つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

水色+黄色

2024-04-20 06:37:52 | 旅行

初夏をも感じさせる暑い春の一日に、ネモフィラの開花情報を得ましたので花見に向かいました。

ここ名古屋からは片道60KMくらいでしょうか、三重県のいなべ市大泉駅周辺です。

 

◆三岐鉄道の黄色の車両とのコントラストが評判のようです

 〇ネモフィラはこんな感じ

    

   

   

 〇カラフルな三岐鉄道車両

   

   

   

   

   

  〇帰路にはもうお約束の立ち寄り湯 阿下喜(あげき)温泉

   

  

 アルカリ性がはっきりとわかる良い湯ですが、客層はシルバー中心でちょっとミスマッチかな・・・

 それでも体験温泉は157湯となりました。

   

  

 


野生の勘

2024-04-19 06:48:25 | 日記

おいらの古巣企業で経営者が交替した。

衆目からみれば、それは意外な人事だった。

経営者に求められる資質は、それぞれの企業の置かれた立場によって異なるということは理解できる。

その意味で、今回の人事は、現企業を少しずつ改善していこうという意思表明のようだ。

誤解を受けるかもしれないが、毎年1~2%の成長を図ればいいという態勢だと感ずる。

齢80歳に手が届く創業家に連なる現経営者の思いは、なんとなくわかる。

願わくば、この企業を永遠に存続させたい、それが最優先で成長率は低下してもそれはやむを得ない・・・

 

存続のためには野生の勘も猪突猛進も不要

 成長のためには、熟慮の時間を省いて野生の勘で物事を進めるべきだ。

 同様に、多少の危険はあっても猪突猛進で行けば、急成長は可能だ。

 しかし、それらにはリスクを伴う。

 自分(前経営者)ならば、そのバランスはとれる。

 だが、他の人にそれを求めるのは、とても難しい(と思う)。

 だったら、手堅く危険を冒さない人にバトンを渡したい。

 そうすることで、企業の永続性が保たれ創業家の資産も維持できる・・・

 そういった思惑で、今回の人事が為されたのだろうと思います。

 (前)経営者は老いた、そしてその判断もまた老いたものなのかもしれません。

 

 →過去、数多の企業が没落していったのは、まさにそういった思いからだったのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 


モナ=リザ

2024-04-18 06:46:20 | 日記

あまりにも有名なあのモナ=リザ、眉毛がないため未完成だという説もあるそうだ。

そんな絵は、イタリア・ルネッサンスの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの作による。

そして彼は、こんな言葉を残している。

 

◆鉄は使わなければ錆びる、水はよどんでいれば濁り、寒空には凍ってしまう、

 ましてや怠惰でいれば気力さえ失われる

 直接的には勤勉を謳う言葉だ。

 だが、ダ・ヴィンチ自身の忸怩たる思いも含まれているようだ。

 完璧主義者である反面、飽きっぽい人でもあった彼は、実は気力をなくし途中で投げた仕事も多々あるそうだ。

 なので、この言葉は単に自分自身の反省の弁かもしれない。

 それでも多才な天才であることに疑いはないのだが。

 

 →天才の自省だと思って読み込むと、なかなか味わいがありますね。

 

 


「投資」という行為

2024-04-17 06:39:11 | 日記

おいらは、「投資」という行為には、フラットな受け止め方をしていたつもりだが、

知らず知らずに、なんとなくマイナスイメージを抱いていたようだ。

だが、経済教養小説「きみのお金は誰のため」を読むと、そんな気持ちは拭い去られて勉強になった。

 

◆昨年の年初からおよそ1年半にわたって怖いほど株価が上昇している

 物価は上がっていますが、収入はそれを上回るほどには上がっていないようです。

 いわば、景気の回復感がないままに物価や株価が上昇しているということです。

 

 世界中のみんながお金持ちになることは出来ません。

 でも、みんなで頑張れば、全員が幸せになれる社会をつくることはできるんです。

 大切なのは、お金を増やすことではなく、そのお金をどこに流してどんな社会をつくるかなんです。

 

 株価が上がるか下がるかを当てて喜んでいるのは、投資家としては三流です。

 どんな社会にしたいのかと考えてするのが投資なのです。

 そしてもうひとつ、投資するのはお金だけではなく時間も同時にしていることを忘れないように。

 

 →う~ん そこまでは考えてもいませんでした。

  そっかぁ どんな社会にしたいかを考えてするのが投資なのか。

 

 


原因と結果

2024-04-16 06:45:12 | 日記

言われてみれば当たり前のようにも感ずる。

人でも組織でもさらには国であっても、うまくいくかどうかとか成功するか失敗するかには、

全て原因があるのだそうだ。

他社や他人の成功を見て、形だけの真似をしてもうまくいかないのは、そのためだという。

渋沢栄一があまりにも有名な「論語と算盤」の中でこう記す。

 

世の中のことは全て原因と結果の関係でできている

 だから原因を無視して結果だけを変えようとしても不可能なのである

 富を成す根源は何かと言えば仁義道徳である。

 正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ。

 わかりやすく言えば、世の中のことが成功するかどうかは、

 勤勉に向き合い誠実に行動するかどうかにかかっている、とでもいうのだろうな。

 私利私欲では、一時的に稼ぐことはできても、継続は出来ないものらしい。

 

 「世のため誰かのためになりたい」という道徳心や勤勉さ、誠実さがなければ真の成功はない。

 うまくいかないときは、自分の仁義道徳に不足はなかったかという視点で、原因を探れば、

 次は成功という結果が得られるということなのでしょう。

 

 →仁義道徳は大事なことなのでしょうが、どうにも難しそうです。

  それでも、物事には原因があるということは覚えておきたいものです。