ひねって・焼いて・陶

陶芸の様々な技法、釉薬、お会いした陶芸家の方々の話等々、私が陶芸で学んだこと、発見したことなどを綴ります。

「ひねって・焼いて・陶 Life」展の始まり Our Duo Exhibition

2015年03月11日 | 陶磁器展示会
ついに二人展が始まりました。ノリタケの森ギャラリーのベテランの方から展示について色々アドバイスをいただいたおかげで、スッキリしながらもメリハリのある雰囲気ができておおいに満足。初日は知り合いも含めて100人近い方々にお越しいただきとりあえずホッとした。しばらくぶりの知り合いの方々と近況について色々と語り合うことが出来たのがうれしかった。時計は私、写真立てはかみさんの作品です。

酒井崇全さんの個展

2015年03月07日 | 陶磁器展示会
昨日、酒井さんの個展を観にいった。何時もながら作品への意味付けのうまさに感心する。白磁に透明釉でもごくわずかに青味がかっているので聞いた所、強還元を掛けてこの色を出しているとのこと。また、展示のディテールに神経が行き届いていて、酒井さんのこだわりを感じた。自分の展示会も直ぐ後に控えているので色々と参考になる。1月の日本クラフト展に出品されたランプが愛らしいデザインで良かった。


黒河兼吉さんの個展

2014年09月18日 | 陶磁器展示会
一昨日、陶磁器デザイナーである黒河さんの個展を栄木さんと観に行った。黒河さんは栄木さんの愛知芸大での教え子であったことと、会場は、僕の三菱自工時代の先輩三橋さんのギャラリーであることが重なっていたので、これはぜひ行かなければと京都まで足を伸ばした。
展示されていた作品はカップ&ソーサーや酒器等の食器や花器などで、作品は大変に洗練された特徴あるフォルムであるのと同時に、器としての機能性も巧みに考慮されていて、非常に良く考え抜いとデザインだなと関心する。制作は、磁土の鋳込み成型をご自宅でされているとのことだが、圧力鋳込みではないので難しい形状になると不良率もそれなりにあって苦労されているとのことだった。栄木さんは、これだけの良い作品だったらもっと量産に繋げればよいのにとおっしゃっていたが、磁器の鋳込みを請け負う業者は瀬戸ならいろいろあるが京都では少ないらしい。

お茶をいただきながらの話で、近頃こうした陶磁器作りの世界でやっていくのはたいへん厳しくなっていることが話題になり、作品を評価する評論家や作家をサポートをしてくれるパトロン的な存在などとの繋がりは大事だというはなしになった。それにしても先ずは作り手ががんばらなくてはいけないと感じる。

ここ「アートライフ・みつはし」は銀閣寺近くの静かな住宅街にあり、とても落ち着いた雰囲気が良い。帰りに、ついでに銀閣寺に立ち寄り、秋晴れの中で美しく手入れされた日本庭園を愛でとてもリフレッシュした気持ちになった。


「泥象 鈴木治の世界」展

2014年02月11日 | 陶磁器展示会

思いがけず知人から入場券をもらって鈴木治の展覧会を観に行った。鈴木治については、「馬」と題された作品を以前見たことがあったのと、走泥社の一員だったということを知っていたくらいが予備知識だった。
展示は100を超える数の作品がそろっていたので彼がたどって来た道どりがよくわかった。
彼の作品のフォルムは大変に単純化されていて幾何学的な形で構成されているものが多い。バランスのとれた形の中に気の効いたアクセントや変化があって心地よい。そのせいかアートでありながらもデザインされたものという印象がして共感を覚える。100種類の香合という作品があって、全てシンプルな形の100のバリエーションで、そういった形の展開に仕方にもデザイナー的な発想を感じる。自分の主観的表現よりも観る人になるほどと思わせようとする表現というところがデザイナー的だ。



大方の作品は白い信楽土の上に赤系の化粧土を薄く塗り重ね、そこに灰を掛けたりマスキングするなどして適度な色の変化が付けてある。その赤茶色がとても自然な風合いだ。この色合い、丁度晩秋の雑木林の紅葉の様でもあり、また赤茶けた岩の様でもあり、自然と気持ちが和む。同じ走泥社の八木一夫と比べて色と形に親しみ易さ、わかり易さを感じる。別の作品群には影青、つまり青磁の作品があった。けれども、こっちの方は個人的に全く心に響かなかった。赤い化粧土の作品と同じ作者なのに、どうしてなのか不思議に思える。

彼は自分の作品を泥象と呼んでいる。泥象という呼び方は、当時広まっていたオブジェ焼きと言う言葉が揶揄する様な言い方であったのでそれを嫌って鈴木治が考え付いたものだと解説してあった。僕も、始めてオブジェ焼きという言葉に接した時にずいぶん妙な言い方だなと感じた。陶芸でオブジェを作るという走泥社に代表される新しい流れに対して保守的な考えの人たちが多少皮肉を込めて言った言葉だったのかも知れない。しかし、たしかに泥象という言葉は陶磁で作った立体アート作品を指すのにふさわしいと思うけれど、残念ながらそれほど普及していない。一方でオブジェ焼きという言葉は陶芸の世界では陶磁立体アート作品を指す言葉としてかなり定着してしまった。それでは、陶磁のアート作品に今はどういう言葉が使われているのだろうか。いまさらオブジェ焼きでもないし、陶磁オブジェあるいは陶磁アートだろうか。先日、長江重和さんとお話した際、長江さんは自分のアート的作品をオブジェとは呼びたくないと言っていた。ただ作品と呼びたいとおっしゃていたと記憶する。陶芸の世界の言葉の定義は人や場所によって様々なようだ。

走泥社の鈴木治や八木一夫らは日本の陶芸にアートという新しい風を吹き込み、それはその後の陶芸そのものの流れを変えたと言える。けれどもその割に、彼らは伝統工芸の大家ほどは世間一般に知られていないのは残念だと思う。こうした展覧会が彼らの功績を再認識させてくれているということか。

常磐中「ふれあい展」に出展

2014年01月09日 | 陶磁器展示会
わが常磐中PTA陶芸クラブの「ふれあい展」に出展した作品。

ティーポットは轆轤成形の後、手作業で変形させるのでものすごく手間がかかり、成形に3日近くかかってしまった。数を作るには別の作り方を工夫しないといけない。波板型の花器は轆轤成形の後、長いこてでかなり強引に変形させ、厳しい部分には土を追加して制作。出来上がってから考えたら、内型を作ってタタラで成形した方が簡単だなと気づき、ちょっと拍子抜け。まあ成形する技の勉強にはなった。

暗色の釉薬は自作した2種類のマット釉を重ね掛けした。色の暗い方を先に掛けたので明るい方は先に掛けた釉の影響で実際の色よりかなり暗めになった。それで、当初の狙いよりもコントラストが弱くなったが、しばらく見ているうちにあまりはっきりしたコントラストよりもぎりぎりの差のコントラストの方が深みというか良い雰囲気がある様に思えてきた。


一方、かみさんの作品の中では天使が大変評判よかった。やはり顔の部分は微妙で難しいようで、どうしてもオバサンっぽくなってしまうと言いながらかなり試行錯誤色をしていた。後から作った2体のほっぺに火色釉を使ったら俄然生気が入ったようになった。