産業立国である我が国の最初の輸出貿易品は何であったか判りますか。そうです、それは絹織物だったのです。各農家では、原料となる蚕(かいこ)を生産出荷し、各地の川筋に設けられた水車を動力源とする紡績機により織物を生産していたのです。そんな時代に、周辺の人々から織物機がガチャンと動けば万という金が入ると若干妬みを持って揶揄されたのが「ガチャマン」という言葉であったのだと思います。
さて、この紡績機の生産で、我が国のトップを独走していたのが豊田佐吉が創業した豊田自動織機なのです。そして、その息子である豊田喜一郎が創業したのがトヨタ自動車であるのは良く知られた話です。
添付写真は、名古屋市にある産業記述記念館(元豊田自動織機の工場跡を使用)では、数々の昔の自動織機が展示されています。それと共に興味を引かれるのが、動力源の利用方法です。たぶん元は水車だったのでしょうし、電動モーターとなってからも、それは高価なものであったはずです。ですから、工場上部に通されたメインシャフトを動力源として、各織機の駆動は長いベルトで行われていたのです。織機の場所によっては、回転方向が異なる場合もあったのでしょうが、その場合はベルトをクロスさせていたことが判ります。
各織機を停止させるには、長い竹竿を使用してベルトを付け外しを行っていた様ですから、それも職人技であったのだろうと思います。
こんな織機の製造生産というノウハウが、トヨタ自動車設立後も、マザーリングマシン(機械製造のための機械)やトランスファマシン(連続工程機械)に生かされ、現在のトヨタの高い生産能力の源泉となっているのだと思います。