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榎本武揚上陸の地

2012-05-03 15:39:59 | 北海道・歴史探訪

     先日の記事でも写真を載せましたが、詳しく紹介したいと思います。


    八雲方面から函館方面に国道5号線を走り・・・

  森町蛯谷(えびや)の漁港を通り過ぎ、函館本線の高架橋を越えて800m程行った所に
 湯の崎トンネルと言うトンネルがあります。


       このトンネルを出たすぐの所に看板が出ています。
   



              榎本武揚上陸の地
   
                (茅部郡森町字鷲ノ木)


      神社の方に進み、鳥居をくぐると駐車場があります。
        


           鷲ノ木史跡公園の看板があります。
  
  

               駐車場には矢印が
  

                 まずはこちらへ。


             箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑
          
 
                  坂を下りていくと


                  石碑があります。

       史跡 箱館戦争榎本軍鷲ノ木上陸地跡
  
                線路沿いにさらに矢印が


      民家が数軒立っています。これらの前を通り過ぎると
  

                線路の下を潜りぬけると
  

                  海に突き当たります
  

        旧幕軍 榎本武揚 土方歳三 之鷲ノ木上陸地
   


   

  明治元年(1868)旧十月二十日、噴火湾中央部の鷲ノ木村に榎本武揚(徳川旧臣)率いる艦隊が上陸しました。
 上陸時の鷲の木は、積雪三十cm、北西の強風で波は荒れ(ダバ風)、暴風雪であったといわれる。

  榎本艦隊は、旗艦海陽丸ほか七艦(回転・蟠龍・長鯨・神速・鳳凰・回春・大江)で、このときの人員は榎本をはじめ
 松平太郎、大鳥圭介、土方歳三、古屋佐久左衛門ら二千人以上と言われ、上陸したのは主に陸兵でした。
 
  当時の鷲の木村は戸数約一五十、人口約八〇〇で茅部街道の要所でもあり、箱館への街道も開けていました。

 二一日、人見勝太郎以下三十二名の先発隊が峠下村(現七飯町)で待ちかまえていた官軍と銃戦となり、箱館戦争
 へと展開していくことになります。

 開戦とともに、鷲の木村は榎本軍の後方陣地となり、明治二年五月の箱館戦争終結まで、負傷者や病人達の療養地
 となり、また戦死者は霊鷲院に手厚く葬られました。

 今も鷲の木の墓地には、榎本軍戦死者たちが眠っており、史跡公園には上陸記念碑や慰霊碑があります。

                                               平成二十四年三月     森町

  と、案内板に書いてあります。

  

        北海道の歴史の一つがこの地にありました。


     官軍の上陸地、乙部にも機会があったら行ってみたいと思います。

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