10月30日シアターコクーンで、C.ハンプトン作「危険な関係」を見た(原作:ラクロ、演出:リチャード・トワイマン)。
世界各国で幾度も映画化・ドラマ化されたラクロ原作の恋愛心理小説の名作。
プレイボーイの子爵×策略家の侯爵夫人が仕掛ける背徳の恋愛ゲームが今始まる!
18世紀末のパリ。社交界に君臨する妖艶な未亡人メルトゥイユ侯爵夫人(鈴木京香)は、かつての愛人ジェルクール伯爵への恨みから、
その婚約者セシル・ヴォランジュの純潔を踏みにじろうと稀代のプレイボーイであるヴァルモン子爵(玉木宏)に助力を求める。だが
ヴァルモンは、叔母ロズモンド夫人(新橋耐子)のもとに滞在している貞淑なトゥルヴェル法院長夫人を誘惑しようとしているところで、
その依頼を断る。ところがセシルの母ヴォランジュ夫人(高橋惠子)こそが、トゥルヴェル夫人に彼を非難し近づいてはならぬと忠告して
いることを知り、ヴォランジュ夫人への復讐を決意、メルトゥイユ夫人の計画にのる。
一方清純なセシルは純粋な若き騎士ダンスニーと恋に落ちていた。そこにメルトゥイユ夫人の策略が、そしてヴァルモンはトゥルヴェル
夫人を誘惑し・・・。二人が仕掛ける退廃に満ちた恋愛ゲームが繰り広げられてゆく。
メルトゥイユ夫人とヴァルモンはかつて愛人関係だったが、今では「友情と尊敬の間柄」。
この男はパリの社交界で、たいていの貴族の女性と関係があるらしい。これから誘惑しようとするセシルの母ともかつて・・・。
狙った相手を手練手管で陥落させるまでの過程をじわじわと楽しむのが彼のやり方だった。
そういう彼にとって、特に貞淑の誉高いトゥルヴェル夫人は難攻不落に見えて、やりがいのある相手だった。
ハチャメチャな彼は、自分が惹かれて狙う彼女と、復讐のために落とそうとするセシルと、娼婦エミリー(土井ケイト)とを同時進行で
相手にするのだが、頭の回転が早いので、ヤバい場面になっても何とかうまく言い逃れることができるのだった。
彼は修道院を出たばかりで世間知らずな娘セシルを難なくモノにすることに成功。同時にトゥルヴェル夫人にも誠実を装って毎日迫り、
ついに彼女は彼の魅力に負け、彼を愛するようになる。貞淑な彼女はロズモンド夫人の邸を出る。
ところがそのトゥルヴェル夫人に対して、ヴァルモンは、今まで他の女性に抱いたことのない愛情を感じる。しかもそれに自分では気づかない。
メルトゥイユ夫人の方がそれに気づく。そして彼に、女たらし・ドンファンとしての「名声」に傷がつく、と言って、彼女と別れるよう迫る。
ヴァルモンはそう言われて、素直に従ってしまう。つまり、彼女に冷たくし、捨ててしまうのだ。
もうそうなると、彼女としては修道院に行くしか道はない・・・。
評者だけの問題なのかも知れないが、フランス人たちの名前が覚えにくく発音しづらい。特に「トゥルヴェル夫人!」
エミリーやセシルのようにファーストネームで呼ばれる若い女たちは楽だが、奥方連は皆さん苗字なので面倒だ。
鈴木京香と玉木宏はどちらも声に張りがあっていい。
ただ玉木宏が若い女性をものにしようと話しかける時の声は、いささか高過ぎ、早口過ぎるように感じた。
高橋惠子の使い方がちょっともったいない。主役も張れる人なのに。
新橋耐子は久しぶりに見たが、相変わらず素晴らしい。
ロズモンド夫人の哲学=男と女の愛し方は違う。男は自分の楽しみのために愛する。女は相手の楽しみのために愛する。
窓の外には日本庭園が見え、室内では洋装の人々が床に座って生け花をする。取ってつけたような違和感がある。
衣装もいささかおかしい。セシルの膝小僧が見えそうなドレスとか。修道院から出たばかりなのに露出度高過ぎ。子供っぽさ幼さを強調する
ためだろうが、それにしても。
トゥルヴェル夫人だけが常に両肩を露わにしたドレス。これも貞淑の鑑とされる彼女の服装としては違和感があった。
2幕冒頭、暗闇の中で玉木宏の喘ぎ声が聞こえてきて客席は緊張するが、実は・・・という erotic な仕掛けがちょっと面白い。
メルトゥイユ夫人の「(夫の死後)再婚の申し込みをしてきた人はたくさんいたけど私が再婚しなかったのは、もう二度と命令されたく
なかったからよ」というセリフが印象的。
玉木宏は「抱かれたい男」として人気だそうで、確かに男らしい魅力はたっぷりだが、その演技には物足りなさを感じた。
人から指摘されて初めて自分の気持ちに気づいた時の動揺と、取り返しのつかないことをしたという後悔の苦しみが表現できていない。
だから最後の決闘後の言葉が唐突に感じられる。
鈴木京香はとにかく素晴らしい。他にこの役ができる女優は・・・と考えてみたが全く思い浮かばなかった。
この作品は1959年にジェラール・フィリップとジャンヌ・モローの共演で映画化され、1988年のハリウッド映画では
グレン・クローズとジョン・マルコビッチが共演したという。どちらもぜひ見てみたい。
世界各国で幾度も映画化・ドラマ化されたラクロ原作の恋愛心理小説の名作。
プレイボーイの子爵×策略家の侯爵夫人が仕掛ける背徳の恋愛ゲームが今始まる!
