あとは野となれ山となれ
2014年11月12日(水)
(本題)
父が遺産を残して死にました。なに、遺産と言っても僅かな土地・家屋で、評価をすると∓0程度のものです。
この土地は父の伯父の名義のもので、父が長期に実効支配していて時効取得できるのです。ただ、それには登記が必要で、その費用(-)と売却収入(+)が同程度と思われます。
都合の悪いことに築約40年の家屋ですから、これ以上年数が経つと、売却しようとすると更地にする必要があり、家屋の解体費用がかかることになります。
本題の本題は次からです。
兄弟・姉妹5人いるのですが、子どものいない姉が二人おり、発想が全く違うのです。子どものいる私を含めて3人は、それぞれの子どもに迷惑にならないよう、家屋を含めて買ってもらえる早い時期に処分しようという考えなのです。ところが、子どものいない二人の姉は、両親のいた家なので処分したくない、と言うのです。今∓0ですが、年数が経つにしたがって、負が大きくなるのにです。
子どものいる私達は、子どもに迷惑をかけたくない。子どものいない姉二人は、後のことは考えません。「あとは野となれ山となれ」。二人の姉の発想はこの通りと思います。
(余談)
余談ですが、「あとは野となれ山となれ」に最も相応しい人は、我がヤベー首相ではないでしょうか・・。
川内原発の再稼働を巡っては、原子力規制委員会の田中委員長は、「安全を保障するものではない」と言っているのですが、ヤベー首相は、「安全が確認された」と言って、再稼働に突き進んでいます。避難計画も十分できていません。火山の専門家は予知は困難でいつ爆発するかの分からないと言っています。このような状況で再稼働を認め、仮に福島のような事故が起きたら、再び大災難になることは、火を見るより明らかです。
まぁ、ヤベー首相は、事故は生存中には起きないと予想しているのかも知れません。後につづく人たちのことを考えているとは到底思えないのです。これって、やっぱり「あとは野となれ山となれ」の発想と同じと思います。
因みに、英語では、「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」という諺があるそうですが、「あとは野となれ山となれ」とピッタリですね。
言葉なんです。これは、日本語の訳としては、「あとは野となれ山となれ」がぴったり
不破 その話に正面からこたえようとすると、とてもこの企画のわくにはおさまらないでしょう(笑い)。だから、一言だけにしますが、マルクスの資本主義批判というとき、私がすぐ思い出すのは、『資本論』の第一部にある、「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」という言葉なんです。これは、日本語の訳としては、「あとは野となれ山となれ」がぴったりでしょうね。
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