再び、関東地方の友人から提供された画像をUPします。
最近では、奥武蔵地方の新興住宅街の紅葉の様子を送ってくれた友人です。
奥さんと埼玉県嵐山町(らんざんまち)の嵐山渓谷に紅葉を見に行ったそうです。
嵐山渓谷は埼玉県を代表する景勝地の一つで、岩畳と槻川の清流、周囲の木々が織りなす景観と自然環境を持ったこの町の宝となっています。
この渓谷は、その地形的な特徴から、秩父の長瀞岩畳に例えて『新長瀞』と呼ばれていたこともあるようですが、1928年(昭和3)秋に、林学博士の本多静六博士がこの地を訪れ、渓谷の最下流部にある、当時架かっていた槻川橋(当時は今より低い位置にあった)から渓谷と周辺の紅葉やアカマツ林の美しい景観を眺め、京都の嵐山の風景によく似ているとのことで、『武蔵の国の嵐山(むさしのくにのあらしやま)』と命名されたそうです。(一般社団法人嵐山町観光協会公式HPから抜粋)
1939年(昭和14)6月に与謝野晶子がこの地を訪れたときに詠んだ石碑が建立されています。
『比企の渓 槻の川 赤柄の傘を さす松の 立ち竝(なら)びたる 山の しののめ』
友人が訪れたときは、紅葉には少し早かったそうです。
【蛇足】
鳥取砂丘には、1930年(昭和5)に、与謝野鉄幹・晶子夫妻が鳥取砂丘を訪れた記念碑が建っています。
『砂丘とは浮かべるものにあらずして踏めば鳴るかなさびしき音に』
与謝野晶子は、友人有島武郎への鎮魂歌として、この短歌を詠んだそうです。