享年56歳
今年の2月
「おかあさんがちょっと具合悪くて入院することになりました」
とスタッフ♂️から聞かされた
その子のおうちは
お勤めのお父さん
専業主婦のお母さん
保育士のお姉ちゃん
大学生の弟
の4人家族で
現スタッフは弟だけど
お姉ちゃんもうちでバイトしてくれてた
たっちゃんがまだ赤ちゃんの頃。
入れ替りで弟が入ってくれたので
このご家族とは長い付き合い。
お姉ちゃんと弟はたいそう仲が悪くて
でも今時の子みたいに自室に引きこもるわけではなく
みんなでリビングにいて
お母さんを通じて会話するという
まさしく典型的なお母さん中心のお家だった。
弟の店での口ぐせも
「いや俺、家事とかしたことないんですよーお母さん専業主婦なんでー」
「なんでこんなにイケメンなのに彼女できないんだろーね!ってお母さんは言ってくれます」
「バレンタインはお母さんから貰ったの1個だけです」
とか、ネタのように言っててよく笑わせてくれた。
お姉ちゃんもお姉ちゃんで
生意気な雰囲気のちょいギャルめな感じなのに
「私は絶対婿取ります‼家事できる気しないんで」
と真面目に言っていたことを思い出す。
はじめは
なんか動くのがダルいとしょっちゅう言ってたので、弟が検査を勧めて発覚した病気。
肺に水が相当量たまってて、水を抜いたら肺がんが発覚。すでにステージ4だった。
あれよあれよと言う間に
あんなに幸せそうだった家族が
看病と病魔との闘いに追われることになってしまった
弟はとても気丈で
店にいる間は全然そんな雰囲気も出さないけど
一度友達と店に来たお姉ちゃんが抱きついてきて
「ステージ4と言われた、寿命半年と」
「人生全部変わってしまいました」
辛くて悲しくて2人で泣いた
それから入退院を繰り返し
抗がん剤が合って少しいい状態の時もあったようだったが
無情にも、10ヶ月という短い闘病生活は終わりを告げた
11月の最後の日
帰り際に弟に呼び止められて
「シフト出たばかりなのに申し訳ないのですが…実は緩和ケアで自宅看護になって…余命2週間と言われて。そばについててあげたいんです」
と言われた。
そんなの、もちろん側にいてあげて、こっちはどうにかするからと
話してそれからたった1週間
自身のお誕生日に帰らぬ人となってしまった
かなしすぎるね
土曜はあんなに忙しかったのに
日曜日は奇跡的に弁当の予約も、夜の予約も入らなくて
旦那と一緒に告別式に行けた
式場入った瞬間からずっと涙が止まらなくて
でも弟、お姉ちゃん、お父さんとかわるがわる挨拶に来てくれ
みんな本当に辛い看病を乗り越えてきた顔をしていた
安らかな諦めの笑顔。
でも最期のお別れの時は
お父さんが人目も憚らず棺桶にすがり付いて泣いていた。
お母さんもさぞかし無念だろう。
前にこのブログで書かれてた
医者の選ぶ理想の死因、No.1はがん
という記事を読んで
なるほど思ったことは
お別れも言えず亡くなるぽっくり死や突然死は遺族も本人も辛い
老衰は思ってるより簡単じゃない
だから余命がわかって心の準備も遺品整理もできるがんで死にたいという医者が多い
という。
確かにみんな覚悟をもった顔をしていた
もちろん奇跡を信じていたんだろうけど、余命というものは心を整理する時間をもたらしてくれるんだな…
と改めて思った。
お母さんの代わりには到底なれるはずないけど、お姉ちゃんくらいのつもりで頼って欲しい。
私は花屋時代、葬儀の仕事に携わっていたので
悲しみは時間でしか解決出来ないのを目の当たりにしてきた
気休めの言葉はいらないし過度な干渉もいらない
ただ、ずっと側で見守るだけ
花のように
☆☆☆
その日たっちゃんは実家の母にお願いして午前中見て貰っていた。
最初はお家の中で遊んでいたたっちゃん
何を思い付いたのか
ばーばを引き連れ家から店まで歩いてきた😳
「どうしても行くってきかなくてー」
とばーば。
3キロちょっとあるんだよ😅
たぶん日曜はいつも私と一緒にお店に行くから寂しくなっちゃったんだろうな。
葬儀場から戻ってる間に母から連絡があって、もうすぐ店に着くって😨
慌てて戻ったら店の裏口で待ってた😂
「どこ行ってたんだよー!!!」
って😇
きっと店で仕事してると思ったよね。
いつもは車で来る道を、一生懸命歩いたんだなーと思ったらまた涙💧
「たっちゃんね!お家からお店まで歩けたよ‼」
だって😅
だいぶ自信になったみたい🤭
たっちゃん大冒険‼
母も「たのしかった~」とお疲れさま😌💓
今ある幸せを大事にしようね