先日の記事でも写真を載せましたが、詳しく紹介したいと思います。
八雲方面から函館方面に国道5号線を走り・・・
森町蛯谷(えびや)の漁港を通り過ぎ、函館本線の高架橋を越えて800m程行った所に
湯の崎トンネルと言うトンネルがあります。
このトンネルを出たすぐの所に看板が出ています。
榎本武揚上陸の地
(茅部郡森町字鷲ノ木)
神社の方に進み、鳥居をくぐると駐車場があります。
鷲ノ木史跡公園の看板があります。
駐車場には矢印が
まずはこちらへ。
箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑
坂を下りていくと
石碑があります。
史跡 箱館戦争榎本軍鷲ノ木上陸地跡
線路沿いにさらに矢印が
民家が数軒立っています。これらの前を通り過ぎると
線路の下を潜りぬけると
海に突き当たります
旧幕軍 榎本武揚 土方歳三 之鷲ノ木上陸地
明治元年(1868)旧十月二十日、噴火湾中央部の鷲ノ木村に榎本武揚(徳川旧臣)率いる艦隊が上陸しました。
上陸時の鷲の木は、積雪三十cm、北西の強風で波は荒れ(ダバ風)、暴風雪であったといわれる。
榎本艦隊は、旗艦海陽丸ほか七艦(回転・蟠龍・長鯨・神速・鳳凰・回春・大江)で、このときの人員は榎本をはじめ
松平太郎、大鳥圭介、土方歳三、古屋佐久左衛門ら二千人以上と言われ、上陸したのは主に陸兵でした。
当時の鷲の木村は戸数約一五十、人口約八〇〇で茅部街道の要所でもあり、箱館への街道も開けていました。
二一日、人見勝太郎以下三十二名の先発隊が峠下村(現七飯町)で待ちかまえていた官軍と銃戦となり、箱館戦争
へと展開していくことになります。
開戦とともに、鷲の木村は榎本軍の後方陣地となり、明治二年五月の箱館戦争終結まで、負傷者や病人達の療養地
となり、また戦死者は霊鷲院に手厚く葬られました。
今も鷲の木の墓地には、榎本軍戦死者たちが眠っており、史跡公園には上陸記念碑や慰霊碑があります。
平成二十四年三月 森町
と、案内板に書いてあります。
北海道の歴史の一つがこの地にありました。
官軍の上陸地、乙部にも機会があったら行ってみたいと思います。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます