つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

落ち続ける

2024-04-25 06:40:20 | 日記

これは意外な指摘だった。

地球を周回している人工衛星は、実は落ち続けている存在なのだという。

人工衛星は、地球の周囲を永久に回っている存在だと思っていました。

だから、落ちるとか、落ちないとかとは思ってもいなかったのです。

 

◆立ち読みをしたのでどなたの書かは記憶にない

 われわれが地面に水平にボールを投げれば、そのボールはやがて勢いを失って地面に落下する。

 これは当然のことだ。

 地球には引力があるので、すべて落下する。

 ゆっくり投げれば近くに落ち、早く投げれば遠くまで飛んだ後に落下する。

 

 それでは、猛烈に早く投げればどうなるのでしょうか。

 そうすると、そのボールは地球を離れて宇宙に飛んで行ってしまうそうです。

 だが、秒速7.9kmで投げると、1秒後に7.9km進み5m落下する。

 ところが地球は丸いので、投げた地点よりも7.9km先は地面は5m低下しているのだ。

 つまり、ボールは地面に落ちたくても落ちられないのだ。

 これらの計算をして、飛び続けているのが人工衛星だという。

 そう、彼らは落ち続けている存在、でもやはり落ちてはこないのです。

 

 →ふうん 人工衛星は分かりましたが、ほかのことにも活用できないのでしょうかね。 

 


コンビニ利用

2024-04-24 06:34:27 | 日記

おいらは、マンガが好きだ。

そしてそんな中で、ホイチョイ・プロダクションズのそれは興味深い。

なぜならば、データ(数値)に基づくマンガ展開だからだ。

今回も、こんなデータと共に学びが得られた。

 

◆コンビニ利用は20代の専売特許ではない

 コンビニは、おいらの20代の頃にスタートしたと思う。

 そして、30代の頃から急速に市民権を得たように感ずる。

 だから、コンビニは若者が利用するものだと、勝手に思っていました。

 だが、データはこれを真っ向から否定しています。

 

 〇セブンイレブン来店客の年齢分布の変化

  

 グラフの一番上を見てもらいたい。コンビニ興隆期の1989年には6割以上が20代以下の若者たちだった。

 この点で、おいらの認識は間違ってはいない。

 では、現在に近い2022年ではどうだろう。

 グラフの下から2番目だ、なんと利用者の6割以上は40代以上となっているのだ。

 だから、コンビニ利用者=若者という認識は完全に間違っているのだ。

 

 なぜこうなったのかと言えば、グラフの一番下を見てもらいたい。

 要は、日本社会における20歳代以下のシェアが低下し、60歳代以上のシェアが増加したからだ。

 さらには、年代別シェア以上に読み取れることもある。

 それは、30歳代・40歳代がシェア以上にコンビニを利用するという事実だ。

 だからコンビニは、こういったことを踏まえて、マーケティングや品ぞろえに注力しているらしい。

 昨日から今日にかけては、世の中は変わらない。

 でも、10年~20年たてば、まったく別の世の中になっているのかもしれないのだ。

 

 →たしかに 世の中は確実に変わっていくものなんですね。

 

 

 


未来

2024-04-23 06:36:10 | 日記

有難いことに、おいらにはまだ未来が残されていると思う。

そして、そんな未来に向き合うには二つの方法があるという。

ひとつは心配で、もうひとつは期待だそうだ。

米国の作家ジム・ローンだ。

 

◆新しい生活を始めるときにいいアドバイスですね

 丁度年度替わりで、新たな生活を始める方が多いのではないかな。

 ピカピカな一年生ならば、そんな気持ちは自然に持てるでしょうね。

 そうではなく、仕事をリタイアした方々はどうでしょう。

 現役時代の労働時間は8~9万時間だという。

 対して定年後の時間は、睡眠と食事時間を除いても10万時間あるそうだ。

 つまり定年後の自由時間は、会社で働いていたあの気が遠くなるような時間よりも長いのだ。

 この膨大な自由時間をうまく使って、残された人生を有意義に過ごしたいものだ。

 

 収入は減るのでたしかに不安はある。

 だが、不安があるからこそ頑張れることもある。

 だから来るべき未来を、楽しんだり期待したりといった姿勢で生活していきたいものだ。

 

 →そうそう まだまだなんでも出来る、期待一杯さ。


余生(よせい)

2024-04-22 06:36:03 | 日記

余生なる言葉がある。

この世でのやりたいことや、やらねばならないことを概ねやり切ったというような感情なのだろうか。

そこには満足感と、あきらめが併存しているのかもしれない。

あとはおまけの人生なのか、否、江戸時代に自ら歩測しなが日本地図を作り上げた伊能忠敬はこう言う。

 

人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り余生はいらない

 家業と家督を息子に譲って隠居したのは、忠敬56歳のときだ。

 江戸時代としてはごくふつうの年代だったのだろう。

 だが彼は、千葉の佐原から江戸に出、天文暦の勉強を志し、15歳下の先生に弟子入りもしたのだ。

 その後、日本中を歩きまわって日本地図を完成させたという訳だ。

 

 隠居はしたものの、そこから自分の夢への挑戦を始め、死ぬまで歩き続けた忠敬に余生などはない。

 何歳になろうと、物事に挑戦する心があれば青春時代ということだ。

 これは、サムエル・ウルマンの「青春」の詩と通じるものがありませね。

 同様に松下幸之助翁もこう言う。

 「青春とは心の若さである。

  信念と希望にあふれ、勇気に満ちて日に新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものである。」

 

 →なるほど、われわれも自らの生涯をすことなくきたいものですね。

 


手放す

2024-04-21 06:54:07 | 日記

長く勤めた仕事をリタイアし、安堵感と喪失感を同時に感ずるこの頃だ。

今までは、責任ある立場で働いていた、だが再就職した今は一兵卒だ。

肩書が通用しない世界は不安でもあるが、考えようによっては身軽でもあるわな。

そんなとき、英国の小説家サマセット・モームのこんな言葉に力づけられる。

 

人生とは面白いものです 何か一つ手放したら それよりずっといいものがやってくるのです

 不安はある。

 だが、発想が自由になり、それまで見えなかったものが見えてくるとも言う。

 そう、何かを手放せば、何かを得られるのかもしれないのだ。

 

 →たしかに、何かを必死につかんでいては、別の何かをつかみ取るのは難しいはずだ。

  不安はあるが、ここは先に今までの何かを手放すべきなのかもしれませんね。

  その結果、今までよりもずっといいものが掴めるかもしれないとうことらしいです。