私の思いと技術的覚え書き

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歴史に学ぶ

2020-05-30 | コラム
 およそ内外のことを思考するには、歴史に学ぶと云うことが以下に大事かということを思う。すなわち、何か新たな問題が起きたとき、過去の正しい歴史認識を前提として、ものごとを解決して行くのは当然のことだし、それが国家としての独自のアイディンティティを維持し国家を連綿と継続させる大前提だろう。つまり、歴史は過去、現在、未来と連綿と続くことが自明のことだろう。

 ところが、この正しい歴史認識を持つと云うことが、なかなか難しいという問題がある。特に近代になって、中国とか韓国が国力を増すと共に、南京虐殺とか遺棄化学兵器、慰安婦などの問題を提示され、その時の政権は、ぶれにぶれ唯々諾々と、その場の解決を図ろうと賠償金なりで解決したり、国の教科書を改編したりして過ごして来ていることは嘆かわしく感じる。

 そもそも、戦後のこれら諸問題は、日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に一方的に負け(1945)、GHQ(連合軍総司令部だがほぼ米国)の一方的な占領軍統治を受けたことに起因はあるのだろう。勝者が敗者を裁く、そこには正義なんぞあり得ないことは誰だって判る。しかし、米国がやったのは、もっと悪辣だ。先の戦争で敗者となったドイツや日本に対し、事後法として作った「平和に対する罪」を適用し、一方的にA級戦犯として7名を絞首刑にした。のみならず、従前国内に存した日本の正当性を主張する各種書籍を焚書として書店などから回収し焼き捨て、各種マスメディアの言論統制、私文書の検閲、日本国憲法草案の作成押し付けなどなど、およそ国際法に照らせば違反の所業を繰り広げたのだ。その後も、サンフランシスコ講和条約(1951)により日本の独立は形ばかり国際復帰するに至るが、米国は日米安全保障条約を締結させ、日本の各基地を自由に使う権利を保持し続けているのだ。この安全保障条約は、憲法で交戦権を放棄している日本を守ると云う美名だが、実態は米国のアジア派遣を維持するための最前線基地として機能していることは明かだろう。

 歴史をもう少し遡って見たい。日本人なら、幕末維新で一定活躍した「坂本龍馬」の名を知らぬ者はいまい。何故、彼がここまで現代の有名偉人となり、広く世のファンを得ているかと云えば、司馬遼太郎の「龍馬が行く」とかNHK法相の「龍馬伝」などの影響が極めて大きいと想像する。かくいう拙人も、10年近く前までは司馬遼太郎小説の多くを耽読しつつ、小説なのだが、これを史実として受け取り、その様な歴史観を自然と受け入れて来てしまったのだ。しかし、その後、同じ人物を対象とする別の作家だとか、様々な論評人を論理ある文献を読むにつれ、司馬遼太郎とは単なる小説家であって、歴史家ではないんだと云うことを意識するに到っている。

 最後に、この正しい歴史観というものは誰に一番大切かを考えると、一国の道末をオペレートすべき政治家なんだろうと思う。だから、政治家が、その言説に歴史観を不曲していたり、あえて隠す素振りをしつつ、「是々非々で対処する」などのことを宣うと、到底信用できない政治家だと信じるのだ。つい最近も、昨今の安倍政権も様々なほころびか見えつつ、次期首相は誰がとの話しが近くの年配者から「石破某」だなんてことを宣う者がいたので、細部まで説明しやしないが、あんな自らの歴史観を隠す政治家は問題外と述べたばかりだ。


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