私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

公平なき社会

2011-09-03 | 事故と事件
 昔、「公平」なんぞという、たいそうな名前を持った弁護士がいましたが、不公平なことをやっているのが露見し、本来なら起訴されるところを、これまた仲間意識の強い検察の不公平な判断で起訴もされず、ただ引退しただけと云うことがあったと記憶します。

 世に公平なんてなく絵空事と思うのは。決して私だけでなく世の多くの諸兄も同感のことと思います。私が数十年を滅私奉公した損害保険会社の最前線における体験においても、そのことは繰り返し感じ、私の中で僅かに存在する正義感を萎えさせ続けたのでした。

 保険会社の社会的な存在意義たるは、公共的な意味あいを強く持つことは間違いのないところとです。それは、善良なる保険契約者から妥当な保険料を集めプールし、偶然外来の不慮の出来事(事故)が生じた際に、適正妥当な保険金を支払うという公平性が求められることで得られるはずのことです。

 しかるに、予め保険金をせしめようとする保険金詐欺への強い疑念が生じたり、過剰な請求が行われる相手が権力者であったり、反社会的な強い勢力を持っていたりした場合、何処まで公平性を保つべく努力した、支払い拒否もしくは抑制への努力が行われて来たかは大いに疑問なことだったと感じています。

 その様な時、いい訳じみて繰り返される言葉は、「証拠がないだとか、調査に費用が掛かり過ぎて間尺会わない」みたいなことが聞かれるものですが、善良な契約者が到底納得できる言葉ではないでしょう。そのくせ、一般市民で、被害者意識が高じた故に、ある意味で病的心理状態に陥った強い要求に対し、弁護士を介入させ、ただ力で屈服させようとする姿勢は、社会が保険会社に求める姿勢としての違和感を感じたものです。



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