生きている大和川の取材で明日香村にいったときのこと
もともと道切りは、ムラの中のけがれが入らないように、また送り出すために作られたものと考えられています。
形態も、地域によって百足や蛇や龍の形をした綱を境界の木に供えつけるところや綱を道に張り渡すものなどがあるようです。
つりさげるものも、人形や魚介類(蛸や海老)を模したものや草履などを吊り下げる地域があります。
大和川明日香村は男性のや女性のシンボルを飾ることから五穀豊穣・村内安全・風雨順時などの願いを込められるようになったからと考えられています。
飛鳥川に二つ残っています。
石舞台古墳から1km東南の稲淵地区には飛鳥川をまたいで、しめ縄が張られて、その中央に長さ1m余り、直径10cm余りの太い藁束に縄を巻いた、棒状のもの、男性のシンボルです。
もう一つは、2km程上流の栢森地区の集落の入り口に、飛鳥川をまたいで、同じようにしめ縄が張られ、傘状のものが下がっています。女性のシンボルです。
そのため、下流の稲淵は男綱、栢森は女綱と呼ばれています。
太古から禍いがはいりこまないように結界をめぐらしたのでしょう
「綱掛け神事」が行われるのは、稲渕では毎年1月第2月曜、栢森では旧正月と聞いている。
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