ひねって・焼いて・陶

陶芸の様々な技法、釉薬、お会いした陶芸家の方々の話等々、私が陶芸で学んだこと、発見したことなどを綴ります。

子供たちの陶芸

2018年01月08日 | 陶芸/クラフト/デザインを考える
このあいだ、最近養護学校を退職した先生とお話しする機会があっ
たのだが、どの養護学校でも大抵窯業の学習があると聞いてちょっ
と驚いた。陶芸の事は色々知っている積もりだったけど、プロの
陶芸、趣味の陶芸以外にこうした環境での陶芸もあったのだ。
調べてみたら、養護学校では一般の教科の他に作業学習として週
2回程度農業、園芸、木工、印刷、窯業などを学ぶのが一般的な
ようだ。以前からフェイスブックでフォローしている長野の養護
学校では、地元のレストランやホテルなどへ注文販売をしていて
相当実践的な活動をしている。今は昔と違って窯業への就職口が
そんなにある訳じゃないので、それが独り立ちしてからの仕事に
なる訳ではないだろうが、陶芸がこうした所で社会的に機能して
いるのは大変結構なことだと思う。

去年、常磐中学校の和菓子皿作りをお手伝いした際、その発表の
場の岡崎っ子展に初めて行ってみたら、常磐中学だけでなく他校
の多くが陶芸作品を出していてこれも意外だった。常磐中学には
陶芸設備があるのだけれど、普通の学校には設備が無いのに何故
陶芸が出来るのかと言うと、作品作りを手伝う業者さんがいて、
土の提供、釉掛け、焼成をしてくれる。生徒は成形だけをするので
、この場合は養護学校ほど実践的ではないけれど、一般の学校で広
く陶芸が行われているとは知らなかった。これは常滑、瀬戸、土岐
に近いこの辺りだけのことなのだろうか・・・?



こんなふうに改めて陶芸の裾野の広さを知ったのだけど、太古の
土器作りに始まる日本の陶芸の流れがAIの時代になっても子供達
の陶芸学習によって先へと繋がって行って欲しいと思う。


「クラフツマン The Craftsman 」

2017年11月05日 | 陶芸/クラフト/デザインを考える


「作ることは考えることである」と副題が付いた、アメリカの哲学者が書いた本。

人は物を作る、ということを掘り下げ、そこから広い意味での物作りがいかに人間
にとって重要な意味を持つかを語っている。

作る、に関連した数々の話の一つに、手についての話がある。そもそも人間が物を
作るようになったのは親指を内側に深く曲げることが出来るという人間特有の手の
構造に出発点があるという。これによって片方の手で物を掴みながらもう一方の手
でそれを加工することが可能になる。身体の物理的構造が先にあって、そこから物
づくりを通して知性が発達したのかも知れないと考えると、とても面白い。

言葉にすることの出来ない知識、暗黙知についても触れている。自転車に乗るという
ことがその代表的な例とされている。自転車の乗り方は科学的に分析はできても、
それを人に教えることはできない。あらゆる物作りの中で、技法は人に教えること
が出来るが技能は教わるものではなくて個々が会得しなければならないものなのだ。
工芸の世界で、ずいぶん昔に作られた工芸品が現代では再現することができないと
いう例があるが、その理由はここにあると思う。

原爆の生みの親ロバート・オッペンハイマーについても取り上げられている。この
物理の天才は原爆の開発に科学者として情熱を燃やしたが、そこにはもの作りに潜む
落とし穴があった。それは、人は仕事の目的よりも仕事を達成することの方に執着し
やすいということ。そして、もの作りへの好奇心という衝動によって道を踏み外す
と人類の滅亡に繫がる可能性すらあるということ。

この本で取り上げたクラフトという言葉、最近ちょくちょく耳にするようになった
気がする。例えばいまデンソーはブランドスローガンとしてCRAFTING THE COREと
謳っている。社会のコアとなる技術を作るというような意味なのだが、ここで
CREATINGとかMAKINGを使わなかったのは、クラフトには個人が手作りをするという
イメージがあるからだと思う。物作りの原点は個人が考え、手作りするところに
あって、チームで考えロボットが作る時代だからこそ、なお更クラフトという切り口
が重要となる。この本の著者が言いたいこともそこにあのかと思う。

