水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

カラフル

2017年04月13日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「カラフル」


 「努力」が逆効果になっている姿を、授業中も見かける。
 一見真面目に授業を受けているように見え、本人も「がんばっている」気持ちで取り組んでいるのだろう。そのこと自体に罪はないのだが、18歳という貴重な時間の使い方として考えると、本当にもったいない。
 先月放送された「アメトーク」の「勉強大好き芸人」を見た人はいるだろうか。
 ロザン宇治原さんと、パンサー尾形さんが、世界史の授業を30分受けて、ノートの取り方がどう違うのかを見るという企画があった。授業のあとに予定されているテストで、宇治原氏が圧勝するであろうことは予想できたが、勉強ができる人と苦手な人とでは、ここまで違うのかと驚いた。
 そして正直に言えば、われわれが、川東で日常的に目にしている違いだった。
 端的に言うなら、授業を咀嚼しながら受けているのか、黒板をただ写しているのかの違いだ。
 実際にどう違うのか、「アメトーク」のホームページ(http://www.tv-asahi.co.jp/ametalk/news/0033/)に現物があがっているので、見てみるといい。
 尾形さんのノートも、ぱっと見は悪くない。むしろカラフルで見やすいと感じる人もいるだろう。 しかし授業中の尾形さんは、先生の話を理解しようとするよりも、板書をいかにきれいに写すかに労力を割いていた。結果的に、先生の話している内容においついていなかった。
 宇治原さんは、まずは話を聞き、ある程度の分量をパーツとして理解しながら、まとめている。
 結果として、カラフルでもなく、整然ともしていないが、因果関係が整理されていた。
 同時に、板書以外のメモがあちこちに書かれてもいる。


 ~ ロザンの宇治原さんは、授業を聞くことに専念し、色ペンを使わず黒一色のノートで、先生が口頭で言ったことはナナメにメモして区別する、というノートの取り方をしていらっしゃいました。黒板に書いていないけど、先生が途中で言ったことは、※印をつけて、わざとナナメに書いて区別する、という工夫は初めて知りましたが、これいいですね!
 このメモを書かないと意味が分からないところがあるし、黒板に書いたことだけ、そのまま丸写ししても、後から見返して意味が分からないことがある。
 黒板をうつすのを最優先にしがちだけれど、黒板は主役ではなく、授業の補助でしかない。
 黒板がすべてなら、黒板=教科書、ということになるけど、教科書は本として別にあるわけで、教科書を丸写ししても、時間の効率が悪い。
 黒板は、先生の伝えたいことの要点や補足でしかないと思います。 (木村美紀メルマガ「木村美紀が明かす家庭教育の秘策」) ~


 自分のノートを開いてみよう。板書をそのまま写しただけの状態だとしたらピンチだ。
 色を使ってきれいにすることが目標になっているなら、努力の方向性を間違えている。
 板書だけでなく、先生の話したちょっとした一言がメモしてあったり、自分がふと思いついたことがメモしてあったりしたら、頭を使えていると判断していい。
 一応言っておくが、ノートをとろうとしないのは問題外だ。

コメント (1)
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