18世紀末のパリ。社交界に君臨する妖艶な未亡人メルトゥイユ侯爵夫人(鈴木京香)は、かつての愛人ジェルクール伯爵への恨みから、
その婚約者セシル・ヴォランジュの純潔を踏みにじろうと稀代のプレイボーイであるヴァルモン子爵(玉木宏)に助力を求める。だが
ヴァルモンは、叔母ロズモンド夫人(新橋耐子)のもとに滞在している貞淑なトゥルヴェル法院長夫人を誘惑しようとしているところで、
その依頼を断る。ところがセシルの母ヴォランジュ夫人(高橋惠子)こそが、トゥルヴェル夫人に彼を非難し近づいてはならぬと忠告して
いることを知り、ヴォランジュ夫人への復讐を決意、メルトゥイユ夫人の計画にのる。
一方清純なセシルは純粋な若き騎士ダンスニーと恋に落ちていた。そこにメルトゥイユ夫人の策略が、そしてヴァルモンはトゥルヴェル
夫人を誘惑し・・・。二人が仕掛ける退廃に満ちた恋愛ゲームが繰り広げられてゆく。
メルトゥイユ夫人とヴァルモンはかつて愛人関係だったが、今では「友情と尊敬の間柄」。
この男はパリの社交界で、たいていの貴族の女性と関係があるらしい。これから誘惑しようとするセシルの母ともかつて・・・。
狙った相手を手練手管で陥落させるまでの過程をじわじわと楽しむのが彼のやり方だった。
そういう彼にとって、特に貞淑の誉高いトゥルヴェル夫人は難攻不落に見えて、やりがいのある相手だった。
ハチャメチャな彼は、自分が惹かれて狙う彼女と、復讐のために落とそうとするセシルと、娼婦エミリー(土井ケイト)とを同時進行で
相手にするのだが、頭の回転が早いので、ヤバい場面になっても何とかうまく言い逃れることができるのだった。
彼は修道院を出たばかりで世間知らずな娘セシルを難なくモノにすることに成功。同時にトゥルヴェル夫人にも誠実を装って毎日迫り、
ついに彼女は彼の魅力に負け、彼を愛するようになる。貞淑な彼女はロズモンド夫人の邸を出る。
ところがそのトゥルヴェル夫人に対して、ヴァルモンは、今まで他の女性に抱いたことのない愛情を感じる。しかもそれに自分では気づかない。
メルトゥイユ夫人の方がそれに気づく。そして彼に、女たらし・ドンファンとしての「名声」に傷がつく、と言って、彼女と別れるよう迫る。
ヴァルモンはそう言われて、素直に従ってしまう。つまり、彼女に冷たくし、捨ててしまうのだ。
もうそうなると、彼女としては修道院に行くしか道はない・・・。
評者だけの問題なのかも知れないが、フランス人たちの名前が覚えにくく発音しづらい。特に「トゥルヴェル夫人!」
エミリーやセシルのようにファーストネームで呼ばれる若い女たちは楽だが、奥方連は皆さん苗字なので面倒だ。
鈴木京香と玉木宏はどちらも声に張りがあっていい。
ただ玉木宏が若い女性をものにしようと話しかける時の声は、いささか高過ぎ、早口過ぎるように感じた。
高橋惠子の使い方がちょっともったいない。主役も張れる人なのに。
新橋耐子は久しぶりに見たが、相変わらず素晴らしい。
ロズモンド夫人の哲学=男と女の愛し方は違う。男は自分の楽しみのために愛する。女は相手の楽しみのために愛する。
窓の外には日本庭園が見え、室内では洋装の人々が床に座って生け花をする。取ってつけたような違和感がある。
衣装もいささかおかしい。セシルの膝小僧が見えそうなドレスとか。修道院から出たばかりなのに露出度高過ぎ。子供っぽさ幼さを強調する
ためだろうが、それにしても。
トゥルヴェル夫人だけが常に両肩を露わにしたドレス。これも貞淑の鑑とされる彼女の服装としては違和感があった。
2幕冒頭、暗闇の中で玉木宏の喘ぎ声が聞こえてきて客席は緊張するが、実は・・・という erotic な仕掛けがちょっと面白い。
メルトゥイユ夫人の「(夫の死後)再婚の申し込みをしてきた人はたくさんいたけど私が再婚しなかったのは、もう二度と命令されたく
なかったからよ」というセリフが印象的。
玉木宏は「抱かれたい男」として人気だそうで、確かに男らしい魅力はたっぷりだが、その演技には物足りなさを感じた。
人から指摘されて初めて自分の気持ちに気づいた時の動揺と、取り返しのつかないことをしたという後悔の苦しみが表現できていない。
だから最後の決闘後の言葉が唐突に感じられる。
鈴木京香はとにかく素晴らしい。他にこの役ができる女優は・・・と考えてみたが全く思い浮かばなかった。
この作品は1959年にジェラール・フィリップとジャンヌ・モローの共演で映画化され、1988年のハリウッド映画では
グレン・クローズとジョン・マルコビッチが共演したという。どちらもぜひ見てみたい。
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