■7月23日の誕生花 
花の名前 主な花言葉
ジンジャー あなたを信頼します
ハイビスカス(赤) 新しい恋
バラ
ブーゲンビリア(ピンク) あなたは魅力に満ちている
フウチソウ 未来
ギガンテウム 正しい主張
オミナエシ 親切
ハス 清らかな心
ギボウシ 沈着冷静
フランネルソウ 誠実