令和3年9月6日(月)
ファミリータウン広電楽々園、もう少しで全館閉館へと近づく。
何と寂しいことか!「楽々園」の名前は残して欲しいと強く思う!
「楽々園」遊園地は、
多くの地域住民を、家族を幸せにしていただいた。
昨日、9/5「パレット」という衣料品アパレルが惜しみながら閉館される。
9月30日完全に全館閉館だそうだ。何だか寂しいよ。
過去を振り返る「
楽々園」子供ながらの思い出焼きついている。
広電宮島線「楽々園」この名前から連想できるものは「楽園」。
それもそうね50年前は、大きな遊園地があり園内にはモノレールや水面に
着水できる子供好きな遊園地で知られていたね。レジャー施設である。
最初のオリンピック東京が開催されたころかな。三波春夫さんの笑顔で歌われる
「東京五輪音頭」だったかな。懐かしい思い出だ。
東京から新大阪ま東海道新幹線が開通したころ。高校生のころ修学旅行で
新大阪から東京まで乗車した記憶がある。「夢の超特急ひかり号」という名前で
全国民に夢を与えてくれた。これを機に日本の経済成長は著しい発展をしている。
「楽々園」遊園地の側ではお風呂や大衆演芸場(芝居)確かあったよ。
今の大の木ダイモ「デック」その前は広電ショッピングセンターその前は、
広電ボウル楽々園とその時の環境変化に対応した形で来ているのね。
数年後、遊園地の一部はファミリープールが大小あった。大きなコンクリートの
黒い「くじら」子供心に大好きでありました。お父ちゃん、お母ちゃんまた来たいよ
という子どもの声が絶えないほど。うれしくて強烈な「思い出」となっているでしょう。
人口波で泳ぐことが楽しい日。そしてカキ氷を食べる。夏休みの思い出。
「楽々園」遊園地は、多くの地域住民を、家族を幸せにしていただいた。
この楽々園の名前は残るものの本当の過去を知る人は少ない。
これから願うこと。
大きな施設でなくても良いからこれからは高齢化社会が一段と加速する。
若い世代家族のみならずお爺ちゃんや、お婆ちゃんと一緒に過ごせる
1日中楽しめる(こども中心)もの、家族で楽しいひととき会話も含めて
「来て良かった」、「また来たいね!お爺ちゃん、お婆ちゃん」を言われる
ような施設を望んでいる。大型商業施設はいくらでもある中、「広電楽々園」
でしかできないものを過去からの実績を検証しながら「楽々園レジャーランド」
でも作って欲しい。交通の便も最高だしJR五日市駅からも近い。
最近では、コンビにも多い。テナント形式も多い(アルパークリニアル予定)
やり方を変えればきっとこの状況下でもできるはずだ。
さて、どう変わるのか?
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