陶芸をしている関係で、この本、大いに関心を持って読み始めたものの、哲学者の
文章は僕の頭には大変に解りづらく、さらに翻訳の仕方にも問題があるんじゃないか
との疑念を最初から最後まで抱いたまま読み終えた。とにかく、読み辛い本だ。最後
の数ページに訳者による解説と題した要約があるのは、訳者自身その必要性を感じたの
じゃないだろうか。まあ、その数ページのおかげで多少は頭のもやもやが晴れた。
読み辛いけど、興味深い本。

「アスリート展」21-21デザインサイト

2017年05月04日 | 陶芸/クラフト/デザインを考える
久し振りの東京で「アスリート展」を観た。人の身体能力と知覚能力に関わる体験型の展示が
楽しくて面白い。現代のアスリートは最大限のパフォーマンスを得るために最新の科学、生理学、
心理学そしてテクノロジーを駆使している。アスリートに限らず、人間が自分の能力を高める
ためには頭脳、知覚、肉体、精神、環境など様々な側面からのアプローチがあるのだということを
深く感じさせられた。

この21-21デザインサイトを主催しているのは三宅一生だと知り、帰りに彼の本を買った。こうした
デザインを考えさせるような企画展示をするところは世界でも稀ではないかと思う。

街中の広々とした美しい公園の中にある建物は安藤忠雄デザインで彼らしさのある良い感じだった。
来場者の半分近くが外国人だったのは企画の内容?それとも三宅、安藤のネームバリューだろうか?


    

バンコ アーカイブ デザイン ミュージアム

2017年04月08日 | 陶芸/クラフト/デザインを考える
パラミタミュージアムへ行ったついでに四日市のバンコアーカイブデザインミュージアムを訪れた。一見廃墟かと思える様な寂れた感じのビルの一階にあるのだけど、中に入ると小ざっぱりとしている。ここではあまり世間に知られていない萬古焼の歴史を紹介している。展示の内容は瀬戸の同様の施設と比べるとごく小規模だけど見せ方が今風に上手で分かりやすい。個人的には萬古焼独特の急須を作るための木型が興味深かかった。木型作りは廃れてロクロ作りに変わったとのことだけど、ロクロ作りには無い木型作りのメリットも色々ある様な気がする。今度試してみようかと思う。
展示を観た後、併設のカフェで食べたパンプキンプリンがとても美味しかった。白化粧のティーカップも素敵だったが写真撮るのを忘れてしまった。







長三賞に入選

2016年10月09日 | 陶芸/クラフト/デザインを考える
常滑の長三賞常滑陶業展に入選した。入選はもちろんうれしいのだが、結果通知の葉書を見た瞬間、入賞でなかったことに正直ガッカリした。

ガッカリしながらも昨日、その表彰式とパーティへ行ってきた。人の作品を見ることと人との繋がりも大切だから。パーティ会場で初めて会う女性と話していると、「陶芸を教わった先生から、公募展で賞を取るためには、審査員にも好みがあるのでその好みで選ばれる様な作品にするのがコツだと教わりました。」と仰るのだ。以前ほぼ同じ話を別の作家から聞いたことがあるのだが、僕はその女性に、僕はそうは思いませんねと話した。陶芸に限らず作家というものは自分自身の目標を目指して創作するものであって、審査員にすり寄ったものを作ったのでは意味が無い。また、○○賞を取ることが作家としての最大の目標であるべきでもないと思う。

まだ若手の頃のルーシー・リーが、当時イギリスで陶芸界の頂点にあったバーナード・リーチに作品を見せたところ、目指している方向が良くないと酷評されてしまった。しかし、ルーシー・リーはその言葉に戸惑いながらも自分のスタイルを変えないでやがて大成し、後にバーナード・リーチはその時の自分の評価に偏見があったことを認めたという。

公募展に入賞できなかったら、自分の作品がまだ一歩抜け出ていないか、審査員の目が節穴かのどちらかしか無い。まあ、今回の自分は一応前者だと受け止めて、次は審査員の鼻を明かす様なものを作ろうと思う。