私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

100年後の歴史教科書

2011-09-08 | コラム
 人物評価は、その人物が生きている間は生臭くてできるものではなく、少なくとも死後100年は経ないと、まともな評価はできぬと記したのは司馬遼太郎氏です。また、愚者は体験(自分経験)に学び、賢者は歴史(他人の経験)に学ぶと記したのはビスマルクです。

 そんなことを思いながら、本年311に勃発した大震災および原発大事故の惨状と、その避難、復旧とその指揮を行ったリーダー達が、どの様に100年後の歴史書に記録されるのだろうかと興味を覚えます。

 さて、100年後を予測したとき、それでも日本には稼働する原子力発電所が存在しているのでしょうか。私は、廃炉工事中のものはあったにしても、ほとんどが廃炉済みで皆無となっていると思います。(望みます)しかし、福島第1とその周辺を含め各地の高放射線地域は、立ち入り禁止のノーマンズエリアが存在し続けているのでしょう。日本の有効国土面積は、何%かが失われてる訳です。そのことを歴史書は、どの様な原因で、何処に責任があったと伝えているのでしょうか。

 100年後の歴史書を紐解いた時、果たしてどんな記述がなされているのでしょうか。私は見ることは出来得ない訳ですが、真摯に反省しているのか、未曾有の災害としての止むなさに終始しているのでしょうか。もし、後者であれば我が国の未来は絶望的なのでしょう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。